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#逢坂の関
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#4505 あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる
令和7年2月3日(月) 【旧 1月6日 赤口】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる ~橘俊綱(1028-1094)『後拾遺和歌集』 巻1-0004 春歌上逢坂の関を春は越えてやってきたようだ。音羽の山にも今朝は春霞がかかっ
2025/02/03 23:09
逢坂の関
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#4474 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
令和7年1月3日(金) 【旧 一二月四日 先負】 冬至・「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ ~清少納言 『後拾遺和歌集』 巻16-0939 雑歌二夜が更けている間に鶏の鳴き声を真似て、朝が来たと騙して帰ろうとしても
2025/01/15 10:19
大津・宇治”をかし”の旅(宇治編) @2024/12 名古屋
バスツアー後半は大津から宇治へ大津から京都方面に進むと、百人一首などにも出てくる”逢坂の関”を通りました。歴史や古文で聞いたことがあるような場所が身近にあ...
2024/12/29 18:56
藤原惟規は、勅撰集に選ばれるほど歌の才能があったそうです。『後拾遺和歌集』に、越後へ向かう時に詠んだ歌があります。辞世の歌 「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」惟規は最後の「ふ」の文字を書けずに息絶えたため、父・藤原為時は「おそらくこのように書きたかったのであろう」と書き足したといいます。都へ帰りたいとい気持ちを抱きながらも、再び都の地を踏むことが出来なかった惟規。。さ...
2024/10/14 22:06
旅立ちの地である打出浜
大津市の打出浜は、平安時代、貴族達の間で流行った石山詣をする際、逢坂の関を越え、舟で石山寺へ向かった出発の地とされています。『枕草子』にも「浜は、打出の浜」と記され、紫式部も父・藤原為時の越前赴任に伴い、ここから旅立ったといいます。その舟路で三尾崎を通ったとき「三尾の海に綱引く民のてまもなく立居につけて都恋しも」と詠み、その歌碑が白鬚神社(高島市)に建立されています。ここから見える三上山は、紫式部...
2024/05/29 22:43
清少納言も歌に詠んだ逢坂の関
京阪電鉄/京津線「大谷」下車 徒歩3分のところにある「逢坂の関」は、逢坂山にあった関所で、東海道、東山道の京都への入り口にあたる要所として知られています。また、平安時代から蝉丸法師や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地としても有名です。天禄元年(970年)には藤原道綱母が逢坂越を通った際に休息した事が『蜻蛉日記』に記されています。「逢坂」の地名を契機として別離や邂逅の感懐が詠まれることが多いが...
2024/05/28 21:48
京都から大津を電動自転車で越えてみた
仕事で使っていた電動自転車を移動することになった。 京都(桂川の西)から大津へ。 逢坂の関を越えるイメージであろうか。 京都からの都落ち・・・だね。 自動車なら1号線を素直にたどるか、高速道路(名神)を使うと速い。 いろいろなルートを考える。 こういうとき、Googleのルート検索はあまりあてにならない。 自転車移動を考えていないからだろう。 七条通りを東へ向かうルート、四条通りを使うルート。 やや北の三条通りや御池通りを使うルート。 桂から四条烏丸へ自転車を運んだことがある。 初めての時は、わかりやすい四条通りを使った。 バイクに乗る人の意見に従ったが、これは失敗。 四条通りはバス路線が多い…
2022/12/28 08:21
【百人一首の歌人】蝉丸 盲目の琵琶法師が行き交う人たちに思う
百人一首の第十歌の歌人は蝉丸です。 夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズにも時々登場します。 ご存知の方も多いかと。 今回は蝉丸について紹介します。 蝉丸とは 盲目の琵琶法師だったと伝えられています。逢坂の関(山城国と近江国の境)は当時の交通の要衝。多くの人が行き交っていたのでしょう。蝉丸はそこに庵を建てて住んでいたそうです。そして、逢坂の関を通過する人を見ていました。新古今和歌集や後撰和歌集に数種歌が選ばれています。いずれも、世の儚さを歌った内容になっています。 時代背景 平安時代の光孝天皇や宇多天皇の皇子であったとも伝えられています。この頃、藤原良房、藤原基経らが権力の中枢にいて、対抗する勢力の…
2022/04/28 05:27