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方広寺鐘銘事件の梵鐘 参拝日:令和6年(2024年)5月21日 方広寺大仏殿跡 本 堂 鐘 楼 梵 鐘 アクセス 智積院より徒歩5分、方広寺・豊国神社に向かいます。 方広寺大仏殿跡 現在の大仏殿跡地 京の大仏は、京都の方広寺にかつて存在した日本の大仏。 初代から4代目まで存在したが、4代目大仏が焼失したことから現存していない。3代目大仏は、日本三大仏の1つに数えられた。 初代大仏は、文禄5年に豊臣秀吉の発願によって造られ、その後破却された。 ウィキペディア 本 堂 公開していない模様 鐘 楼 梵 鐘 「国家安康 君臣豊楽」の銘文 ja.wikipedia.org 方広寺(京都市東山区) 方広寺…
何物についても「日本三大◯◯」という表現はあるようで、例えば先日はなどは 「日本三大灯籠」なんてものにぶつかって、かなりマニアックな「三大」が あるものだと、ある意味感心したものです。 お話のついでに、その「三大灯籠」についてもちょっと触れておくと、それは こんな案内になっ...
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
かつて方広寺の大仏の台座があったとされているところは、「大仏殿跡緑地公園」として整備されています。中央の盛り上がったところに、大仏が安置されていたそうです。 大仏殿跡緑地 かつてこの地には、豊臣秀吉が奈良東大寺にならって創建し、その後秀頼が再建した方広寺の大仏殿が、偉容を誇って建っていました。現在の緑地はその中央部にあたり、2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。調査...
京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 88.徳川家康・七十六
方広寺鐘銘事件は、バカバカしい程の徳川家康の言い掛かりであるため、本項において、簡略化して説明する。 方広寺は、京の大仏と呼ばれ、豊臣秀吉が、発願し、建設さ…
慶長三年(1598年)に豊臣秀吉の遺体を東山の阿弥陀々峰に葬り、翌年に社殿が山腹に創建されましたが、豊臣家滅亡後に徳川家により取り壊され、現在の豊国神社の社殿は1880年(明治13)方広寺大仏殿跡地の現在地に再建されたものです。旧福岡藩主の黒田長成侯爵が中心となり境内の整備が行われ、1897年(明治30年)には神社境外地の阿弥陀ヶ峰山頂に伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられました。豊国神社豊臣秀吉を祀る...
たまたま遭遇した奈良の大仏さんの紹介記事には、こんなことが書いてありました。 ~(奈良・東大寺の大仏は)第45代・聖武天皇の発願で745年に制作が開始され、 752年に開眼供養会が行われた~ 現在からなら1,400年近くも以前のことになりますから「メッチャ大昔の出来事」 ...
2020年 (88-2) 豊国神社/方広寺/羅城門跡/西寺跡23May20
*** 豊国神社 *** 豊国神社は京都国立博物館の北隣り(とよくにじんじゃ/ほうこくじんじゃ)。じつは私、このお社初めてです。スポット多過ぎの京都で順番が回…
1615年5月8日、 大坂夏の陣で豊臣秀吉の息子の秀頼と、 その母淀殿が自害し豊臣家が滅亡します。 (豊臣秀吉死去、天下取りに動く家康) 1598年、豊臣秀吉は62歳で死去します。 この時、跡取りの豊臣秀頼は5歳の誕生日を迎える直前でした。 秀吉の死後、徳川家康は天下取りにむけ、本格的に動きます。 1600年の関ヶ原の戦いで、石田三成勢を破り、1603年には、家康は征夷大将軍に 就任し江戸幕府を開きます。 ちょうど同じ年に秀頼は家康の孫の千姫と結婚します。 この千姫は、秀頼の母親・淀殿の妹・江と2代将軍家忠の間にできた子供で、 これは従妹同士の結婚でした。 1605年には家康は将軍の座を息子の…
江戸時代に入って10年あまりの1614年4月16日、 京都府京都市東山区にある天台宗の寺・方広寺の鐘が 豊臣秀頼により鋳造されました。 この方広寺は、もともとは豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立した寺でしたが、燃えたので息子の秀頼が再建しました。 (「国家安康」「君臣豊楽」) 方広寺の鐘は、日本三大梵鐘にも数えられていますが、そこに刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」という文言に対して徳川家康が大坂冬の陣を起こしたことで知られています。 (鐘の銘文) 豊臣家滅亡への引き金となった方広寺の鐘は高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、 重さ82.7tもの巨大な鐘です。 この鐘に刻まれた銘文、…
今回の神社は【山城国】豊国神社 の紹介です。 ここは以前よりその名を存じており、今年の上洛の旅において初めて訪れることが出来て感無量でした。 それは天下人でかの豊臣秀吉公を祭ったものであ