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#4494 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
令和7年1月23日(木) 【旧 一二月二四日 大安】 大寒・款冬華(ふきのはなさく)朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪 ~坂上是則 (生没年不詳)『古今和歌集』 巻6-0332 冬歌空がほのかに明るくなりはじめた早朝、有明の月が出ているのかと思うほどに吉野の
百人一首の覚え方:決まり字を使った効果的な暗記方法や、色・テーマ・イメージを使って覚えるコツを紹介
百人一首を覚えるには、決まりやテーマ(季節や恋愛)を使った方法が効果的です。また、音読や視覚化を取り入れることで記憶が定着しやすくなります。年齢は小学生高学年からが適しており、覚える時間は個人差がありますが、数ヶ月から1年程度を見込むと良いでしょう。
百人一首の全歌を解説:1番首「秋の田の」から100番首までの現代語訳、作者、背景を解説
百人一首の全100首を現代語訳でわかりやすく解説。恋愛や四季の美、人生の喜びと悲しみを詠んだ和歌と、その背景、作者の情報を紹介します。第一首の「秋の田の」(天智天皇)から第百首の「百敷や」(順徳院)まで全100首です。古典の魅力を再発見し、日本文化の深さに触れられる記事です。
令和6年10月18日(金) 【旧 九月一六日 赤口】寒露・蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)夕月夜《ゆふづくよ》心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀《こほろぎ》鳴くも ~湯原王《ゆはらのおほきみ》 『万葉集』 巻8-1552 雑歌夕月の照る夜、心がしおれるように白露の置くこの庭に
こんにちは「ほゆむん」です😊いつもいいね、フォロー、リブログ、コメントありがとうございます励みになります🥰ただいま、アプリ診断が作れないかテストをかねて試作…
こんにちは「ほゆむん」です😊いつもいいね、フォロー、リブログ、コメントありがとうございます励みになります🥰ただいま、アプリ診断が作れないかテストをかねて…
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(5)嵯峨嵐山文華館
百人一首は、800年前に藤原定家がここ嵯峨嵐山で優れた和歌を撰んだことから始まると伝えられます。2006年1月から2017年3月まで営業していた百人一首ミュージアム「百人一首殿堂 時雨殿」を改装し、2018年11月1日に「嵯峨嵐山文華館」としてリニューアルオープンしました。常設展では百人一首の歴史やその魅力を伝える展示が行われています。1F 常設展百人一首の歌かるたは江戸時代の初期に誕生。当初は貴族や大名の嫁入り道具の1...
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(4) 中院山荘跡
清涼寺から西に約5分、二尊院門前北中院町の通り沿いに、地蔵尊が祀られており、その横に「中院山荘跡」の駒札があります。鎌倉時代のはじめ、僧・蓮生の中院山荘がありました。蓮生の出家前の名は、宇都宮頼綱といい、歌人としても著名で、藤原定家との親交が厚く京都歌壇、鎌倉歌壇に並ぶ宇都宮歌壇を築きました。『英雄百首』(歌川貞秀画)宇都宮頼綱鎌倉時代の武将,歌人。法名蓮生。宇都宮成綱の子。祖父朝綱の公田掠領の罪に...
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したとされています。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅...
「光る君へ」ずっと見続けているただ内容となると私のアタマはついていけない登場人物の相関図も複雑で正しく回答せよと言われたらゼロに等しいブロ友のゆりさんが毎回解説を書くこれが大いなる私の参考書私の中の日本史は平安時代末期から始まるのだイイワケ(笑)記憶にある平安時代は雅で女性たちが活躍する衣装も含めて美の世界ところが華麗な衣装はあるが陰謀殺人はかりごと妾の世界理解できない!死語ではあるが「アンチョコ」知っている方は生き残っているだろうかあんこチョコレートではない教科書の他の参考書からちょこっとメモ類主にテストのカンニングなどにも使うこの「アンチョコ」が私には皆さんのブログだ今回放送の頃にようやく小倉山や百人一首が出てきた藤原定家監修の?小倉百人一首遠い昔私も遊んだなぁ更に遡ると母と遊んだかるたまで数珠のよう...記憶の欠片母と百人一首思い出は過去ブログへ
小倉山山腹に位置する常寂光寺にも、藤原定家の小倉山荘跡と伝えられる場所があります。 常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創されました。山門江戸後期に改築されたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。仁王門仁王門は、もとは本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345〜49)に建立されたものが元和二年(1616)に移築されました。 当寺...
『源氏物語』は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品です。平安中期、宮仕えで宮中の内情にも精通した紫式部が、和歌795首を詠み込んだ物語を通して、当時の貴族社会を描きました。『源氏物語』の原本は、今は残されていませんが、現存する最古の写本は、鎌倉時代に藤原定家(ふじわらのさだいえ)が残したものであるといわれており、定家の写本は、以後『源氏物語』の主流となり、広がっていきました。また、定家が京都小倉山の山...
藤原定家はなぜ悲運の人を選んだのか?百人一首のミステリーを解き明かす!
百人一首と言えば、かつてはお正月のカルタ遊びの定番で、中学生か高校生の時に暗記した方も多いのではないでしょうか?「競技かるた」も盛んで、最近ではアニメ「ちはやふる」の人気から、小中学生や外国人にまで愛好家が増えているようです。私も高校生の時
『愛国百人一首』の選定された36首目は藤原定家です。これより鎌倉時代の歌となります。(著者所持の『愛国百人一首』の源実朝の絵札) 曇 り な き…
#467 献本レビュー『秘められた真序小倉百人一首』著:野田功
本が好き!さんから献本『秘められた真序小倉百人一首 1000年の歴史ミステリー これこそ真の小倉百人一首か?』についてのレビューです。 ああ!六年生の頃に自分…
本が好き!さんから献本『秘められた真序小倉百人一首 1000年の歴史ミステリー これこそ真の小倉百人一首か?』が届きました。秘められた真序小倉百人一首 100…
#3999 散る花はのちの春ともまたれけりまたも来まじきわがさかりはも
令和5年9月18日(月) 【旧 八月四日 大安】・白露・玄鳥去(つばめさる)散る花はのちの春ともまたれけりまたも来まじきわがさかりはも ~藤原清輔(1104-1177)『続古今和歌集』 巻17-1529 雑歌上散る花はまた来年の春を待つことができるが、再び来ることがないのは我が身の
< おやげねえから おこんじょすんの やめりー > なんのこっちゃねん! これはですね、「ぐんま方言かるた」の「お」のカードなんです。「可哀想だから 意地悪するの やめなさい」っていう意味だそうです。 ん~。地方色があってイイんでないかい、って気もしますけど、特定の地域でしか通じませんよね。しかもなんでこんな文言をかるたにするのか、おそるべし群馬県、なのかもです。でもね、まあ、方言を大事にする効果はバツグンなのかもです。 今でもそのままの言葉を使ているのかどうかは分かりませんが、意味も含めて言葉は残って行きそうです。 群馬大学総合情報メディアセンター中央図書館の「郷土かるたコレクション」を見ま…