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『ついに現われた幻の奉納文伊勢神宮の古代文字』(丹代貞太郎・小島末喜:著、小島末喜:1977年刊)という本の内容をご紹介しています。今回は、弓削道鏡の奉納文ですが、実は彼の奉納文だけは日本の古代文字ではなく漢字で書かれていて、2枚奉納されていますが、それらをまとめて「12」という番号が割り当てられています。【弓削道鏡の奉納文】番号順番内容121枚目天平神護元年道鏡法師三月2枚目應神天皇(姿絵)天平神護元年三月大政大臣道鏡法師なお、この時代のことは『続日本紀』(しょくにほんぎ)という歴史書に詳しく書かれているので、『訓読続日本紀』(藤原継縄・他:撰、今泉忠義:訳、臨川書店:1986年刊)という本を参考にして説明を進めていきます。また、奉納文の「應」は「応」の旧字体であり、天平神護元年は西暦765年で、その前...弓削道鏡の奉納文
称徳天皇の生前、道鏡の政権下では、765年(天平宝字九年)に、右大臣の藤原豊成が、死去すると、藤原永手が、太政官の筆頭公卿の地位を保った。 藤原永手は、弟の…
769年(神護景雲三年)5月、道鏡の弟である、大宰帥の弓削浄人と中臣習宜阿曾麻呂が、「道鏡を皇位に就かせれば、天下は泰平である」との内容の宇佐八幡宮の神託を…
765年(天平神護元年)は、飢饉及び、和気王の謀叛事件が起きて、藤原仲麻呂の乱後の政情は、不安定であった。 和気王は、天武天皇の曽孫で、舎人親王の孫に当たる…
藤原宇合の九男、藤原蔵下麻呂は、藤原仲麻呂の乱が、勃発すると、孝謙上皇に味方し、前述の通り、近江国へ逃走した、仲麻呂軍を孝謙上皇軍が、追討した際に、藤原蔵下…
藤原豊成は、大宰員外帥に左遷されると、抗議の意を込めて、「病気」と称して、難波の自身の別荘に籠ったことから、豊成の大宰府行きは、無期限延期状態となり、別荘に…
763年(天平宝字6年)1月、藤原仲麻呂は、自身の息子の真先を、氷上塩焼(塩焼王)と共に参議に任じた。 しかし、同年6月、仲麻呂の正室の藤原袁比良が、死去し…
#498 TVアニメ『まんが日本史09「道鏡の野心-貴族と僧侶の争い」』
『まんが日本史』で、天皇になろうとした野心あふれる僧である道鏡の成り上がりから遠流までを描いたものがヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 野心あふ…