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781(天応元年)4月3日、山部親王は、父の光仁天皇に譲位されて、桓武天皇となった。 翌日の4日は、同母弟の早良親王を皇太子と定めて、11日後の15日に即位…
771年(宝亀二年)2月、光仁天皇の即位の翌年には、左大臣の藤原永手が、死去する。 永手の死後、式家の藤原良継が、内臣に任じられ、右大臣の大中臣清麻呂に次い…
称徳天皇の生前、道鏡の政権下では、765年(天平宝字九年)に、右大臣の藤原豊成が、死去すると、藤原永手が、太政官の筆頭公卿の地位を保った。 藤原永手は、弟の…
769年(神護景雲三年)5月、道鏡の弟である、大宰帥の弓削浄人と中臣習宜阿曾麻呂が、「道鏡を皇位に就かせれば、天下は泰平である」との内容の宇佐八幡宮の神託を…
765年(天平神護元年)は、飢饉及び、和気王の謀叛事件が起きて、藤原仲麻呂の乱後の政情は、不安定であった。 和気王は、天武天皇の曽孫で、舎人親王の孫に当たる…
藤原宇合の九男、藤原蔵下麻呂は、藤原仲麻呂の乱が、勃発すると、孝謙上皇に味方し、前述の通り、近江国へ逃走した、仲麻呂軍を孝謙上皇軍が、追討した際に、藤原蔵下…
本日、「月刊・歴史チップス」2024年6月号皇位味(通算272号)、「天皇抜擢! 一転罪人! 天国と地獄を味わった男! ~ 流刑にされた現役天皇は二人だけ!淳仁天皇!!」 を、更新しました。 誤記や乱文の修正やリンクの追加などは追々行います。●歴史チップス●...
-つづき西大寺奈良時代 称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために創建今日、ここに来た目的は、愛染堂の秘仏 愛染明王坐像(重文)が公開されているからだ奈良で愛染明王といえば、西大寺が有名絶対これは見てみたいえっ、想像より、すごく小さい・・・ 31.8cm 1面3眼6臂写真はもちろん撮れないのでリーフレットの写真から。実物は赤い色が見事に残っていて、怒ったお顔なんだけど可愛いずっと眺めていたかった愛染堂にはも...
ある種の原則、あるいはい通過儀礼と言っていいのかもしれませんが、歴史には ~新権力者は必ず旧権力者を悪く言う~ こうした性癖が厳として存在しています。 いささかみみっちい感じがしないでもありませんが、そうすることによって、つまり 「悪者を成敗した・失脚させた」という理屈由...
#498 TVアニメ『まんが日本史09「道鏡の野心-貴族と僧侶の争い」』
『まんが日本史』で、天皇になろうとした野心あふれる僧である道鏡の成り上がりから遠流までを描いたものがヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 野心あふ…