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東京都日野市、JR日野駅からの歩き旅です。 (2017年8月当時) ▼日野市には2008(平成20)年7月に初訪問し、その時にこの日野駅を訪ねていますが、今回記事は9年ぶりに日野駅を訪ねて、少し巡った時のものです。 ただし、この写真を見てもわかると思いますが、あいにくの天気で、結局はあまり旅できずに終わってしまいました。 日野駅を見る度に、この屋根の赤さが印象的で、またこの時雨模様だった事もあり、余計にその赤さが光って映えていたように思います。 この赤屋根、裾の部分が何気に、高架下まで伸びていたのが見てて面白かったです。自販機などの庇になっていましたが、ここまでこの赤屋根のまま伸びていたとは、…
どうも、soul jemです。 さて、、、 現在、東京都は立川市に滞在中の私ですが、、、 今回からしばらくアニメの聖地巡礼はお休み、、、 私がここ立川市に訪れたのにはもう一つ理由があったのです、、、 それは、立川駅のすぐ隣りの駅「日野駅」にあります、、、 日野と言えば、言わずと知れた我らが新選組のふるさと、、、 そう、、日野 新選組巡りである、、、 京都、函館と、新選組の足跡を辿ってきた私ですが、、、 新選組の三大聖地も残るは日野のみ、、、いつか絶対に訪れなければ、、と常々思っていたのですが、、、 日野市、、関東住みの方々には身近な場所かもしれませんが、西日本の片田舎に住む私にとっては全く馴染…
渋谷氷川神社(→東京都渋谷区東2丁目)は、古くは氷川大明神といい旧下渋谷村・豊沢村の総鎮守として崇敬されました。江戸時代初期の1605(慶長10)年に別当寺を務めた恵日山 薬王院 宝泉寺(→東京都渋谷区東2丁目)の100代住職貿園が記した『氷川大明神並(ならびに)宝泉寺縁起』によると、古墳時代前期(→4世紀)の景行天皇の時代、日本武尊(やまとたける)が東征(→東国平定)の際、この地に素戔嗚命(すさのおのみこと)を勧請し、その後、平...
平尾杉山神社(→東京都稲城市平尾)は鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社で、その中でも最も上流域にあるといわれています。創建年代は不詳ですが、神仏習合の頃の戦国時代前期の1492(延徳4)年に社殿を再建し、神体として「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年五月五日」と刻された不動明王の懸仏(かけぼとけ→鏡面に付けられた神像や仏像)が奉納されました。しかし、この懸仏の神体は江戸時代末期の幕末期に失わ...
青龍山 円福寺(→神奈川県川崎市高津区下作延7丁目)は、戦国時代前期に小田原北条氏の2代北条氏綱の家臣となった増田駿河守満栄が開基、僧の雪点が開山した曹洞宗寺院です。山号は、創建以来彗日山→蒼龍山→青龍山と変遷したようです。増田駿河守は、北条氏の軍役・課税台帳である『小田原衆所領役帳』によると下作延(しもさくのべ→川崎市高津区)で70貫の知行を受けているので、合戦の際には本人+9人の足軽を率いて戦場に赴くことが...
長谷山 祥泉院(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、戦国時代前期に玉雄山 宝泉寺(→神奈川県藤沢市遠藤)の2代住職・碧岑東全が開山した曹洞宗寺院で、江戸時代には本山・末寺の制により玉雄山 宝泉寺の末寺となりました。祥泉院の開基は、寺伝によると鎌倉公方足利氏の家臣で中鉄村(なかくろがねむら)の領主村田太郎左衛門祥本と伝わります。ただ、碧岑東全と村田太郎左衛門祥本が死去した1548(天文17)年の頃、鎌倉公方は下総古河城...
白玉山 士峰院 朝光寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、戦国時代中期に上原勘解由左衛門(うえはら かげゆざえもん 誕生年不詳~1548年)が開基、僧の碧峯東全(誕生年不詳~1546年)が開山した曹洞宗寺院です。院号の士峰院は開基した上原勘解由左衛門の妻の法名「士峰院盛山浄栄」から採られたようです。禅宗寺院では普遍的な釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀っています。江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)...