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今年も京都の桜を見に出かけて来ました。早咲きの枝垂れ桜を求めて、京都御苑を訪ねました。京都御苑の北西、旧近衛邸の跡地にある近衛邸跡の枝垂桜が見頃を迎えていました。近衛邸跡の枝垂桜は糸桜と呼ばれています。近衛家は、藤原北家嫡流であり、公家の五摂家筆頭で、華族の公爵家のひとつ。藤原氏北家の嫡流,五摂家の一つ。家号は始祖基実の殿第に由来するが,また近衛大路に面する宮門号にちなんで陽明ともいう。平安時代初...
京都御苑の北東、迎賓館の東側に「染殿井」があります。この付近は、藤原良房の邸があった場所といわれています。藤原 良房(ふじわら の よしふさ)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の次男。官位は従一位・摂政太政大臣、贈正一位。染殿、白河殿と称される。諡は忠仁公 、国封は美濃公。皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた。また、藤原北家全盛の礎を築いた存在であり、良房の子孫た...
梨木神社の境内は、平安時代は藤原良房の娘染殿后の里御所・染殿第でしたが、明治18年(1885)久邇宮朝彦親王の発議により、三条家の邸宅跡に三条実万を祀るため社殿が造営されました。1885年(明治18年)10月10日、社号は地名から梨木神社とされ、さらに別格官幣社の列格を受けて創建され、その後1915年(大正4年)、大正天皇即位を記念して、子の三条実美を合祀しました。三条実美(さんじょうさねとみ)幕末~明治前期の尊攘派公...
上京区寺町通の梨木神社は、明治維新に大きく貢献した三條実万・実美父子を祭神とし、境内に約500株のハギが植えられていることから、別名萩の宮とも呼ばれています。境内がある辺りは、平安時代前期に藤原北家全盛の礎を築いたとされる藤原良房の邸「染殿第」があった場所とされています。また、『源氏物語』に登場する花散里(はなちるさと)邸や空蝉(うつせみ)が住んでいた中川の家は、梨木神社辺りだったのではないかといわ...
#533 TVアニメ『まんが日本史11「摂関政治のはじまり-燃える応天門」』
『まんが日本史』で、太政大臣から人臣初の摂政になった藤原良房のその陰謀劇を描いた回がヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想(『まんが日本史』より、タ…
令和4年8月26日(金) 【旧 七月二九日 大安】・処暑・綿柎開(わたのはなしべひらく)年ふれば齢《よはひ》は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし ~藤原良房 『古今和歌集』 巻1-0052 春歌上年を重ねると齢は老いてしまう。そうではあるが、美しい花を見れば、悩み
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