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#4505 あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる
令和7年2月3日(月) 【旧 1月6日 赤口】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる ~橘俊綱(1028-1094)『後拾遺和歌集』 巻1-0004 春歌上逢坂の関を春は越えてやってきたようだ。音羽の山にも今朝は春霞がかかっ
曲水の宴は、(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、庭園の曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという遊びで、もとは中国で行われたものです。奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられ、平城天皇の代に一時中止されましたが嵯峨天皇により復活。平安時代には宮廷や貴族の邸宅などでも行われるように...
今熊野観音寺と同様、泉涌寺の塔頭の即成院は、正暦3年(992)、恵心僧都源信によって建立された光明院を始まりとするという説もありますが、実際の創立者は藤原道長の孫で、藤原頼通の子である歌人・橘俊綱が、伏見桃山に創建したのが始まりと考えられていいます。山門明治時代に現在地に移され、泉涌寺の塔頭となりました。本堂本堂内陣の本尊の阿弥陀如来と二十五菩薩は、寛治8年(1094)に作られたもので重要文化財。毎年10月の...