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「君臣豊楽」「国家安康」の文字が刻まれており、大阪冬、夏の陣のきっかけになった鐘がある「方広寺」の横に「豊臣秀吉」公をご祭神とする「豊国神社」があります。豊国神社鳥居妻の「ねね」が「秀吉」を弔うために建てたと言われる高台寺(東山区 祇園).
大阪の陣で「豊臣氏」滅亡のきっかけを作った・・・といったら、鐘が悪いみたいだけれど、「徳川家康」に「豊臣秀頼」が、ほぼ、ほぼ、言いがかりな、難癖をつけられた「君臣豊楽 国家安康」の文字が刻まれた方広寺の鐘。一度見てみたかったのです。京阪線の
京都の四条大宮にかつての新撰組の屯所だった八木邸があるのをご存知でしょうか。お隣が和菓子の「鶴屋」さんというお店でそちらの店舗で、お抹茶、お菓子付き、邸内ガイド付きの入館券を求め、(大人 1,100円)入廷します。私はたまたま、ガイドの方の
新撰組は京都市中の反幕府派の勢力のとりしまり、治安維持のために組織されました。最初彼らは「壬生浪士組」と呼ばれていましたが、1863年の「八月十八日の政変」で働きが認められ、京都守護職 松平容保(まつだいら かたもり) から「新撰組」の名前
新撰組の産みの親である会津藩主 松平容保公(まつだいら かたもり)は幕末、京都の治安維持を預かる京都守護職に就任しました。後に陸軍総裁、軍事総裁職を歴任し、維新後は日光東照宮の宮司になっています。当時は尊王攘夷派の一部の過激な志士たちによっ