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嵯峨天皇の以降の天皇は、度々、皇族を源氏として、臣籍に下したため、各々の祖とする、天皇毎に集団を形成し、氏爵を受けるようになった。 その集団は、年号により、…
【大阪市北区神山町】嵯峨天皇行幸の地に創建 梅田の守り神・学問の神様『綱敷天神社』
昨年末に梅田に行く用事があったので、その前に近くに鎮座していた『綱敷天神社』に初参拝しました。以前参拝したお初天神からもそれほど遠くない場所に位置しています。綱敷天神社の創建は843年で、822年に嵯峨天皇が当地に行幸し頓宮を構え1泊したことが起源のようです。
しかし、実際に、皇女が、臣下に嫁ぐのは、前代未聞であり、平安時代中頃までにおいて、同様の待遇を受けた人物は、宇多天皇の皇女、源順子と結婚した、藤原忠平のみ…
藤原葛野麻呂は、藤原冬嗣と同様に、藤原北家の出身で、藤原小黒麻呂の長男であった。 藤原小黒麻呂は、北家の祖、藤原房前の長男、藤原鳥養の次男で、鳥養が、早世し…
藤原冬嗣は、春宮時代からの側近として、嵯峨天皇の信頼が厚く、810年(大同五年)、平城宮に移った、平城上皇と尚侍・藤原薬子に対抗して、嵯峨天皇が、秘書機関の…
藤原内麻呂の長男、真夏は、803年(延暦二十二年)、従五位下・中衛権少将に叙任され、同年7月に春宮権亮、翌年、春宮亮を兼ねて、桓武天皇の治世末に同い年である…
506年(延暦弐五年)に、平城天皇が即位すると、藤原内麻呂は、同年4月に藤原雄友と同時に大納言に昇進する。 更に右大臣、神王の薨御を受けて、同年5月に、正三…
嵯峨天皇は、平城京への遷都を拒否することを決断し、9月10日、使節を発し、伊勢国・近江国・美濃国の国府と関を固めさせる。 更に嵯峨天皇は、藤原仲成を捕らえ、…
藤原式家の種継の長男、藤原仲成は、785年(延暦四年)、父の藤原種継が、暗殺される。 藤原仲成は、父の功績によって、22歳で、従五位下に叙され、翌年、衛門佐…
なお、同時に追尊・慰霊が行われたのが、井上内親王である。 井上内親王は、光仁天皇の治世の772年(宝亀三年)3月2日、前述の通り、光仁天皇を呪詛したとされた…
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2900名以上…