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武士の殉死を古くさいと思うかどうかは作品次第。 ドラマ 《阿部一族》深作欣二監督
《阿部一族》 江戸時代初期に 熊本肥後藩で、実際に起こった悲劇。 1995年、フジテレビで、森鴎外の短編小説《阿部一族》を深作欣二監督がテレビ時…
武家統制を目的とした「武家諸法度」(元和令/1615年)は、徳川幕府初代将軍・徳川家康の命により二代将軍・秀忠がまとめ上げ、それ以降以下のように数度の改訂?が加えられている。〇寛永令(1635年) 三代・家光 →参勤交代/大船の建造禁止〇寛文令(1663年) 四代・家
安陽殷墟には人骨がいっぱい、古代中国の殉死・殉葬・生贄文化を考える☆安阳日帰り旅行記後編
こんにちは。。15時現在の開封市、気温33℃ 湿度41%です。青空が綺麗で、とても良い天気です。 さてさて、 今日は安陽日帰り旅行記後編、安陽殷墟内で見られるたくさんの人骨について書いていきたいと思います。人骨そのものの写真は載せていませんが、人骨のある場所の写真は多く掲載しています。ご了承ください。 前編はこちら↓ tpakira.hatenablog.com 中編はこちら↓ tpakira.hatenablog.com
生き死にの問題について、一家言がある、かの鈴木正三道人(1579~1655)が、「殉死」について語っていたので、採り上げてみたい。七十一去人来曰、此比、或長老、追腹切者に向て曰、後世義可心安、某能弔んと有ければ、彼者曰、我を吊ひたり。師聞て曰、我ならば云べし、そのつれのばかを云か、道理であほうばらを切る也、一処に往けばよしと思ふや、今生にても、主と一処にある者、賢にして主の用に立者あり、亦愚にして主人の怨と成者あり、其上死しては、自由に一処に往くと思ふや、主は主、下人は下人、親は親、子は子、己己が業次第に、善処ゑも悪趣ゑも往く也、故に吊に仍て、業を転ずるぞと也。『驢鞍橋』巻中、カナをかなに改める「殉死」への批判というべき文章であるが、文脈はかなり捉えづらい。とはいえ、正三が語る内容だけは良く分かる。まず、...鈴木正三に見る「殉死」批判について