天皇の座を奪う野望を抱かず陰で支える藤原不比等の戦略はその後400年続く藤原氏繁栄の礎となる。
二官八省五衛府 645年大化改新(乙巳の変)専横きわめる蘇我入鹿(そがのいるか)から政権奪回のため中大兄皇子と藤原氏勃興の祖となる中臣鎌足が蘇我入鹿と父蝦夷(えみし)の暗殺を実行、孝徳天皇を擁立し大化の改新を為す。 yaseta.hateblo.jp 672年壬申の乱 大友皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の子 大海人皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の弟 天智天皇の子と弟の天皇の座を巡る争い 大友皇子(39弘文天皇 諡)壬申の乱で敗北し自殺 大海人皇子673年40代天武天皇み即位 藤原不比等の父(中臣鎌足)が大友皇子方だったため不遇 40天武天皇(在位673年~687年)―鸕野讚良(うののさ…
2024/06/01 19:01