藤原道綱母が住まいした一条邸跡
京都の一条戻橋から東へ50mほど行ったところに、聚楽城 加藤清正邸の案内板があります。当地は平安京の左京北辺二坊五町にあたり、「蜻蛉日記」の著者・藤原道綱母が住まいした平安時代の一条邸跡とされています。藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)平安中期の歌人。父は正四位下藤原倫寧(ともやす)、母は『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』などに刑部大輔(ぎょうぶのだいぶ)源認(みとむ)の女(むすめ)とするが、通説は主殿頭(との...
2024/02/04 01:17
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#一条邸跡
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