メインカテゴリーを選択しなおす
幕末の志士や新撰組が活躍した京都。「幕末」をテーマに縁の場所を巡る旅 vol.2 二条城は1603年 江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所にするために築城されたもの。 15代将軍だった徳川慶喜...
幕末の志士達の京都をめぐって歩いてみました。まずは、伏見区にある旅館「寺田屋」。 薩摩藩士の同士討ち事件や、坂本龍馬が襲われた時、後に龍馬の妻になる「お龍」がお風呂場から裸で階段を駆け上がって龍馬に危険を知らせたという史実でも有名な宿。訪れ
京都の四条大宮にかつての新撰組の屯所だった八木邸があるのをご存知でしょうか。お隣が和菓子の「鶴屋」さんというお店でそちらの店舗で、お抹茶、お菓子付き、邸内ガイド付きの入館券を求め、(大人 1,100円)入廷します。私はたまたま、ガイドの方の
新撰組は京都市中の反幕府派の勢力のとりしまり、治安維持のために組織されました。最初彼らは「壬生浪士組」と呼ばれていましたが、1863年の「八月十八日の政変」で働きが認められ、京都守護職 松平容保(まつだいら かたもり) から「新撰組」の名前
新撰組の産みの親である会津藩主 松平容保公(まつだいら かたもり)は幕末、京都の治安維持を預かる京都守護職に就任しました。後に陸軍総裁、軍事総裁職を歴任し、維新後は日光東照宮の宮司になっています。当時は尊王攘夷派の一部の過激な志士たちによっ