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比叡山の麓にある坂本の恵日院の境内にある慈眼堂は、慶長12年(1607年)から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の延暦寺の復興に尽力した天海の廟所です。正保3年(1646年)に建立された江戸時代初期の禅宗様を基本とする仏堂で、国の重要文化財に指定されています。堂内には木造慈眼大師坐像(重要文化財)を祀っています。境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏群のうちの13体の阿弥陀如...
武田信玄と織田信長は、お互いを良く知っていた。 何故なら、美濃遠山氏が武田と織田に両属していて、情報の受け渡し役をしていたから。 信玄から信長へ、今川義元の動きは全て知らされていた。桶狭間の戦いは、信玄抜きでは語れないものである。
NHKの大河ドラマなどはたまにしか見ないのですが、何年か前に途中から時々見た時に、信長のそばで正室のようにふるまっている女性がいて最後に本能寺の変で信長とともに薙刀をもって戦っていたので、この女性は誰のことかと思って見ていたら、ほとんどありえない濃姫だという設定だったことを知って少し驚きました。 織田信長の場合は、他のほとんどのドラマでも相当史実とは違うように脚色されているように思います。 信長と濃姫の結婚は典型的な政略結婚で、1548年に斎藤道三と織田信秀が講和を結ぶことになり、翌1549年に14歳だった道三の娘帰蝶(濃姫)が15歳だった信秀の子信長のもとに嫁いだといわれています。信長と濃姫…