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金田治のスケッチ日記 https://onbi99.livedoor.blog/

裸婦スケッチを元に詩や物語を織り込んだ絵作りを楽しんでいます。

絵に様々な陰影を与える物語を感じながら鑑賞する絵を求めて自作の絵画やエスキースを載せています。

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2008/04/08

1件〜100件

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  • クロッキー633 文化を読む

    絵画は読み方を知らないと面白さを鑑賞することが難しい分野です。文化には現在何が問題で、それがどのように解決されてゆくかが問題なのですが、絵の解説となると画題の物語の解説や作者の奮闘ぶりなどを伝えるものが中心で、文化を読むという姿勢が希薄です。文化を自然な

  • クロッキー632 民度

    ある国で、ある地域で誰が評価されているかはその地域の民度と言えます。民度には受容できる上限と下限があります。その範囲内にその地域での専門画家がいることになります。民度を超えるものも、民度に及ばないものもその文化圏からは排除されます。不思議なことにギリシャ

  • クロッキー631 美術史おさらい

    美術史における19世紀は絵画を高級な陶磁器のような丁寧な仕上げの美しさやペルシャ絨毯のように緻密で手作業の丹念な描写の積み上げといった工芸品の評価と同じような家具としての見方から、絵画独自の美的価値や視覚体験の伝達の場にしようとしたものです。先鞭をきった印

  • クロッキー630 見世物

    19世紀にヨーロッパで起こった印象派の意味は何だったのでしょう。印象派が光がきれいで、アカデミー派は肌がなめらかということでしょうか。するとラファエル・コランの絵は光がきれいで肌がなめらかな絵なので両派の良いとこ取りで結論だとなるのでしょうか。それは意味が

  • クロッキー629 味わい

    極限の緻密さを名品として称賛し、工程の大変さを説明し、技術の難しさを語り、ギネスブックのような超絶技巧を好むと言うのはどこの文化にもあるでしょう。ペルシャ絨毯やレース織物、機織りなどでの職人の技。それらの品物の技術は具体的で比較しやすいものです。ところが

  • 日本文化

    どうにも最近の絵を見ていると手作リ、手技を競っているような感じがします。それはそれで良いことなのでしょうが、絵のメッセージとしては窮屈な気がします。伝統工芸展などを見ても凝りに凝り、超絶技巧を極めたような作風が多く見られるのですが、おおらかな佇まいの良い

  • 価値の多様

    絵の「価値」もしくは「ニーズ」は社会においても個人においても言い尽くせない多様な面を持っています。社会が必要だと思うものにも「価値」があり、誰かがお金を出してでも守りたいもの、また手に入れたいものにも「価値」があり、自分にとって守りたいもの、身辺において

  • 俗人画家

    自分の価値観で絵を描くと言った場合でも、必ずしも「美しい」が目標なわけではありません。良い絵には「美しい絵」と「面白い絵」とがあります。「美しい絵」にはバランスが良い、色が綺麗だ、筆使いが気持ち良いという絵画的なものから景色が気持ち良い、顔がきれいだ、と

  • 画家

    ネット検索をしてみると、絵画の基本に『画家は自分が描きたいと思ったものを描いてこそ初めて鑑る人を感動させられる』というフレーズがあります。聞こえは良いのですが、今の時代を見るにそれは逆だと思います。社会と画家個人とが同調したときに受け入れられるので好き勝

  • 古本街

    古本街以外では美術全集という西洋絵画のお手本集のような本が見られなくなりました。普通の街の本屋に行っても昔のように名画を目にすることはなくなりました。現代の絵画の冒険に寄与した画家たちの作品は目にすることがあるのですが、それらは政治的歴史的な意味での名画

  • カルト雑感

    近頃しきりに信仰の功罪を社会通念と照らし居合わせてカルト宗教を裁く話題が多出しています。一般の人々の論理を見ていると、生活に必要な事柄と人生に必要な事柄とではスパンが違いすぎて比較ができなくなっているように感じます。どうやって心地よく生活するかと、どうや

  • 大衆文化の別名

    「芸術」を大変に位の高いもので、大衆文化なぞ低俗極まりないと考える人は、芸術に触れて特別に感銘を受け感化された経験を持つ人なのでしょう。それは哲学であり、信仰です。自らの存在を高めてくれると信じることができた時代の名残です。現代はおよそ根底が違います。特

  • 芸術のためのゲイジュツ

    芸術を定義するのに「自己目的」というのがありますが、これは「芸術のための芸術」という標語が独り歩きしたものです。はじめは社会性や宗教や人生などの有用性から切り離した目的性を言いました。詩人のテオフィール・ゴーチエは「芸術のための芸術」を自己の創作の立場と

  • 私のゲイジュツ趣味

    誰も言いませんが、絵で本当は問題になるのは売るためのものなのか、個人のためのものなのかでしょう。不思議なことに、ゲイジュツは自己目的だから商業目的のものではないと言いながらゲイジュツカを目指します。ゲイジュツという商品を作るためにとりあえずの自己目的を作

  • クロッキー628 裸体画と世間

    裸体画について世間の反応を考えると、黒田清輝の『朝粧』が腰を布で覆って展示された明治時代と現代も大差がありません。今でも覚えているのですが、1981年NHK主催で『アングル展』が西洋美術館で開催されました。主催のNHKの本社入り口に等身大のアングルの『泉』が掲げら

  • クロッキー627 生命的な形

    いつも裸を描いているのですが、作品にするとなると時代の裸忌避の圧力が気になり出します。現代は自由で人間性が発展して開放されていると宣伝され、信じ込まされていますが、『裸』に関してはルネッサンス以前の中世のような感じがします。行政やメディアの上で『裸』即『

  • クロッキー626

    心地よい天気が続き制作意欲が自ずと高まってきます。夏には色々のエスキースが生まれ刺激の多い期間でしたが、秋になるとエスキースよりも、手を動かして絵画を作りたくなってきます。なぐり描きで通していたクロッキーも手直しして、スケッチ風に描き加えてみたり、単純で

  • クロッキー625 自己投企とアイデンティティ

    人間は自己を投企する存在だとどこかの哲学者が言っていました。自己は現在あるがままの自己、今まで存在し続けた結果としての自己だけには留まりません。自己を未来に投げ出し、自己を自己として獲得してゆく。そこに事実と真実の違いが見えてきます。そこまで行っても足り

  • クロッキー624 アイデンティティの保持

    女王の死去に伴う葬儀や居城などの有様を見ていると美術の果たしている役割がよく見えてきます。19世紀美術の大半は新興ブルジョワジーの虚飾だ、キッチュだ、頽廃だと宣伝され、多くは美術の世界から排除されましたが、女王の周辺を見る限りそれらは虚飾ではなく、女王とし

  • クロッキー623 全体主義とモダンアート

    芸術と技術は別の事柄です。芸術は信仰と同じで個人のものですが、技術は社会の文明文化に属するものです。創造性と言っても、個人における創造性と社会における創造性では異なります。個人にはその人個人の歴史があり、社会には社会全体の歴史があります。個人が社会の進歩

  • クロッキー622 政治とアイデンティティ

    芸術には精神を刺激し精神を高める目的と慰謝とがあります。何が芸術で重要か、すなわち芸術のプライオリティを考えるとアイデンティティの保護だと思われます。個人は社会的集団の一員であると同時に家族の中でさえ誰とも違う一個人でもあります。集団のアイデンティティと

  • クロッキー621 政治と文化

    各自異なる文化を持っている地域で統一した文化行政をするために、政治が既存の文化を失わせて統一的で健全な文化を導入する必要があった場合、文化を否定する概念を文化の上位に置けば実現できます。文化は個人のものですが、文化の上に権威としての芸術を置いて、文化を卑

  • クロッキー620 自己の判断

    自己の判断より社会の判断が優先するならば、教養主義的にならざるを得ないでしょう。自分の判断は間違えるかもしれない。正しい判断をしなければこの社会から排除されるかもしれない。それは社会に深く組み込まれた者には恐怖でしょう。もしくは、社会に深く組み込まれてい

  • クロッキー619 自己不信と客観

    リアリズムは一つの精神状態です。主観をことさら排除して、普遍妥当性を示そうとします。写真が登場すれば、主観からは距離があるとみなされる機械的過程で生まれる画像をリアルと同等に扱います。写真のメカニズムが捉えるのは対象の物理的な外観です。主観を排して客観に

  • クロッキー618 顔の客観と絵画

    北方ルネッサンスのメムリンクやクラナッハの絵では顔が大きくディフォルメされています。何の不思議もなく、絵は受け入れられます。イタリアルネッサンスでは、特にミケランジェロやティントレットらの絵では顔は極端に小さく描かれていますが、これも問題とはされません。

  • クロッキー617 顔の認識

    描いた絵が顔に見るか見えないかを問題にすると、上手い下手というのは関係なくなります。囲まれた範囲に同じぐらいの点が2つあればそれだけで顔に見えてしまいます。4つ、5つの点となるとかき消されてしまいますが、2つでは確実に顔に見えます。多分、人間として生まれて

  • クロッキー616 変形への誘惑

    石ころに顔が現れたり、壁のシミに顔が現れ、樹の節に顔が現れたりするのは、口には出しませんが、見つけると楽しいものです。意外なところに意外な人影が現れたりします。簡単な丸や三角や四角に囲まれたところに目立つ点が2つあれば顔は成立します。やけに簡単なのですがそ

  • クロッキー615 絵画の楽しみを知る人達

    絵画は絵画の楽しみを知る人達のものです。公共の施設としてあったり、教育で必須とされたり、各国の文化の尺度とされたり、様々文化的、社会的、政治的な権威とみなされたりするからと言って、絵画が責任を負う必要は無いのです。絵画が自己批判する必要は無いのです。モダ

  • クロッキー614 イコノクラスム

    モダンアートの狂信者たちは絵画を彫刻などの他の分野から切離ししようとしました。絵画の持つ3次元的な奥行きの表現を否定して、できる限り2次元的であることが絵画の色彩やメディウムの直接な表現力を強めると主張しました。それ故、色彩も柔らかくグレイッシュな中間色で

  • クロッキー613 アートの狂信者

    画家が彫刻をやり、建築に興味を持つ、またファッションやテキスタイルに興味を持ったり、デザインに携わったりします。しかし、絵を否定して建築の優位を主張したり、ファッションの優位を主張して絵を否定したりすることは滅多にありません。ロダンもマイヨールも絵を描き

  • クロッキー612 デトックス?

    20世紀の急激な変化を考えてみれば、メディアの急激な専横を確立しただけのことで、人々の精神生活が豊かになった証はありません。家庭が崩壊し、地域社会が崩壊し、地方や国の意識が崩壊し、メディアの一方的な論理、価値観が人々の上に覆いかぶさっています。19世紀までの

  • クロッキー611 何もない美しさ

    現代の生活空間を考えるのに、芸術とりわけ絵画を必要としている心を持たない強靭な精神の人たちが考える美はシンプルな方が良いのでしょう。Tシャツを着てジーンズを履き自分の成功談を語る、それで十分なのです。そのスマートさは成功していることが保証しているからです。

  • クロッキー610 建築中心の文化

    文化には社会全体に関わるものと個人に関わるものとがあり、社会全体の前進を指すものが文明で個人の発展成長を指すものが趣味や思想や芸術です。後者をまとめて狭義に文化とも言うでしょう。この二項対立の概念に対して建築は統一を必要としています。建築を美術の概念の中

  • クロッキー609 ユニバーサルな文化

    芸術文化は個人を土台としたものと私は考えますが、現代は社会が主体となっているように感じます。社会が芸術の良否を判断し、美醜を定義するように見えます。その社会の判断がメディアによって自己の文化の形成が曖昧な人を誘導してゆきます。社会の判断はメディアにも依存

  • クロッキー608 文化の消滅

    どの様な絵画の試みも、過去の豊かさが確保されているならば、新しい試みは称揚されるべきでしょう。たしかに変化のないことは退屈なことです。退屈を取り払うのが絵画の目的だとするならば奇抜な博覧会や各種のイベントを代行しているものが絵画だとなります。テレビなどは

  • クロッキー607 定義

    絵画に限らず事物を定義するのは難しいものです。それを取り巻く環境が絶えず変化するからです。定義というものは周辺領域にあるものとの類似や差異によって概念が形成され、対象を特定できるものとなります。それに対し、近代の絵画観は周辺領域を侵食し、パイオニアである

  • クロッキー606 映画のポスター

    人を引き付ける要素に珍しさがあるのは事実です。巨大なものは常に興味を引きます。りんごほどのいちごがデパートで売られたり、卵ぐらいに大きなダイヤモンドが陳列されたり、通常の大きさの概念を打ち砕く巨大さと言うものがあります。更に、巨大な岩や巨大な樹木が感じさ

  • クロッキー605 キャンバスの巨大化

    20世紀絵画の隠された悪趣味の一つがキャンバスの大きさです。たしかに16世紀のベネティア絵画や17世紀のルーベンスらの宮廷用の絵画には巨大なものが多くあります。教会堂の大空間には大きなキャンバスも必要だったのでしょう。それらには大画面に相当する物語や画面展開が

  • クロッキー604 悪趣味のポリコレ

    悪趣味は「 品の悪い趣味や、そのような趣味を持っている状態。また、人のいやがることや道徳に反したことを平気でやること」と説明されています。悪趣味を楽しめる人と芸術を理解して楽しめる人がともにマイノリティーだと言うことは理解できますが、「芸術はマイノリティー

  • クロッキー603 悪趣味の偏差値

    悪趣味が最も洗練された趣味であると考えるようになったのは何時からなのかは知りませんが、体制や一般の多数者の趣味を疑うところに芸術を位置づけたのはゴヤ辺りから始まるのでしょう。ルネッサンスにもグロッタ趣味がありましたが、それらは今とは違い、むしろ過剰であろ

  • クロッキー603 悪趣味としての色付け

    ピカソが20世紀の代表的な画家と言えるのは、20世紀絵画に特徴的なディフォルメ、ディフォルマシオンを造形の中心においた画家だからです。17世紀にもディフォルメを多用した時代がありましたが、20世紀のディフォルメは様式としての引延しや美的誇張とは異なり一種の悪趣味

  • クロッキー602 ロジックとパッション

    我が国のピカソの受容体験を振り返ってみますと、ピカソの絵画の奇妙さをピカソの良さとして受け入れたので、ピカソのロジックに目が向けられませんんでした。そのため、ピカソは良し、マティスは良し、とモダンアートは素敵だ、未来はカッコいい、芸術は爆発だとなりました

  • クロッキー601 子供の絵

    ピカソが多用したキュビズムでは三次元の対象や空間をバラバラに切り取って再構成します。自然な空間を前提としなくてもモチーフが断片であっても認識可能であれば全体の元の意味を失わないというイコン的な図像の有効性を示しました。絵をアイコンの集合と考えたところがシ

  • クロッキー600 ピカソのイコン

    ピカソの絵画への気付きは限定的なマティスとは異なって、シュールレアリストと共有しています。ピカソもマティスも生涯女性を描きましたが、ピカソのアプローチはマティスのように女性を一つの魅惑的な形体としてみるのにとどまらず、意味を持つアイコンの集合体とみなしま

  • クロッキー599 グラフィックの優位

    マティスは20世紀絵画の開拓者のひとりですが、ピカソよりも限定的です。そのことは悪い意味ではありません。マティスは関心を常に美術の中にとどめました。二次元平面の絵画としてのイコンを視覚的な模様の美術として利用したものの、何らかのアイコン、意味としては考えま

  • クロッキー598 マティス

    20世紀の代表的な画家ピカソとマティスを観察してみるといくつものヒントが見えてきます。ピカソとマティスは生涯の友人同士で20世紀絵画を開拓していきました。20世紀絵画はこの二人の絵画についての気付きから始まりました。「絵画は二次元の平面であり、三次元の空間を表

  • クロッキー597 シュール

    絵画をグラフィックデザインの視点で見ると、具象性はアイコンであればどのようなディフォルメがされてあっても問題にはなりません。ただの円を「私」、三角を「あなた」にしても良いのです。イコンの絵画とリアリズムの絵画がチラチラと反転しあって不条理な意識や詩的感覚

  • クロッキー596 20世紀絵画の次元

    三次元の絵画空間に象徴画像のアイコンが登場するとポエジーが生まれるということを明確にしたのがデルボーの絵です。それは紛れもなく20世紀の絵です。20世紀の絵画の次元は科学趣味の透視図法的な3次元に有史以前の絵や文様や中世のイコンに見られるようなアイコンによる造

  • クロッキー595 デルボーの絵

    運動会でかけっこをしているとか、夏休みに水泳帽の子どもたちがプールで泳いでいるとか、子どもたちの描く絵は象形文字のようなアイコンを画面に並べた絵が大半です。視覚体験をレンズを通したように記録した絵はあまり見かけません。それでも、「児童画」という概念でリテ

  • クロッキー594 中世絵画

    中世絵画にある魚とか卵とかが救世主を意味するなどというのは事物を象徴で表現したアイコンです。ある程度現実を模した空間に突然アイコンが現れ、重要人物は大きく、脇役は小人や虫ぐらいになったりします。それをルネッサンス以降の視覚的リアリズムの感性で見ると不条理

  • クロッキー593 イコン

    中世絵画はイコンです。イコンとは聖なる象徴画像すなわち聖なるアイコンです。読み方の違いだけです。画面に象徴画像を配置するデザインです。本は四角、りんごは赤い丸、天使は羽の生えた者、殉教した聖人は棕櫚の葉を持ち、それぞれのマーク、アトリビュートを持っている

  • クロッキー592 初期ルネッサンス

    ルネッサンス絵画の初期段階では中世絵画のグラフィックデザインの意識は廃れていませんでした。今ではほとんどがリアリズムの発展史として語られるので初期段階イコールプリミティブと捉えられがちですが、ウッチェロやピサネロの絵画の前に立つとそのペルシャ絨毯のような

  • クロッキー591 退廃の時代

    中世絵画が様々なアイコンを組み合わせたクラフィックデザインであったのに対して、ルネッサンス以降の絵画はリアリズムに主導されていました。そのリアリズムも極めて物質的な実在感を表現することでした。豊かな髪に手を差し入れ、柔らかな肌にそっと触れる。磨かれた金属

  • クロッキーコンサート 2次元の表現

    絵画のグラフィクデザインへの回帰が20世紀の特徴です。その境がモジリアーニとジャンヌのデッサンの間にあります。グラフィックデザインとはモチーフや構図などの絵画の対象を平面的な要素に還元して再構成することを意味しています。改革は、本人が意識しているかしないか

  • クロッキー590 触覚的感覚

    音楽は音を用いての表現ですが、必ずしも音を直接に再現しているのではありません。音楽と音とは別のもので、音楽は気分や感情を表現します。水音、爆音、風の音、潮騒などいわゆる効果音と言われるものと音楽は別のものです。それと同じように、絵画は視覚を直接に再現する

  • クロッキー589 視覚芸術と絵画

    絵画は視覚芸術と言われます。視覚に基づいて表現をしているからです。絵画が視覚芸術だというはデザインと心理学を結びつける重要な要素となっています。宣伝広告のデザインや公共建築の設計などには必要なこととなっています。しかし、絵画は同じでしょうか。絵画はもちろ

  • クロッキー588 音楽的と触覚的

    絵画とデザイン近いようでも混同するとどこか違和感のあるものです。モジリアーニはジャンヌの絵の中にある構成的なセンスの良さ、バランスや粋さなどに注目したものの、具象的な顔を配するのには否定的であったようです。モジリアーニは顔にも構成的なシンプルさを与え全体

  • クロッキー587 ジャンヌ・エビュテルヌのデッサン

    ジャンヌ・エビュテルヌは若くして才能豊かなデッサンをいくつか残しています。モジリアーニはジャンヌの線描を愛していたと思えるほどです。キュビズムとアールデコの幾何学模様が融合したような巧みな構図のデッサンを多く残しています。モジリアーニとジャンヌといえばそ

  • クロッキー586 気になるモジリアーニの鉛筆

    クロッキーの描き方というのはありません。自分が一番気にしているところを自由に探求すればよいのですが、それは一般論で、自分自身は常にテーマを持っています。その時時でテーマは変わるのですが、自分にとっては、その時時の方針があってクロッキーへのアプローチがあり

  • クロッキー583 気を付けている点

    自分のクロッキーで気を付けている点は、顔や手の表情を省略しないことです。時には彫刻家のように全身のムーブマンを描いたり、シルエットを描いたりも試みるのですが、やはり顔や手の表情が気になります。手の表情があまりにも外れていて、トルソは良いのにあまりにも残念

  • クロッキー578 人間を描くとは

    人間の姿とは何でしょう。もしくは「人間とは何でしょう」。大問題です。西洋の美術の歴史を見ていると、中世イコンの絵画世界から人間を描き始めた最初はジョットで、ジョットが人間中心のルネッサンスの扉を開いたといいます。ジョットは聖フランチェスコの生涯やイエスキ

  • クロッキー 576 人間を描く

    歴史の長い間、人間を語ってきた絵画が20世紀になって突然絵画が絵画自体を語る、すなわち、色彩、絵の具のマチエール、描画法、デザイン構成、展示方法、画面形態などが絵画のテーマ、主題、目的だと言うことになりました。これでは通常の人間生活と接点がありません。それ

  • クロッキーの続き 575

    美術の楽しみは健康で陽気で積極的な人生を支えるものであるとの考えが幼い頃からあり、美術へのあこがれはそのまま明るい豊かな人生へのあこがれでもありました。しかしそのような美術はもう見当たりません。現代の美術の情報からわずかにこぼれた過去の美術の片鱗をつなぎ

  • 反芸術

    古典主義は必ずしも古典作品を意味したものではありません。古典作品の継承であれば、それは古典の主義ではなく古典の保存継承で修復のような価値基準になります。古典主義は古典作品の美の基準を継承しようとしたもので、自然との調和であるとか優美であるとか、理想や仕上

  • 美術的な価値

    女性美や神話の美術ネタには必ず登場する彫刻家、アントニオ・カノーヴァの作品の多くは美術史の本よりも歴史の本の方で目にすることが多いでしょう。三美神像やポリーヌ・ボルゲーゼ横臥像(ナポレオンの妹)など彫刻の典型と言える作品群です。このカノーヴァを大きく取り

  • 19世紀の姿

    公の美術史とは勝手なもので、現代の体制を窮極の目的であったかのように順序立て、あたかも当然の帰結であるかの様に語ります。20世紀は特殊な時代です。あたかも異教世界がキリスト教世界に変わったように、またルネッサンスに宗教改革が生まれたように、文化を享受してい

  • 新古典主義

    現代の芸術の考え方と古典主義の芸術観は大いに異なっています。古典主義は芸術を調和の美の探求とし、自然の模倣と優美とを両立させました。近代でも19世紀初頭には奇抜奔放なバロック美術やロココ美術への対立軸として「新古典主義」が唱えられました。そしていつの間にか

  • 私のクロッキー

    クロッキーは短い時間で面白い形を見つけ記録することです。何が面白いか、人それぞれで、どのクロッキーが良くて、どのクロッキーが悪いかなどと判断する基準はありません。モデルに面白い曲線を見つけることもあり、姿全体が美しいこともあり、形が違っていても線の強弱、

  • 新年挨拶

    新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。というわけで2022年もスタートしました。これからはクロッキーばかりではなく、気軽な落書きもどんどん載せていこうと思います。モデルを直接に描くクロッキーはどうやら年寄りの趣味のようになってきま

  • 絵本のイラストレーション

    絵で自由に描くことが許される世界を探すと、絵本のイラストレーションに行き着きます。絵本は全く自由だなと思います。美術の堅苦しいいオリジナリティーだとか創造性だとか革新性だとかを言わないのに、それでいてオリジナリティーにとみ、クリエイティブで、時代の最先端

  • 似顔絵

    戯画の楽しみの中に似顔絵という特殊ジャンルがあります。人物の特徴を誇張して誰が見ても似ているなと思わせるわけなのです。似顔絵が描かれるのは実物の人物が皆の記憶にある時が普通ですが、山藤章二のような達人の似顔絵になると、本人を知らなくてもこれはすごく似てい

  • キャラクター画

    様々なモノを擬人化して注目させるキャラクターの方法は鳥獣戯画など古くからある漫画的なディフォルメです。江戸時代の漫画では動物の擬人化に限らず鍋や釜、耳や鼻、野菜や虫などあらゆるものが擬人化され戯画の登場キャラクターとなります。擬人化の面白さは洋の東西を限

  • 漫画効果

    人間の形が私達人間にとって格別のものであるのは前回述べましたが、ただ人間の形、例えば写真のようなものは漫画や人形より弱く感じられます。そこにディフォルメの効果があるのでしょう。人間にして見慣れた人間の顔ではないようなものが強い印象を与えます。動物なのに人

  • 最近のクロッキー569 人間の形

    最近、児童画や漫画風の絵を描いているのですが、花にでも野菜にでも人間的な様子を少し加えるだけで絵が生き生きしてきます。どこにも理論的な根拠はないのですが、人の形は人間にとっては格別のものであるようです。これは抽象的な生命感の造形思考では出てきません。ヘン

  • 最近のクロッキー568 ソーシャルな対話

    絵画の鑑賞に際して他人の評価や解説は作品に触れる機会を与えてくれるので歓迎ですが、それ以上のものにはしないことです。全国うまいもの情報とか名店案内と言ったものと同様で、商品の特徴やお店側の売りについて知ることができ便利なのですが、食べて美味しいか不味いか

  • 最近のクロッキー567「個性」の正体

    「個性」の時代と叫ばれましたが、実のところ「個性」のない作品は過去にも現在にもありません。すべてが個性的です。というか、すべてが個別の戦略を持って作品を提出しているので、全てがそれなりに表現的で個性的です。ではなぜ「個性」が近代美術では重要とされるのでし

  • 最近のクロッキー566 本来の「個性」

    近代の美術で重要なのが「個性」です。作品の成立に必要なのではなく、作品の評価に欠かすことのできないものとなっています。ところが、「個性」という言葉はオリジナリティと同義に考えられているので、一定のスタイルを示すことも個性と解されます。モリス柄とかソレイア

  • 最近のクロッキー565 「個性」の時代

    美術品を鑑賞するに「自己投影としての美術作品」という概念を当てて見たところで、個人のアイデンティティは千差万別でマスメディアの時代には不向きです。不向きではないとしてもマスメディアが扱える対象ではありません。マスメディアが扱えるにはある程度の多数者が賛同

  • 最近のクロッキー564 美術の堕落

    美術の世界がとんでもなく歪んでしまったのは19世紀以降の美術品の売買が盛んになってからでしょう。それまでの美術は作品の所有者と作品との関係は明確でした。しかし、一旦、美術品が商品として所有者と切り離されると株券のようなものに扱いが変わります。値上がりしそう

  • 最近のクロッキー563 絵画は装身具

    美術は装身具の延長と考えてもよいのでしょう。装身具は単に他者に向けてつけられるものではありません。自己確認、自己の立場、有り様を確認するためにもつけています。礼服を着ればそれなりの立ち居振舞いをするでしょうし、ジャージーならくだけたくつろいだ気分や態度に

  • 最近のクロッキー562 自己防衛手段

    無装飾は他者からの新しい情報を受け入れるという姿勢を示しています。現代美術の黎明期に何も描かれていないキャンバスという作品がありましたが、これなどは無地の自己を宣言したものです。新しい世界が始まろうとしている、その世界から発信される新しい情報によって自己

  • 最近のクロッキー561 無装飾

    なにもない無装飾の空間では、情報だけが場を決定します。そこに窓があればそこから見える景色がその場を決定しますし、テレビがついていれば、深刻なニュースの現場の雰囲気に引き込まれます。来客があればその客の語る世界が広がります。ところが絵画があればどうでしょう

  • 最近のクロッキー560 絵の声

    絵が飾ってある空間が少なくなりました。展覧会では多くの絵を見ることができるのですが、実際はどこに置かれているのだろうかと思います。自分の部屋は常に絵や描きかけの絵だらけなので、絵はそんな部屋のいたる所にあるものかと思っていると街ではほとんど見当たりません

  • 最近のクロッキー560 エコール・ド・パリ

    文化は皆が同じことをする、真似をし合うところから生まれます。しかし、現代のアートはオリジナリティーを最重要とします。因って、アートは文化にはなりにくいものです。三段論法です。オリジナリティーを競う現代のアートですが出来栄えと鑑賞法はどこか似ています。ジャ

  • 最近のクロッキー559 美の伝統

    モジリアーニの引き伸ばされた顔は彼の彫刻でのディフォルメと関係しているとされます。しかし、彼の絵画の傾いたフォルムはボッティチェッリのようなイタリア画家の優美さから来ています。美の伝統です。面白いことに、ボッティチェッリもモジリアーニもよく模写されます。

  • 最近のクロッキー558 ボッティチェッリの線描

    モジリアーニの絵の面白さはセザンヌに傾倒したキュビズムの仲間たちの影響が大きいのでしょうが、画像の優しさと風格はイタリア美術の伝統が色濃く反映されているように思えます。イタリア美術を決定的なものにしているのはフレスコ画の伝統の中で築かれたものでしょう。フ

  • 最近のクロッキー557 ディフォルメ

    「甘味なるフランス」展が文化村ザ・ミュジアムで開催されています。コロナ禍の中、久しぶりに展覧会の展覧会。ポーラ美術館のかなりの充実したコレクションでした。エコール・ド・パリの画家を中心にモネやルノワール、ピサロといった印象派の絵を加えて、絵の楽しさが十分

  • 最近のクロッキー556 カラヴァッジョニズム

    写真が現れてから古典絵画は「写真のよう」と一括される様になり、更に19世紀末以降、写真を利用した下絵が多くなると、古典絵画も更に解釈され写真に近い表現がよりリアル、より絵画の目的に近いかのように解釈されるようになりました。17世紀に多大な影響を与えたカラヴァ

  • 最近のクロッキー555 写真がリアルか

    写真に囲まれて生活している現代の人たちは「古典絵画は写真のようにリアル」と思います。これは視覚的な画像として写真の方が絵よりも先に経験され、事物の認識方法として馴染んでいるからです。すなわち写真は本物から直接形どられたという機械的な関係からリアルという意

  • 最近のクロッキー554 先入観

    自分の絵の好みは子供の頃に触れた絵画から来ています。今更ながらに自分を顧みて子供の文化環境は重大な影響を与えると思います。私の手元にあった画集が古いものだったので、自然に19世紀やルネッサンスの絵画が最も自然な絵画との意識を持つようになりました。思春期にな

  • 最近のクロッキー553 絵が好き

    私は子供の頃から勉強は嫌いで絵が好きでした。生まれつきそうしたものだと思い、絵が好きとはどういうことなのかと特に考えることはありませんでした。しかし、絵が好きでも皆それぞれに違うのだと今更ながらに思うようになりました。古典絵画が好きといっても人それぞれ違

  • 最近のクロッキー552 現代美術と過去美術

    『現代美術』という用語を使ったときには『過去美術』という概念が暗に成立しています。『過去美術』というのはあまりに広範ですので、直近の既成美術が『過去美術』を代表するのでしょう。その『過去美術』を定義するときに絵画の形式や様態をもって定義するのは始めから簡

  • 最近のクロッキー551 技術の匿名性

    日記であれ報告書や小説であれ、文章を手で書いた時、それらの文字には筆者の感情や性格や癖などが記されます。しかし、文章の目的は共通の言語で内容を伝えることです。かつて、絵画もそのようなものでした。エジプトの象形文字などはその典型的なもので、しかも殆どが大変

  • 最近のクロッキー550 革新性

    戦後の美術史の基本概念は作品の革新性でそこに焦点が当てられています。常にどの時代にも次の時代の先駆けとなった作品、作家がいるのですが、美術の価値をその革新性に置くとすると、それぞれの次の時代には結局否定されてゆく価値なのです。革新されたものが普遍的な価値

  • 最近のクロッキー549 残念な世紀

    20世紀は残念な世紀です。悲しみや苦しみ、差別や孤独などが人間らしいテーマとされ、乱暴で汚らしくバランスを失ったものが神聖視され、美しいもの純粋なものが偽善と見做されました。人間が人間らしく誇らかであることが鈍感や横暴を意味し、弱者となり、差別を受けること

  • 最近のクロッキー548 個人と個人

    現代では絵よりも、テレビや雑誌の映像や写真が一般的な視覚伝達手段となっています。絵もキャラクターのように対象から大きく隔たった形式の画像が多くあります。絵は写真とは異なり主観を排除することはできません。排除できないどころか、主観そのものが絵画が本当に伝え

  • 最近のクロッキー547 人間臭さ

    絵の強さは常に絵であることによります。如何に写実的であっても写真が現れる前の絵画は絵的でした。絵的であるというのは、描かれる形態が、一度は描き手の脳の神経細胞を通過し、何らか概念化されて表現として吐き出された形態であると言うことです。絵的であるとは、絵の

  • 最近のクロッキー546 古き良き時代

    絵画が文化であった時代、絵画の担った役割は自分たちの精神を反映させて、良きものを広く記念するためのものでした。自尊心、プライド、克己心、忍耐、寛容、優雅、慈悲などあらゆる精神の支えとなるものを象徴し、絵として実践してみせる場でした。厳しさを切り抜け未来を

  • 最近のクロッキー545 文化の視点

    文化の本質を見誤ると、各ジャンルの独自性が本質であるかのように誤解してしまいます。建築であれば鉄やガラスの可能性であるとか写真であればドキュメンタリーの記録性であるとか細部描写であるとか、また彫刻であれば石の重量感とか飛翔的な形態であるとか、他のジャンル

  • 最近のクロッキー544 絵画史理論の短絡

    絵画を対象物の模倣から対象物の印象、更に対象物を借りた表現感情、自己の造形意識の定着というように歴史的な変化を遂げたという絵画史理論を現代の学者達は構築しました。自己表現、自己の造形感覚を表現することが絵画の目的であるとして、絵画をグラフィックデザインの

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