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~一人の人間の生命は全地球よりも重い~現代日本人はこの理念を常識として刷り込まれている。しかし、昔の日本にはそうでもなかったと感じさせる言葉もあった。~武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり~がそれだ。佐賀藩士・山本常朝(1659-1719年)の口述を同藩士が筆録した『
何年も前のことですが、とある年配者との間でこんな言葉が話題になったことが ありました。 ~武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり~ そして、その時の筆者がこんな感想を漏らしたのを、なにがキッカケだったか、 最近ひょいと思い出したのです。 ~武士って、こりゃまた凄い覚悟を持って毎日...
こんなクイズを出されて、あなたはすぐさま答えることができますか? ~徳川将軍は延べ15代を数えましたが、ではその第4代のお名前は?~ 日本史にそれなりの知識を持っている人は別として大方のところは、こんな感じに なるのでは? 確か初代の家康を初めとして、代々の徳川将軍の名前に...
武家統制を目的とした「武家諸法度」(元和令/1615年)は、徳川幕府初代将軍・徳川家康の命により二代将軍・秀忠がまとめ上げ、それ以降以下のように数度の改訂?が加えられている。〇寛永令(1635年) 三代・家光 →参勤交代/大船の建造禁止〇寛文令(1663年) 四代・家
二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)は、その後も諸大名をコントロールすべく対策を怠ることはなかった。目につく大名に対してはしっかりイチャモンをつけ、次にはその
その日、家族から「ぼっち」のお留守番を申し渡されたのですが、なにぶんにも 手持無沙ですからTVを観ることに。 しかし、これがまた感心するほどにつまらなく作られていて、ほどなくギブアップ。 そこで、たまたまネットを眺めてみたところ、目を引いたのが東京大学による 「前近代日本史...