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昨日、「月刊・歴史チップス」2023年10月号衆道味(通算264号)、「毎晩鍛錬!剣術修行?鞍馬のお山は禁断の園!? ~ ナンバーワン稚児・遮那王!新たな世界へ行く!!」 を、更新しました。 誤記や乱文の修正やリンクの追加などは追々行います。●歴史チップス●...
※2014年の秋に、熱海のMOA美術館で催された展覧会を振り返っています。この展覧会は、岩佐又兵衛の三大絵巻を同時公開ということで、前々から楽しみにしていました。展覧会場内はもちろん撮影禁止なので、私が事前に購入したMOA美術館所蔵「岩佐又兵衛作品集」から何場面が紹介します。『浄瑠璃物語』奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者の娘浄瑠璃との悲恋物語。15歳の春、鞍馬を出た牛若は奥州を目指す。浄瑠璃姫と出会い、恋に落ちる牛若しかし、先を急がなければならない牛若は、浄瑠璃姫と別れる。その悲しさと旅の疲れからか、牛若は病に。源氏に伝わる宝物が、大蛇、白鳩、烏、小童に姿を変え、牛若を守る。後に浄瑠璃姫を再会した牛若は、平家討伐の暁には、浄瑠璃姫を北政所にすることを約し、大天狗・小天狗に姫を送り届けるように頼む。といった展...岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(2)
鳳来寺の表参道の「歴史が歩いた坂道」には、「浄瑠璃姫と義経」の彫像があります。平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。義経浄瑠璃姫数年前に見たときも思ったのですが、あまりに芸術的過ぎて、理解できなかったのですが、この苦しみもがいている様子が、二人の悲恋を表しているのでしょうか。浄瑠璃姫と義経平家が都で全盛を誇っていたころ、岡崎の近くの矢作の里に、兼高長者という金持ちの権力者が住んでいました。長者には、鳳来寺のお薬師様に祈願して生まれた、浄瑠璃姫という美しい一人娘がありました。姫が15歳の春、平家の目を逃れ、藤原氏を頼って奥州へ向かう義経が、源氏とつながりのある兼高長者の家に泊まりました。姫と義経は愛し合うようになりましたが、義経はいつまでもいることはできません。「半年たっ...鳳来寺の浄瑠璃姫と義経の彫像
2014年の秋のことですが、熱海のMOA美術館で開催された岩佐又兵衛の「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」という展示会へ出掛けて来ました。 岩佐又兵衛といえば、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも一躍有名になった黒田官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重の子どもで、落城の際、城の残された荒木一族・郎党は惨殺されましたが、幼子であった又兵衛は乳母に救い出され、京都の本願派寺院あるいは石山本願寺に保護されました。成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄に近習小姓役として仕え、信雄の改易後は「勝以」と改名し、京で絵師の修業を積んだといいます。 この又兵衛の作品の一つに「浄瑠璃物語絵巻」があり、義経と浄瑠璃姫の物語が描かれています。 展示会場まで、この近未来的なエスカレーターに乗って行きます。...岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(1)
蒲原に伝わる浄瑠璃姫の伝説(3)浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松
蒲原の新栄六本松公園の北側には、浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松があります。浄瑠璃姫は、義経を追ってここまで来ましたが、力尽きてここ吹き上げの浜で亡くなったといいます。里人は浄瑠璃姫を哀れんで丁重に葬り、塚の上に目印として松を6本植えたと伝えられています。浄瑠璃姫の碑・吹き上げの六本松浄瑠璃姫に関する伝説はいくつかあり、そのひとつがここ蒲原町に残っています。浄瑠璃姫の碑には、恋い慕う義経を追ってきた三河国矢作の浄瑠璃姫が、吹き上げの浜で疲れ果てて亡くなったと記されいます。天正時代の頃(1580年)に小野於通(おのおつう)という女性によりまとめ上げられた「浄瑠璃十二段草子」という本には、里人によって吹き上げ浜に追われた瀕死の義経が、浄瑠璃姫の涙の雫により甦ったという筋書きになっています。それに節...蒲原に伝わる浄瑠璃姫の伝説(3)浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松
蒲原の駿河モータースの横に源義経硯水跡があります。ここは蒲原木之内家菩提所で、1167年(仁安2年)に作られ、蒲原一族初代・清實以後と浄瑠璃姫等の五輪の墓が建てられました。1174年(承安4年)義経が東に下る時にこの菩提所の涌き水を使って浄瑠璃姫に手紙を書いたといわれています。手紙を読んだ浄瑠璃姫は、義経を追いかけて来たのですが、病で倒れこの地で亡くなりました。1817年(文化14年)には地蔵尊が建てられ、「いぼ神様」として尊ばれ、義経硯水の水をイボにつけると、イボが落ちるという霊験を願って参拝者が絶えなかったのですが、旅人に持ち去られ、36代勝則によって再建されました。1933年(昭和8年)国道工事のため、墓地は北に移り、面積は縮小し、現在の形となりました。残念ながら涌き水は涸れてしまいました。ブログラ...蒲原の浄瑠璃姫伝説(2)源義経の硯水跡
愛知県の岡崎には浄瑠璃姫伝説が伝わっています。浄瑠璃姫三河国矢作(やはぎ)地方などの伝説や《浄瑠璃物語》に登場する女主人公。《浄瑠璃物語》によれば,源中納言兼高と妻の遊君矢作の長者とが峰の薬師(鳳来(ほうらい)寺)に申し子をして得た子。14歳のとき,金売吉次の供をして奥州に下る牛若(義経)と契ったとされ,駿河国吹上で病に死んだ義経を姫が蘇生させたとされる。また,三河国笹谷で義経が法華経と歌を回向(えこう)すると姫の墓の五輪塔が砕けて,奇瑞をみせたと伝える。(コトバンクより)名鉄東岡崎駅近くの六所神社の大鳥居脇にある高宮神社の礎石は、源義経が浄瑠璃姫の形見の麝香を埋めたとされる麝香塚に使われていた石と伝わっています。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(1)麝香塚(じゃこうづか)石
六所神社は37代・斉明天皇の勅願により、奥州の六所大明神を歓請し創立したと伝えられています。松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く、徳川家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けました。楼門は、4代将軍・家綱が寄進したものといわれています。現在の社殿は寛永11年(1634年)~寛永13年にかけて三代将軍・徳川家光が再建したものです。日光東照宮を思わせる華麗な社殿ですね。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(2)六所神社
浄瑠璃姫が身を投げたという菅生川沿いの浄瑠璃広場には、浄瑠璃ヶ淵跡の句碑が建っています。浄瑠璃ヶ淵跡今からおよそ800年程前、鎌倉街道矢作の宿に「浄瑠璃姫」というそれは美しい姫がいました。姫の出生については諸説がありますが、何れにしてもこの辺りの支配的立場にあった者の家に生まれたようです。承安四年(1174)、浄瑠璃姫十六歳の春のこと、とき、源氏再興の大望を抱き、金売り吉次を伴い東北地方きっての豪族藤原秀衡のもとへ向かう牛若丸こと「源義経」が旅の途中でこの矢作の宿に立ち寄り、折しも浄瑠璃姫の奏でる「想夫恋(そうふれん)」の琴の調べに、名笛「薄墨(うすずみ)」を合わせ吹いたのが縁となり、二人は別れを惜しむ中となりました。しかし、奥州へ下る身の義経は、再開の証にと母の常磐御膳(ときわごぜん)より送られた父の愛管「薄...岡崎の浄瑠璃姫伝説(3)浄瑠璃ヶ淵跡
岡崎の安心院の創建は寿永年間(1182~83)、義経が浄瑠璃姫の菩提を弔うため開いたのが始まりと伝えられています。義経の念持仏で浄瑠璃姫が賜ったと伝わる十一面観世音菩薩坐像を安置しています。当初は妙大寺という七堂伽藍が立ち並ぶ大きな寺でしたが、戦火により衰退し、今では本堂と庫裡を残すのみです。駒札によると、文安5年(1448年)に成瀬国平が大檀那になってこの寺を建立、木像の釈迦如来像を寄進し、以来成瀬家の菩提寺になったとのことです。境内には、芭蕉の句碑もあります。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(4)安心院
浄瑠璃姫の菩提を弔うために、侍女の十五夜は、冷泉という尼になり、浄瑠璃姫が身を投げた淵の川岸に庵室を結び、冷泉寺としました。後にこの地に竜沢永源が、浄瑠璃姫の供養のため、創立したのが成就院とされています。境内の墓地には浄瑠璃姫の墓、侍女・冷泉の墓、穴観音、足跡岩があります。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(5)成就院の浄瑠璃姫の墓
浄瑠璃姫が、平家の目を逃れ、隠れ住んだところに建つ寺院で、通称・浄瑠璃寺と呼ばれます。元は岡崎曲輪(くるわ)付近にあったといいます。浄瑠璃姫の父・兼高長者が瑠璃光山安西寺を開いたのが始まりで、後に光明院浄瑠璃寺に改称したとされました。義経と浄瑠璃姫の画像と、浄瑠璃姫の守本尊である尊薬師如来が安置されています。2005年に来た時には、義経と浄瑠璃姫の幟が立っていたのですが、この時はなくなっていました。今では、岡崎観光協会のおすすめコースからも、「浄瑠璃姫伝説」は外されててしまったようです。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(7)浄瑠璃寺
浄瑠璃姫伝説の続きです。兼高長者は、身を投げた浄瑠璃姫を誓願寺に葬り、十王堂を建てました。本堂十王堂そして、義経と浄瑠璃姫の木像を作り、義経が姫に贈った薄墨の笛、姫の鏡とともに堂内に安置したといいます。2005年に浄瑠璃姫と義経のウォーキングに参加した時に、その寺宝を見せていただきました。義経と浄瑠璃姫色鮮やかでとても美しいですね。義経と浄瑠璃姫の木像義経の薄墨の笛浄瑠璃姫の墓ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(8)誓願寺
岡崎の本願寺三河別院は、浄瑠璃姫が観月の宴に興じたところとされ、姫の死後、侍女・更科がここに草庵を営んで菩提を弔ったといいます。境内には観月遺跡と更科の墓と伝わる供養塔があります。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング岡崎の浄瑠璃姫伝説(9)本願寺三河別院の観月遺跡
静岡県の蒲原にも浄瑠璃姫伝説が伝わっています。東海道本線「新蒲原駅」より徒歩15分ほどのところにある光蓮寺光蓮寺は1620(元和6)年に開山した浄瑠璃姫を供養するお寺です。浄瑠璃姫の供養を行っていたのは、もとは慶徳寺というお寺でしたが、慶徳寺から浄瑠璃姫の位牌を引き継いだのが光蓮寺なのだそうです。浄瑠璃姫は、奥州に向かった源義経を追いかけ、富士川のあたりまで来たのですが、蒲原の地で命を落としてしまいます。境内にある浄瑠璃姫の壁画光蓮寺には、浄瑠璃姫の位牌があります。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング蒲原に伝わる浄瑠璃姫伝説(1)光蓮寺