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プロフィール PROFILE

後藤奇壹さんのプロフィール

住所
彦根市
出身
彦根市

滋賀の風土と歴史をこよなく愛する、生まれてこの方他國への参勤交代知らずの土着民。祖父の遺志を継ぎ、小学校3年生から郷土史研究をライフワークとしている。大人になっても仕事と称して、県内の都市部から限界集落エリアまで、スーツ姿で駆け回っている。“消えゆく滋賀の小さな歴史の伝承”に馳せ参じますので是非ご一報を<(_ _)>

ブログタイトル
湖國浪漫風土記
ブログURL
http://biwako.blue/
ブログ紹介文
〜近江の國は歴史の縮図である〜滋賀の知られざる郷土史を後世に伝える渾身の激白?徒然紀行(^o^)
更新頻度(1年)

22回 / 365日(平均0.4回/週)

ブログ村参加:2010/07/06

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ハンドル名
後藤奇壹さん
ブログタイトル
湖國浪漫風土記
更新頻度
22回 / 365日(平均0.4回/週)
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湖國浪漫風土記

後藤奇壹さんの新着記事

1件〜30件

  • 【世界の何だコレ!?ミステリー緊急企画】きぬがさやま夜話外伝“シガイの森”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 以前完結しました「きぬがさやま夜話」シリーズですが、最終章の桑實寺(くわのみでら)の記事に関する取材の延長線上で奇妙な情報を入手しました。またこの話題に関連した内容がフジテレビ『世界の何だコレ!?ミステリー』(2020年2月12日放送)で紹介されました。ただ余り詳しくは紹介されませんでしたので、今回はそのお話を致したいと存じます。 桑實

  • 御存知ですか?“明智光秀近江出身説”

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました NHK大河ドラマ 麒麟がくる スタート前に何かと受難の降りかかった大河ドラマ、『麒麟がくる』。 一抹の不安を他所に、好調な滑り出しのようで何よりです。ネタ切れという理由もあるのでしょうが、昨今"敗者"側を描いた作品が市民権を得つつあるのは良い傾向にあると感じます。 明智光秀は単なる"敗者"ではなく

  • 湖國浪漫文庫“滋賀県方言語彙・用例辞典”

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 繁忙でなかなか取材に出向くことが出来ない今日此頃ですが、そのような中にあっても、資料と情報の収集だけは何とか継続しております。 そんな資料と情報の収集活動で出逢ったとても興味深い書籍が、沢山ございます。今後折に触れ、『湖國浪漫文庫』という新たなカテゴリーで、新刊・既刊・絶版を問わずご紹介して参りたいと存じます。 第1回は『滋賀県方言語彙

  • 謹賀新年 天上天下唯我独尊 2020

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 新年、明けましておめでとうございます。 今年は"令和"が初めて迎える元旦となります。 日出る國 ~ 琵琶湖と近江富士 本日で「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」はお陰様を持ちまして開設8周年を迎えました(^^) 昨年は 飛躍の1年 でございました。今年は忘己利他の1年として邁進いたす所存でございます。本年も相変わりませぬご贔

  • 平成31年/令和元年 感恩戴徳

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 元号が変わり、旧き時代と新たな時代の分水嶺となった1年が、まもなく終わりを迎えようとしています。 往く年 来る年 皆さんにとって今年はどのような1年でしたでしょうか。新たな元号『令和』は、平和で穏やかな時代を願って命名されたにも関わらず、その初年は自然災害と社会的な衝撃を与える事件、事故の連続であったような印象を強く持ちます。 小生も4

  • “惜秋”湖東寂静紅葉選・後篇

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 紅葉 昨日に引き続きまして、"惜秋"湖東寂静紅葉選をお届け致します。 ◆太郎坊宮 (東近江市小脇町) 太郎坊宮(阿賀神社) 後篇では旧八日市エリアから2箇所ご紹介致します。まずは太郎坊宮(たろうぼうぐう)。標高350mの赤神山(あかがみやま)の中腹にある神社です。 地元の方には"太郎坊さん"の名で

  • “惜秋”湖東寂静紅葉選・前篇

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 滋賀の紅葉は例年よりも早く、そして見頃が短くなりそうな様相です。伊吹山や比良山も初冠雪を記録しました。冬支度もそろそろ始める時期ともなりつつありますね。"おでん"が恋しい季節でもあります。 紅葉 さて皆さん、紅葉狩りにはもうお出掛けになられましたか?今年も異常な猛暑だったせいか、色付きがとても鮮やかに感じます。 滋賀

  • 知られざる滋賀近現代史“彦根自衛隊機墜落事故”

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今から50年前のこと。1970(昭和45)年9月2日午後2時10分頃。彦根市金剛寺町の市道に、突如として上空から4トン足らずの鉄塊が落下。轟音とともに猛炎が襲い、周囲は炎熱地獄と化す未曽有の大事故がありました。 彦根自衛隊機墜落事故。皆さん、この出来事をご存知でしょうか? 彦根自衛隊機墜落事故(当時の新聞記事) 先日偶然新聞でこの事故に

  • 【即位礼正殿の儀特別企画】帝を魅了した禁断の果実“むべ”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回は即位礼正殿の儀を目前にした特別企画と致しまして、帝を魅了した禁断の果実、むべについてのお話を致したいと存じます。 決して "ベム"ではございません。今回は小ネタの類(妖怪人間モノ)ではありませんのでご安心を(^^) さて、近江八幡界隈の湖岸道路、長命寺川に並走する辺りで、このような看板を見かけたことはありません

  • 歴史に翻弄された歌枕“水茎の岡”の伝説(番外篇)

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 本来ならば、歴史に翻弄された歌枕"水茎の岡"の伝説シリーズは前後篇で完結する予定だったのですが、色々と調査をしている過程で奇妙なネタを発見しました。よって今回はその" 奇妙なネタ "を番外篇としてお届け致したいと存じます。 さて皆さん、神代文字(じんだいもじ/かみよもじ)というものをご存知でしょう

  • 歴史に翻弄された歌枕“水茎の岡”の伝説(後篇)

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 前回に引き続き、歴史に翻弄された歌枕"水茎の岡"の伝説の後篇をお届け致します。 さて古(いにしえ)の御代より、一級の景勝地として名を馳せてきた水茎の岡でしたが、中世に入るとその立地条件からキナ臭い様相を呈してきます。 琵琶湖岸に迫り出した立地が天然の要害として適地であったことから、南北朝時代に入ると南近江の守護大名・

  • 閑話徘徊“滋賀にもこんなシャレの効いた酒があったなら・・・”

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 2月13日の記事で『滋賀の地酒を勉強中』と綴っておりましたが、その後色々な蔵元さんの日本酒をチョビチョビではありますが試させていただいております。 ただ残念ながら、どうも小生の嗜好に合う地酒に出逢えない現状です。米どころでもあり、水にも恵まれ、地勢的には絶好の酒どころ。そして小生は根っからの土着民。出逢えないのが不思議です。 最近地酒が世間で話題

  • 歴史に翻弄された歌枕“水茎の岡”の伝説(前篇)

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回は水茎の岡(みずくきのおか)の伝説について、前後篇に渡ってご紹介したいと存じます。 近江八幡市西部の琵琶湖畔に岡山と呼ばれる小高い山があります。湖畔沿いにある山は、原則隧道(トンネル)貫通・開削・迂回で整備されている湖周道路にあって唯一「山越え」を強いられる箇所ですので、何となくご記憶があるかと存じます。 岡山 この岡山はパッと見た

  • 知られざるお多賀さんパワースポット! “飯盛木”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回はお多賀さん(多賀大社)にゆかりの深い、知られざる隠れパワースポット! "飯盛木"についてのお話をいたしたいと存じます。 さて、 6月26日更新記事の"オタマジャクシ"の語源は"お多賀さん"にあった!で、"お多賀杓子"の謂われは「元正天皇の病気平癒を祈念

  • “オタマジャクシ”の語源は“お多賀さん”にあった!?

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今年の西日本の梅雨入りはとても遅いですね。このままだと梅雨明けは秋になってしまうのでは???と思ってしまう今日此頃です。 昨日カエルの大合唱も未だ聴かないのに、何とクマゼミの鳴き声を耳にしました。四季の順序を経ない天候、寒暖差の激しさ・・・どうか皆様『気象病』にはくれぐれもお気を付けください。 さてカエルといえば・・・今回はオタマジャク

  • 【令和改元記念企画】国家恒久安寧の願い“さざれ石”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回はさざれ石についてのお話をいたしたいと存じます。さざれ石?…どこかで聞いた覚えがありますよね。 そう、日本の国歌『君が代』の一節に登場します。この時期この歌に関する論議の機会も多いのではないでしょうか。でもこのさざれ石って、実際にどのようなモノなのか?ご存知の方は少ないかもしれません(教科書にも流石に写真付きで紹介されてはいませんし

  • 【令和改元記念企画】長生長壽の金字塔“長命寺”の伝説(後篇)

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 前回に引き続きまして長命寺(ちょうめいじ)に纏わるお話を致したいと存じます。 何となく"松茸"にも似た形ですが、幾歳月の風雨に耐え、絶妙のバランスで鎮座しています。 さて時代は蘇我氏と物部氏が覇権争いを繰り広げていた大和時代。厩戸王(うまやどのおう/一般に聖徳太子として知られる)が、当時道も無いこの山に登った際、紫雲たなびく中に光明を見つけます。 厩戸王(聖徳太子) さらに近付いてみるとその光明は観音菩薩の姿をしていましたが、直ぐに消えて二つの石と化してしまいます。 厩戸王は更に山を登り進めます。 すると古木から光明が光り、その幹に「寿命長遠諸願成就(じゅみょうちょうおんしょがんじょうじゅ)」の文字が浮かび上がったのです。 不思議に思って眺めていますとそこへ白髪の老人が現れ、「この霊木で十一面千手聖観音菩薩の三尊一体(千手観音・十一面観音・聖観音)を刻んで伽藍(がらん)を建立すれば、武内大臣も大層お喜びになり、諸国万人が等しく崇拝する地となるであろう」と告げて消えてしまいました。 早速お告げに従い観音菩薩を刻み、伽藍を建てて安置し礼拝したところ、先程の石がお互いに寄り添い1つの岩になりました。 修多羅石 その岩は現在宿禰をご神体とする修多羅石(すたらいし)として今に存在します。 なお厩戸王が刻んだと伝えられる本尊・十一面千手聖観音菩薩(国指定重要文化財)は秘仏となっております。 そして厩戸王は武内宿禰の長寿因縁にあやかり、ここを「長命寺」と命名するのです。 聖徳太子礼拝石 厩戸王が礼拝した場所は、聖徳太子礼拝石として参道の途中にあります。 また天智天皇が大津京から長命寺を訪れ、ここで天下安泰の祈願をされた時のこと。 天皇はおもむろに境内にあった柳の枝を折って本堂の横に差すと、見る見るうちに大木に成長したのだとか。 閼伽井堂(念仏井戸) この枝を差した場所が現在の閼伽井堂(あかいどう)で、念仏を唱えると水面に泡が出るので"念仏井戸"とも呼ばれています。 最後に長命寺の伝説をもう1つ。 今から約500年前の天文年間(室町時代後期)のこと。

  • 【令和改元記念企画】長生長壽の金字塔“長命寺”の伝説(前篇)

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 本日から元号が"令和"と改元されました。このタイミングに相応しいお話はないものかと色々思案しておりましたら、職場のご利用者様の世間話にヒントを得ることが出来ました。天皇家(皇室)ともゆかりの深いこの地のエピソードをご紹介致したいと存じます。 今回は滋賀の中央部、琵琶湖東岸の近江八幡市に佇む長命寺山にございます姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)についてお話を致したいと存じます。 長命寺・・・何ともご利益が解りやすいですね(笑)。その名の通り、長寿・長命にご利益のある寺院です。琵琶湖岸にあって比較的標高のある山がとても特異に感じますが、戦国時代以前のこの一帯は奥島(おくしま)と呼ばれる琵琶湖最大の島でした。 姨綺耶山 長命寺 昨今規模の大きな寺院は、何処とも「拝観料(一部では志納料とも)」を徴収されるのですが、ここは今も昔も自由拝観。「不思議だなぁ?」と思いつつ入山しましたが、その理由はすぐに解りました。。 何と"お遍路さん"を送迎するマイクロバスやマイカーで山麓駐車場はごった返しています。 それもそのハズ、ここは西国三十三箇所第31番札所。寺院の維持管理に見合う参拝者が定常的に訪れているのです(それでも素晴らしい!)。 麓から登れば死ぬ思いで808段の階段をクリアせねばなりませんが、中腹まで通じる林道(大型車通行不可)を利用すれば残り130段程で到達できます。林道には慌ただしくお遍路さんをピストン輸送するタクシーで一杯!普段から運動不足の私は残り130段でもかなりキツく・・・軽々と登られる年配のお遍路さんに優しくお声掛けいただく始末でございました(苦笑)。 ではここからが本題でございます。長命寺の由来は、今から約1900年前のこと。 大和朝廷初期に大臣として仕え国政を補佐したと伝えられる伝説的人物・武内宿禰(たけのうちのすくね)が、この地で長寿を祈願したのが始まりなのだとか、 武内宿禰 その後、宿禰は300歳を超えて生きたのだそうです。 「マジかいな?」というツッコミはご容赦を。あくまでも"伝説"ですので。

  • 閑話徘徊“ひこにゃん”には「義兄」がいた!?

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました さて現在、彦根市では市議会議員選挙が佳境を迎えております。様々な不祥事や問題で有難くない『全国区』の知名度を獲得した彦根市。その市政に毅然とした姿勢で相対することが出来る人間を送り込めるかどうか。市民の民度が問われる歴史的瞬間です。 その失政のおかげで割を食う事態に追い込まれているのが、我らが誇る国民的ご当地キャラクター。 それが"ひこにゃん"…もうクドクドと説明する必要はございませんよね。国宝・彦根城築城400年祭のイメージキャラクターにして、平成の"ゆるキャラブーム"の立役者。 ひこにゃん 加えて1860年に起こった徳川幕府屈指のスキャンダルであった、彦根藩主にして大老の井伊直弼が暗殺された事件・"桜田門外の変"以来、"彦根"の名を全国に知らしめてくれた最大の功労者であります。 登場してから既に12年が経過しましたが、並居る後発"ゆるキャラ"の追随を許さず、今や不動の人気、レジェンドの地位を確立しています。 さて"きな臭いタイトル"の趣旨でございますが、別に後付けの設定で某リカちゃん人形の如く、"両親がいた"とか"恋人がいた"とかいう話ではございません(^^) 実は"ひこにゃん"誕生には、その"礎(いしずえ)となる存在"があったのです。 市民でも記憶している人は随分少なくなってしまいましたが、今から遡ること32年前の1987(昭和62)年。日本国有鉄道のJRへの移行、すなわち「国家機関の民営化」というこれまで経験したことのないコペルニクス的大転換を日本國民が迫られた(?)頃のお話です。 彦根城 当時彦根では、その国鉄分割民営化が実施された4月1日を挟んだ3月28日から5月31日の65日間に渡り、 彦根市制50周年を契機として『'87世界古城博覧会』が催されておりました。 イベントテーマは「古城文化にスポットをあて、世界の古城をネットワークする古城街道を提唱する」。 パビリオンの設計・建築には建築界の重鎮"高松伸"、会場内の版画を芸術界の奇才"池田満寿夫"、テーマソングを音楽界の革命家"三枝成彰"といった各界のそうそうたるメンバーを起用(当時のバブリー振りが垣間見えます)。

  • “令和”に於ける滋賀の自治会の在り方を考える

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 例年ゴールデンウイーク辺りで開花する沈丁花が、いま満開を迎えております。このまま暖冬から春へと向かうと思いきや、4月には異例の積雪を伴う寒気。この影響でサクラの開花も急ブレーキが掛ったようで・・・人間社会に止まらず、自然界も『混迷の時代』を迎えているのでしょうか。 満開の沈丁花 それはさておき私事ではございますが、まだまだ現役の宮仕えにも関わらず、 実は今年度たくさんのお役を仰せつかってしまいました。 ◆自治会長◆連合自治会副会長 兼 会計◆学区人権教育推進委員◆県立高等学校運営協議会常任委員◆グループホーム運営会議外部委員◆選挙対策本部総務部長 元号が"平成から令和"へと変遷する記念すべき節目の時期に、時間も経験も金も(笑)、おまけにコネも無い若輩者の小生に何が出来るのか甚だ疑問ではございますが、"兎に角前に進んでみよう"精神で取り組む所存です。 現在この滋賀にとどまらず、全国的に自治会の存在の是非、在り方が問われています。役員後継者が育たず、会員が集まらず、解散した自治会も多々あります。そのような時代背景の中、特に若年層の方々に関心を持っていただける取り組みを模索することが急務であると考えています。 その一環として、 『"開かれた""世代を超えた"全員参加の"滋賀ならではの自治会』をコンセプトに 小生任期の1年間の試みとしてFacebookページを立ち上げました。 自治会のページはコチラ ホームページという管理が困難な形式ではなく、SNSという自由に参加・意見交換が可能なツールを採用しました。当自治会員の皆さんのコミュニケーションツールとしてのみならず、多くの方々からご意見をいただければ幸甚です。 ◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら! ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!

  • Which one is correct?“五箇荘 or 五個荘”

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました さて先日公開致しました『閑話徘徊"ローヤルクラウンコーラ"の謎』の中で、近江鉄道の駅名・五箇荘(ごかしょう)と、旧町名の五個荘の表記の違いについて少し触れさせていただきました。 五箇荘駅・駅名標 すると小生の大学時代の歴史・鐵道・旅の盟友の1人でもある、愚鴨長明氏が早速調査してくれました。 近江鉄道株式会社鉄道部運輸課によりますと、この周辺一帯はかつて五箇神社(東近江市五個荘宮荘町)の荘園であったとされ、これが起源で「五箇荘」という地名になったと伝えられているとのこと。ただ 小生 の裏取り調査では、五箇神社はかつて「山前(やまさき)八幡宮」と称していたため、この説もいささか信憑性が…。 繖山(きぬがさやま/別称・観音寺山)東麓を領し、日吉大社(大津市)・延暦寺(大津市)・皇室の所領を管理していた荘園・山前荘(やまさきのしょう)が、平安時代末期に「山前五箇荘」と称したことがどうやら本命のようです。 繖山(観音寺山) ちなみに『五箇』の名の由来ですが、山前荘の中でさらに細分化された南荘・北荘・東荘・橋詰荘・新八里荘の5つの荘園を指すのだとされています。 また寺社・皇室の所領であったことから由来して、「空閑(こかん/免税のこと)」が訛ったモノだとも言われ、諸説あります。 いずれにしましても「五箇荘」が本来の地名として古くから存在し、近江鉄道では明治43(1910)年に小幡駅から移転開業した駅名に、この由緒ある表記を採用しました。 しかし、町村制施行で明治22(1889)年に誕生した東五個荘村・南五個荘村・北五個荘村には、敢えて旧表記を採用しませんでした。 旧五個荘町役場 またそれらが更に合併して昭和30(1955)年に誕生したかつての五個荘町でも、旧表記が復活することはありませんでした。恐らく「新しい時代の幕開け」を新表記でアピールしたいという思いが強かったのかも知れません。 人それぞれ、組織それぞれに今も昔も"思惑"ってあるもの。いやいやまだまだ学びの余地がございますね。 今回の問題解決にご尽力いただきました我が盟友・愚鴨長明氏、そして近江鉄道株式会社鉄道部運輸課様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

  • 閑話徘徊“ローヤルクラウンコーラ”の謎

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました さて今回は、おもむろに東近江市は近江鉄道・五箇荘(ごかしょう)駅前を徘徊いたしております。 五箇荘駅 目的を持って散策するのも良いのですが、"糸の切れた凧"のようにプラプラ徘徊するのもまたオツなものでございます(^^) このエリアは平成の大合併前、神崎郡五個荘町と称しました。 唐突ですが、かつての町名と駅名の漢字が異なるってご存知でしたか? 恥ずかしながら私、つい最近知人に指摘されて知りました。 五箇荘駅・駅名標 ◇町名…五個荘 ◆駅名…五箇荘 「郷土史を学ぶ資格なし!」でございます もともとの地名は五箇荘なのですが、明治期の町村制制定の際にどうやら改変されてしまったようです。経緯の詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ご教授ください ちなみにこの五箇荘駅。開業した明治32(1899)年から約10年間は、この地から約200m北寄りの中山道と交差した場所にあり、当時は小幡(おばた)駅と称していました。また昭和57(1982)年に老朽化で駅舎が解体されて以降、平成12(2000)年に今の立派な駅舎が建てられるまでの18年間は、プラットホームのみの駅であったそうです。 旧五個荘町の玄関口であるハズなのですが、中心街から離れていることもあって実に閑散としています。私が訪れた時、利用客は誰もいませんでした。 これが駅前通り。 五箇荘駅前通 (現役か否かは不明ですが)通り沿いにぽつんと旅館が1軒あるのみ。 駅前にしては寂しい限りです。 こちらも、人っ子一人居やしません。 お世辞にも"駅前目抜き通り"とは、とてもとても…。 駅の正面でやや北側に15度視線をずらすと、何やら自然に還りつつある小さな東屋(あずまや)が眼に飛び込んで参ります。 千代松(店舗) どうやらかつての"喫茶店"であったようです(やや想像に難いですが…)。 この東屋をしげしげと見つめておりますと、見慣れぬオブジェクトが視界に入ってきました。 千代松(看板) 「クラウンコーラ???」 「ローヤル?????」

  • 閑話徘徊“きゃべつ?”

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました まずはこの写真をご覧ください。 きゃべつ? 先日、野洲市のとある場所に差し掛かったところ 、視界に飛び込んできたのがこのオブジェクト! どこをどう見ても"きゃべつ"・・・ですよ・・・ねぇ。 とはいえ近辺にキャベツ畑らしきものは見当たらず、この場所も畑地か空地か荒地か判別も付かず・・・妙に"生々しさ"だけがリアルなだけに、不可解は募るばかり。 この怪しげなオブジェクトの詳細をご存知の方、是非とも情報をお寄せくださいませ ◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら! ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!

  • ジェットストリームアタック? in 滋賀

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました まだまだ初心者の域は脱しませんが、この歳になってようやく"日本酒"の良さが解かり始めて参りました。と同時に最近まで抱いていた『いくら米どころの滋賀といえども、地酒はねぇ…』などといった偏見も徐々に解消しつつあります。 これまで日本酒を敬遠してきたのには、大東亜戦争後の物資貧窮に対処するための大量生産を目的とした技術、即ち『醸造用アルコールの添加』が、物資が潤沢となった現在でも連綿と行われていることが最大の原因であります。あの技術が戦後の酒造を支え、そして酒造の地位を失墜させたといっても過言ではありません。 でも昨今、世界的に日本酒が注目されてきていることを契機に、特に地酒を地道に育んできた酒蔵が切磋琢磨し、全国的に勢力を盛り返しつつあります。その動向を受けて、小生も日本酒、特に『湖國の地酒』に興味を示し始めた次第です。決して流行に乗った訳ではございません(笑)。 勉強し始めた『湖國の地酒』に 関して触れるのはまた別の機会にしまして、今回はこんなネタを仕入れて参りました。 三連星 皆さん、この三漣星という銘柄をご存知ですか?地酒通の方からすれば『何を今さら…』と言われるかも知れませんが、小生はこのネーミングにとても興味を掻き立てられました。なお一升瓶の前に鎮座するオブジェクトは特段意味はございません…と言っても説得力はないですよね~(苦笑)。 この銘柄を知ったのは先の年末年始に放送されたとあるTV番組。たまたま耳に飛び込んできた情報だけを頼りに色々と調べてみて、この銘柄が滋賀の蔵元のものだと知って改めて驚きました。 この銘柄に関する詳細な情報は下記のリンクより御覧頂ければと存じますが、簡単にご紹介致しますと、甲賀市にある美冨久酒造の若手杜氏さんが世に問うた意欲作であるということ。そして関西のこだわりの店舗運営をされている若手居酒屋オーナーさんを中心として、 徐々に支持を拡げている銘柄であるということです。 『三連星』に関する情報はコチラ>>> 実は県内産・山田錦を用いた大吟醸もラインナップされているのですが、今回小生は敢えて県内の地酒に使用されている酒米の中でも非常にメジャーな吟吹雪を用いた純米酒をチョイスしました。 2019湖國春の訪れ

  • これぞ征夷大将軍の力!“鬼の首塚”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました もうすぐ"節分"。節分に欠かせない存在なのが、そう"鬼"ですよね。今回は節分に因みまして、"鬼の首塚"のお話をいたしたいと存じます。 昔々、平安時代の初期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)という武官がおりました。 坂上田村麻呂 田村麻呂は武芸・軍略に優れ、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に二度任官。 後代に様々な伝説を生み、"稀代の名将"" 毘沙門天の化身"とも称され、文才に長けた菅原道真と共に平安期に於ける文武の象徴的存在でした。 「征夷大将軍はそんな昔からあったの?」「○○幕府の将軍のことじゃないの?」などと仰る方もいらっしゃるのではないでしょうか。 鎌倉幕府以降の将軍職に付与されていた"征夷大将軍"は、武家の頭領としての象徴的官職として「武士の自治」を事実上朝廷に認めさせるための形式的なものでした。 本来は朝廷より蝦夷(えぞ/当時の東北地方以北)征伐を命じられた軍隊の指揮官に与えられた重責ある官職だったのです。 さて今から1220年前の延暦10(791)年のこと。伊勢國(現在の三重県)・鈴鹿山で大嶽丸(おおたけまる)という鬼神が悪事の限りを尽くし、その影響で周辺の往来が途絶えてしまいました。このことを憂慮した桓武天皇(かんむてんのう/第50代天皇で後に平安京を造営)は、田村麻呂に大嶽丸の討伐を命じます。 早速田村麻呂は京都の清水寺で鬼神の討伐成功を祈願しました。 清水寺 すると観世音菩薩から霊感(お告げ)を得ましたので、今度は善勝寺(ぜんしょうじ)に籠ります。 お告げに従い7日間の祈りを捧げた田村麻呂は、勇躍して3万余の兵を従え鈴鹿山に向かいました。 しかし神通力を操る大嶽丸は山を暗雲で隠し、暴風雨・雷・火の粉などで討伐隊を苦しめます。 攻めあぐねた田村麻呂は、毘沙門天と千手観世音菩薩に祈りました。 するとある晩、夢の中に1人の老人が現れ、「この山に住む鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられます。 田村麻呂は3万余の兵を都に帰還させ、単身鈴鹿御前を探しに鈴鹿山に入ります。 大嶽丸と鈴鹿御前 鈴鹿山に分け入った田村麻呂は、そこでこの世のものとは思えぬ絶世の美女に出逢います。

  • ヒトリハミナノタメニ“比夜叉御前”の伝説

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回は多くの人々を助けるために犠牲となった悲劇の女性、比夜叉御前(ひやしゃごぜん)についてのお話をいたしたいと存じます。 冬の三島池 本題に入る前に、このお話の舞台となります三島池に関する豆知識を少々…。 別名"比夜叉池"とも呼ばれ、米原市池下(旧・坂田郡山東町エリア)にあります。 周囲は約910m。 面積37,603㎡、水深は80cm(雨季は120cm)で、南北に長い楕円形をしています。 今から約880年前の平安時代末期。時の領主であった佐々木秀義(ささきひでよし/源頼朝挙兵に尽力した近江源氏の祖)によって、姉川の伏流水を利用して灌漑用貯水池、つまり農業用水確保のために人工的に造成された池と言われています。 池の周囲には桜・柳・紅葉などが植樹され、霊峰・伊吹山を背景とする景勝地として(特に写真愛好家の中では)全国的にも有名なスポットです。 三島池の水鳥 また水質は清冷で多くの生物が生息し、マガモ・カイツブリ・バン・オシドリ・オナガガモ・ホシハジロ・キンクロハジロ・ミコアイサ・サギといった多くの水鳥や野鳥が飛来します。 特に地元中学校の科学クラブによる2年間の観察の結果、「マガモ自然繁殖の南限地」であることが判明し、昭和34(1959)年には滋賀県の天然記念物に指定され、この地の存在は学術的にも高く評価されています。 ではここからが本題です。 その年は例年になく日照りが続き、農業に欠かせない池の水が涸れてしまいました。領主の佐々木秀義は、池に水の無いことを心配して祈祷師に占ってもらいました。すると「1人の女を池の中に沈めて水神に祈れば、水が絶えることは無くなるであろう」とのお告げが出ます。 早速秀義は人柱となる女を領内から募りますが、喜んで申し出る者など誰一人としてありはしません。沢山恩賞を出すとも触れましたが、反応は皆無でした。 むしろ領内では「誰が人柱になるのか?」という疑心暗鬼と不安が蔓延するばかり…。 三島神社から望む夏の三島池【滋賀県提供】 ある日のこと。 秀義の乳母である比夜叉御前が機織りをしている時、偶然外で村人がこの人柱の話をしているのを聞いてしまいます。

  • 謹賀新年 天上天下唯我独尊 2019

    「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました新年、明けましておめでとうございます。 今年は"平成"最後の年となります。本日で「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」は開設7周年を迎えました(^^)

  • システムメンテナンスに伴いブログの更新を休止します

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました ブログの更新システムのアーキテクチャー変更に伴い、メンテナンスのため当面の間記事の更新を休止致します。ブログを楽しみにしてくださっている皆様にはご心配をお掛け致しますが、1日も早い復旧を目指して参る所存でございますので、ご理解賜れば幸甚です。 ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!

  • 遷座1300年!モノノフの聖地“兵主大社”の伝説・補遺

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 前回お届け致しましたは兵主大社(ひょうずたいしゃ)のお話つきまして、今回少し情報を補足致したく存じます。 前回の記事の中で、『兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)』と記述致しましたが、読者の方から『どんな形のものですか?イメージが湧きません』との投書を頂戴致しました。 兵主大社神紋 ・・・という訳で、特別に公開致します(笑)。上の写真の文様は境内のあちこちで見受けられますので、是非探してみてください。 遷座1300年記念 兵主大社展 現在、野洲市歴史民俗博物館では、開館30周年特別展「遷座1300年記念 兵主大社展―琵琶湖を渡って来た神さま―」が開催されています。 なおこの企画展を観覧されますと、ある特典がもれなく提供されることが判明致しました! それは・・・平安時代後期に造営されたと伝えられ、国の名勝にも指定されている兵主大社の庭園が無料で拝観出来る証明書がいただけるのです! これに伴い庭園の拝観時間も企画展開催中に限定して9:00~16:00に変更されています。証明書配付並びに無料拝観も企画展最終日の12月2日(日)までの特典となりますので、兵主大社参拝前に訪問されては如何でしょうか。 最後に名園と評判高き庭園の情景を特別(笑)ご紹介致します。紅葉はこの週末までが見頃のリミットかと存じます。 名勝兵主大社庭園 「子供連れで庭園の見学なんて・・・」というファミリーにもミニ情報を!実はこの庭園、ドングリの宝庫でもあるのです。お子さんにドングリ拾いなんていうのも如何でしょうか。 但し兵主大社様の「古の庭園の素晴らしさを、ありのままの状態で堪能してもらいたい」とのご配慮から、園内には防護柵や規制ロープ等は一切設置されておりません。 庭園には池や川、苔の自生エリアもございますので、引率の保護者の方はくれぐれもお子さんから目を離さぬようご配慮ください。 "紅葉の名所"と呼ばれる有名な観光地での散策も良いですが、足早に去っていく今秋の趣を、ゆったり・しっとり・静かに、そして郷土の歴史に想いを馳せながら過ごしてみるのもまた一興ではないでしょうか。 ◆兵主大社 滋賀県野洲市五条566番地

  • 遷座1300年!モノノフの聖地“兵主大社”の伝説

    「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました 今回は旧中主(ちゅうず)町の中心部、野洲(やす)市五条にございます兵主大社(ひょうずたいしゃ)についてお話をいたしたいと存じます。 武神・軍神である「兵主神(ひょうずのかみ)」を祀る神社は全国に約50社ありますが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう/927年に編纂された全国の神社及びその社格の一覧)に記載されるのは19社。 そのうち名神大社(みょうじんたいしゃ/神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神を祀る神社)の社格を戴くのは僅か3社のみで、兵主大社はその1社に列する由緒正しき神社です。 中世には「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより武士の厚い信仰を得、その縁あって源頼朝・足利氏・徳川氏らに関連する文化財を多数所蔵しています。また京都の苔寺を彷彿とさせる国指定名勝の庭園もあります。 この神社の縁起にはこのような伝説があります。 「兵主大明神縁起」によりますと、大己貴命(おおなむちのみこと/一般には出雲神話「因幡の白ウサギ」に登場する大国主で知られる)が718年に不動明王の姿を借りて、琵琶湖の対岸・穴太(あのう)より八ッ崎(やつがさきき/現在の旧野洲川北流河口・マイアミあやめ浜西端)に上陸し、この地に鎮座されたのが起源と伝えられています。 その昔、兵主大明神(大己貴命)が穴太を発たれる際のこと。大明神は白蛇に姿を変え、大亀の背中に乗って琵琶湖を渡り八ッ崎に上陸。 そこから鹿が護り運び、この五条の地に遷座されました。 この伝承を顕彰するために、明治時代末期に"亀塚""鹿塚"が建立されました。 現在亀塚は野洲市野田の田地に、鹿塚は兵主大社の庭園内にあります。 因みに兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)。 さらに「兵主大明神縁起」にはこのようなお話も残されています。 平安時代末期、源頼朝がまだ若かりし頃。琵琶湖上に於いて暴風雨に遭い、乗っていた船が方向を見失って八ッ崎に辿り着きました。

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