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今回は大阪府藤井寺市にある辛国神社をめぐります。由緒書きによれば、5~6世紀ころに創建されたと伝わる古い神社です。蘇我氏に圧倒されるまでの間、畿内に一大勢力を築いた豪族・物部氏によって創建され、のちに同氏の氏神となりました。辛国神社由緒御祭神饒速日命天児屋根命素戔嗚命市杵島姫命品陀別命当社は、五世紀後期 第二十一代雄略天皇の御代に創建された式内社であります。日本書紀に「雄略天皇十三年春三月、餌香長野...
【鹿食免・鹿食箸】諏訪信仰とともに続いた肉食文化のこん跡【屠る/祝る】
はじめに 諏訪で感じるのは縄文に続く弥生・古墳時代の歴史が薄いこと… #諏訪大社 御祭神が弥生の #タケミナカタ であるにもかかわらず…そこが腑に落ちません。#鹿食免 #鹿食箸 からその空白の歴史をひも解く端緒があるような気がします 目次 鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の歴史 鹿食免・鹿食箸とは 「屠る」と「祝る」 本文 鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の歴史 神長官守矢資料館(長野県茅野市)の奥の展示室に 鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし) の展示(版木)。 鹿食免(かじきめん)の版木/神長官守矢資料館パンフレット 諏訪大社ではかつて、狩猟が重要な神事とされ、毎…
【神長官守矢家 訪問①】伝・武麿(守矢家27代)の円墳と出自の謎
はじめに 諏訪大社上社の #神長官(じんちょうかん)として中世をピークに明治期まで続いた #守矢家。当ブログ #物部さん考 の一環として #神長官守矢家資料館 を訪問 目次 神長官裏古墳 27代目に現れる武麿(弟麿) 点を繋ぐ線 地域に残る物部守屋の伝承 本文 神長官裏古墳 直径約九メートルの土の盛り上がりの頂上に玄室が露出しています。 案内板には、元はもっと規模の大きな円墳で、西暦六百年代(七世紀頃)の築造と書かれていました。 神長官裏古墳(神長官守矢家敷地内)七世紀頃築造 「神長官守矢史料館のしおり(有料)」に「(先代が)用明天皇(第31代)の御世の我が祖先武麿君(弟君)の墳墓です。といっ…
【守屋神社(里宮)】信濃と大阪を繋ぐ物部守屋の点と線【物部さん考】
はじめに ようやく参拝がかなった #守屋神社(里宮)。人里離れた #守屋山 麓に鎮座。#丁未の乱(587年)で太子に討たれ #物部氏(宗家)の最後の当主となった #物部守屋 が祀られています。当ブログ #物部さん考 も簡単に振り返り 目次 守屋神社(物部守屋神社) 守屋神社 境内 物部さん考/開物の古代妄想シナリオ(主要な過去記事) 本文 守屋神社(物部守屋神社) 標高1,651mの守屋山の麓、諏訪大社上社(二社)のある茅野市と伊那市をつなぐ国道152号線沿いに鎮座。 (35.95475798129302, 138.10928326590195)/長野県伊那市高遠町藤沢/茅野市と伊那市を繋ぐ県…
【藤井寺市藤井寺】物部氏一族・辛國連の氏神である饒速日命が祀られた『辛國神社』
羽曳野市の近鉄古市駅から藤井寺駅に向かって歩いてきましたが、最後に訪れたのは駅前商店街付近に鎮座している『辛國神社』です。延喜式内帳にも記載のある古社になります。創建年は判明していませんが、 雄略天皇の時代のようです。古代に物部氏一族だった『辛國連』が祖神
【源氏と平氏】 日本人は、大きく分けると源氏(みなもとし)と平氏(へいし)の2つの血族から成立しているようです。どちらの血族も大元を辿れば天皇に繋がります。 日本人は全て天皇の子供という教育を受けていた昔の人々には、当然理解できていたことなんでしょうが、戦後世代が人口のほと...