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京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...
第681回ブログから2回分を使って京都国立博物館を散策し、正門を出たところで西を向いています。目の前で、4車線の大和大路が南北に伸びています。今回は、博物館の北隣にいらっしゃる豊国神社にお邪魔します。撮影日は、2019年8月27日火曜日午後3時45分。今シリーズのメイン正面通がやっと登場します。京都国立博物館正門の前で、大和大路を南に向いています。約100m先で、七条通と交差しています。七条通沿いをたくさんの方...
江戸時代に入って10年あまりの1614年4月16日、 京都府京都市東山区にある天台宗の寺・方広寺の鐘が 豊臣秀頼により鋳造されました。 この方広寺は、もともとは豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立した寺でしたが、燃えたので息子の秀頼が再建しました。 (「国家安康」「君臣豊楽」) 方広寺の鐘は、日本三大梵鐘にも数えられていますが、そこに刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」という文言に対して徳川家康が大坂冬の陣を起こしたことで知られています。 (鐘の銘文) 豊臣家滅亡への引き金となった方広寺の鐘は高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、 重さ82.7tもの巨大な鐘です。 この鐘に刻まれた銘文、…
西大谷の南にありて天正六年豊公の創建に係る像は木鉦を造りて中心とし左右棧路を棧して背後を一週し得るの造営なり 寺鐘は慶長十九年秀頼の鋳造せし所にして僧清韓の名あ […]
大阪の陣で「豊臣氏」滅亡のきっかけを作った・・・といったら、鐘が悪いみたいだけれど、「徳川家康」に「豊臣秀頼」が、ほぼ、ほぼ、言いがかりな、難癖をつけられた「君臣豊楽 国家安康」の文字が刻まれた方広寺の鐘。一度見てみたかったのです。京阪線の