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藤原師通の長男、藤原忠実は、1078年(承暦二年)に生まれ、母は、藤原全子である。 前述の通り、藤原師通は、全子と離縁し、藤原信子と再婚したため、忠実は、母…
当時の太政大臣は、既に摂政・関白にその権限を吸収されていただけでなく、左大臣以下の大臣の様に、実務に関わることは、完全になくなった、名誉職だった。 表向きは…
後朱雀天皇の即位後、1039年(長暦三年)8月に、藤原頼通の養女、後朱雀天皇の中宮の藤原嫄子が死去し、後宮は、皇后の禎子内親王(三条天皇皇女)、唯一の状況と…
1061年(康平四年)、70歳の藤原頼通は、太政大臣に任ぜられ、位人臣を極めた。 翌年の1062年(康平五年)、頼通は、父の道長の例に倣い、太政大臣をわずか…
平安中期の後宮十二司 【後宮制度について】 yaseta.hateblo.jp 【後宮十二司と官女(女官)】 後宮の皇后・中宮・妾御息所(めかけみやすんどころ)に奉仕する女性達は大宝・養老律令により、十二司の官女と命婦、乳母、采女などを含む官女組織として規定されました。 律令政治から摂関政治へと変化していく過程で、後宮の官女組織も変化していき、官女もいつしか女官と呼ばれるようになり、官位を持つ女官、無位の女官そのほか種々の雑役する女性達の名称も、役割も変化していきました。 【後宮十二司】 後宮に仕える女官が所属する所(ところ)。時代の変化により一司が統合、五司が廃止されていきます。 ➀内侍司(…
#665 兼家、その放埓を極めた生涯 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』での藤原兼家について見ていきたいと思います。兼家の人生は、その放埓を極めたと評価されている。(NHK大河ドラマ『光る君…
#659 やっちまったな〜公任 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
関白藤原頼忠の息子の藤原公任のやってしまった失言について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。円融天皇の入内による外戚競争の際に思…
#653 節約家!?な藤原頼忠 from『大鏡』~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』で関白で登場した藤原頼忠について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。たいそうよい慣例をさまざま制定された北家小野宮流…
#650 外戚競争に敗れた藤原頼忠~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』で登場したときは藤原氏の本流の藤氏長者だった藤原頼忠について藤原氏本流となるも、入内政策で兼家に敗れて、その本流を奪われた藤原頼忠(NHK大河ドラ…
#645 関係図から見る藤原兼家のしたたかさ~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』で剛腕ぶりを見せつける藤原兼家を系図からいかにして藤原本流となり、政権の主犯的な損際にまで昇りつめていったのかを見ていきたいと思います。剛腕に加え…
2024年の大河ドラマは『光る君へ』です。平安時代については私はあまり詳しくないので、これを機に歴史書などを読みながら楽しもうと思います。その一つとして『大鏡…
#533 TVアニメ『まんが日本史11「摂関政治のはじまり-燃える応天門」』
『まんが日本史』で、太政大臣から人臣初の摂政になった藤原良房のその陰謀劇を描いた回がヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想(『まんが日本史』より、タ…
第72代天皇の白河天皇は摂関家から完全に政治の実権を奪い院政を開始した天皇として知られています。院政とは上皇が天皇に代わ
紫式部が仕えた中宮彰子とは?道長没後も摂関政治を支えた生涯と人物像に迫る。
2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年