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#三条天皇
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾壱
藤原道長は、996年(長徳二年)、31歳の年に、当時の一上であった、左大臣に任官し、以降、1017年(長和六年)、51歳の年に、摂政を辞任するまでの20年間、…
2025/03/21 01:45
三条天皇
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾四
その頃、藤原道長との関係改善を図るため、三条天皇は、第二皇女の禔子内親王の頼通への降嫁の打診がある。 道長は、一旦同意するが、道長の長男の藤原頼通は、妻の隆…
2025/03/08 06:04
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾参
その後、藤原道長は、重病に伏して、一時は、飲食物を受け付けないほど状態が、悪化し、致仕の上表を行う。 道長の病について、前述の通り、比叡山に騎馬で登ったため…
2025/03/07 01:02
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾弐
しかし、藤原娍子の立后の日及び、藤原妍子の参内の日が、同じ、4月27日に重なった。 当日は、藤原妍子の参内の儀を終えた後に、娍子の立后、即ち、本宮の儀が、開…
2025/03/03 00:09
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾壱
1011年(寛弘八年)5月下旬、一条天皇は、急病に倒れ、5月27日には、道長に対して、譲位の準備を指示する。 譲位に先立って、一条天皇は、厚く信頼する、権中…
2025/03/02 07:01
一条天皇・三条天皇の火葬塚~三条天皇北山陵
三条天皇は、第六七代の天皇。冷泉天皇の第二皇子。名は居貞(おきさだ)。母は太政大臣藤原兼家の女超子。986年(寛和2)7月、従弟の一条天皇即位に際し元服、立太子。1011年(寛弘8)危篤の一条天皇の譲位を受け、36歳で即位し、皇太子には中宮藤原彰子の子、敦成親王(後一条天皇)が立ちました。しかし、その頃は藤原道長が左大臣として権勢をふるった藤原氏の全盛時代で、有力な後見を欠く三条天皇は、在位5年の間、絶えず政権...
2024/11/16 21:31
三条天皇が譲位した邸跡・枇杷殿跡(びわどのあと)
京都御苑の枇杷殿(びわどの)は、藤原仲平の屋敷跡です。左京一条にある枇杷第を伝領し、邸内に枇杷が植えられていたことから、枇杷殿、枇杷左大臣などと呼ばれていました。長和3年(1014年)三条天皇は眼病を患い、藤原道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫りました。また、この年と翌年、内裏が相次いで焼失。眼病の悪化もあり、長和5年(1016年)三条天皇は、皇后娍子(せいし/すけこ)の子・敦明親王の立太子を条件に、道...
2024/11/14 22:43
比叡山延暦寺(3)出家した道長の三男・藤原顕信
藤原顕信(あきのぶ)は、藤原道長と明子(左大臣源高明 の娘)の子で、道長の三男に当たります。11歳で兄と共に元服、寛弘2年(1005年)侍従に任官。寛弘3年(1006年)左兵衛佐を兼ね、寛弘6年(1009年)従四位下、寛弘7年(1010年)従四位上と昇進し、寛弘8年(1011年)10月に右馬頭に。同年12月に三条天皇から道長に対して、藤原通任の参議昇進で空席となっていた蔵人頭に顕信を補任させる意志を告げられましたが、顕信は「不足職之...
2024/11/12 22:39
比叡山延暦寺(1)三条天皇も参詣した延暦寺
比叡山延暦寺には、多くの貴族が参詣しました。目や耳の病気に苦しんでいたという三条天皇もその一人です。三条天皇が天皇の位を退いた後、延暦寺に参詣したことが藤原実資の『小右記』書かれており、比叡山へと続く、きらら坂を輿で半日かけてのぼり、延暦寺の根本中堂で病気の回復を祈願したといいます。4年前に訪ねた時の画像です。ケーブル延暦寺から延暦寺の参道を歩いていきます。歩くこと7分で、延暦寺に到着。比叡山の山内...
2024/11/10 20:49
#4394 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
令和6年10月16日(水) 【旧 九月一四日 仏滅】寒露・菊花開(きくのはなひらく)心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな ~三条院(976-1017)『後拾遺和歌集』 巻15-0860 雑歌一思いもよらずこの世に生き長らえたならば、いつか恋しく思い出すであろう、
2024/10/16 23:36
#561 26首目:大中臣輔親-シリーズ愛国百人一首 27
『愛国百人一首』の選定された26首目は大中臣輔親です。ここから平安時代(前期)の歌。(著者所持の『愛国百人一首』の大中臣輔親の絵札) 山 の ご…
2024/01/12 11:58