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鵠沼山 清光院 万福寺(→神奈川県藤沢市鵠沼神明3丁目)は鵠沼最古の寺院で、鎌倉時代中期の1245(寛元3)年に、親鸞(しんらん)の直弟子で関東六老僧の1人のである源海が開山・創建した浄土真宗大谷派(→東本願寺)寺院です。『新編相模風土記稿』には「寛元三年(→1245年)僧源海創建す、俗姓は安藤駿河守隆光、武州(→武蔵国)荒木住人なり」と記されていますが、「駿河守」というのは誤伝となります。当時の駿河守は伊具北条有時(→義時の...
鎌倉のメインストリート若宮大路に面した一等地に、鎌倉幕府初代連署の北条時房邸跡があります。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもお馴染みの北条時房(トキューサ)の邸宅跡には、解説版と鎌倉時代の有力御家人邸宅・幕府の位置がわかる看板があります。
京都東山区の六波羅蜜寺には、承久の乱後に、鎌倉幕府が設けた「六波羅探題府跡」の碑があります。それまでの京都守護を改組し、京都六波羅の北と南に設置した出先機関で、初代探題は、北条時房と北条泰時。承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配されましたが、それまで幕府の支配下になかった荘園であったため、これらの荘園にも地頭が置かれることになりま...
再度鎌倉の大河ドラマ館を見学してきました。11月に模様替えされて、初期の頃とは異なる展示物も展示されていました。まだ純粋な青年だった頃の小四郎こと北条義時家族が和気あいあいだった頃の北条家この頃が懐かしいですね~出ました!平六こと三浦義村です!決して相談してはならないお方(^0^;)襟を正すと要注意(..;)源氏三代揃い踏み。いつの間にかお三方とも逝ってしまわれた(; ;)実朝くんの手には、演じた柿澤勇人さんが来館...
木曽川を突破した幕府方の東海・東山両軍は、三浦義村の提案で、北陸勢の到着を待たずに、近江瀬田川まで進むことにしました。木曽川の惨敗を知った後鳥羽上皇は、比叡山の衆徒を頼り、順徳天皇や親王・近臣を伴い、近江坂本に移りました。後鳥羽上皇の日吉参り(承久記絵巻より)しかし、上皇の寺社抑制策が災いして、比叡山はこれを無視し、上皇は孤立してしまいました。雪の日の比叡山延暦寺根本中堂承久3年(1221年)6月9日、上...
承久3年5月22日、北条泰時がわずか18騎で先発すると、諸国の武士達が集まり、東海道は北条泰時・時房、東山道は武田信光・小笠原長清、北陸道は北条朝時(ともとき)・結城朝広(ゆうきともひろ)らを大将軍として、三道から攻め上りました。27日、北条義時は、義時討伐の院宣を持った院の使者・推松丸に宣旨の返書を持たせました。28日、泰時一行は遠江国に入りました。連日の雨により、洪水が発生しているということで、船で渡ること...
鎌倉殿の13人 第46話「将軍になった女」 ~阿野時元の自害と三寅の東下、そして尼将軍政子の誕生~
日本史上にはいくつもの大きなターニングポイントがありますが、源実朝暗殺という衝撃的な事件も、そのひとつだったといえるでしょう。公暁という若干20歳の若者...
北条時房、京から三寅を連れて帰る…「北条時房邸跡」他ゆかりの史跡めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、北条時房、京から三寅を連れて帰る…「北条時房邸跡」他ゆかりの史跡めぐり…です。
JR鎌倉駅から若宮大路を通って、鶴岡八幡宮に向かって歩いて行くと、とサンリオカフェがあります。ここは、歴史を遡ると、瀬戸康史さん演じるトキューサこと北条時房と北条顕時(あきとき)が住んでいた北条時房・顕時邸でした。店内ではその遺構が一部展示されています。この遺跡は、鶴岡八幡宮の南、若宮大路の西側に面し、鎌倉時代には北条氏の館があったとされる区画に位置しています。発掘調査では、鎌倉時代(13世紀)から室町...
承久の乱後、北条義時を筆頭とする、鎌倉の武家政権は、後鳥羽上皇の挙兵に参加した、畿内・西国の御家人達の守護職を次々と解任すると、新たに東国の有力御家人を任命…
1221年(承久三年)6月16日、北条義時が、京から鎌倉に派遣した、戦勝報告の飛脚は、6月23日の午前2時頃、鎌倉に到着した。 北条義時は、「今は、義時、何…
1221年(承久三年)6月15日、後鳥羽上皇に門前払いされた、京方の勇猛な武士達は、最後の戦いに挑んだ。 既に、承久の乱は、決着しており、武士としての最後の…
1221年(承久三年)6月14日、北条泰時は、宇治川の渡河の苦戦状況を見ると、長男の北条時氏を招き寄せ、速やかに川を渡って、敵の陣中に入れと命じた。 時氏は…
1221年(承久三年)6月13日、北条時房は、宇治川に攻め寄せていた。 京方に橋の板を引き落とされ、徒立ちの達者の悪僧達が、橋桁の上で、大太刀、長刀を自在に…
【武都】章『天地鳴動』編「承久の乱」⑨後鳥羽上皇の御幸と還御
山田重忠は、摩免戸を退却後、三百余騎を率いて、東海道・東山道の合流地点である、杭瀬河に向かった。 それに対し、武蔵七党の児玉党、三千騎が、攻め寄せた。 山田…
唐船建造の失敗などはあったものの、建保年間の幕政は安定していました。しかし、ただひとつ、大きな問題を抱えていました。将軍・源実朝の後継者問題です。建保5...
山田重忠は、清和源氏の祖、源経基の次男、源満政の後裔である。 重忠の父の重満は、墨俣川の戦いで、源行家の軍勢に参加して、戦死した。 山田重忠は、その後、源義…
【鎌倉殿の13人】北条時房を演じる瀬戸康史さんの過去の出演作とイッキ見する方法をまとめました。
【鎌倉殿の13人】北条時房(トキューサ)を演じる瀬戸康史さんの過去の出演作とイッキ見する方法。瀬戸康史さんが過去に出演した朝ドラや大河ドラマはU-NEXTのNHKオンデマンドで、D-BOYSの活動はTSUTAYA DISCASのDVD宅配レンタルで視聴可能です。
【博物館】鎌倉国宝館『北条氏展』vol.3-2ー義時と実朝・頼経ー|『鎌倉殿の13人』の関連展示でもっと学ぶ
鎌倉国宝館で開催中の『北条氏展』に行ってきました。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と連動して鎌倉市内では鎌倉国宝館と、鎌倉歴史文化交流館で『北条氏展』を実施しています。同じテーマで各館のカラーがよく出た展示でした。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜サブタイトルが『オンベレブンビンバ』ってめちゃ謎ぉ〜ってことで第37話の感想ぉ〜!畠山討伐で御家人たちの…
2022年の大河ドラマ、鎌倉殿の13人。頼朝が亡くなって以降のパワーゲームは面白いけど気が滅入る部分もあります…
中世に新しく歴史の表舞台に登場してきた武家も、「下文(くだしぶみ)」や「下知状(げちじょう)」などの貴族たちが用いてきた官文書由来の文書を使用しましたが、その一方で、書状(しょじょう→手紙)に由来する「御教書(みきょうじょ)」などの書札様(しょさつよう)文書も公文書として用いました。ただ、用途には違いがあります。「御教書(みきょうじょ)」とは三位以上の公卿(→貴族のトップクラス)の意志をその家の家司(けいじ→家来)...