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あぁ。あれに見えるは一の鳥居。宇迦橋の大鳥居か。たぶんわたしはこの写真をとったあたりでバスをおりたのかな?もしかしたら「参拝の心得」に書いてある鳥居をふたつぶっちして、出雲大社バスターミナルあたりで下車、4つある鳥居の最後、銅の鳥居だけくぐってお参りしたのかもしれない。 まったく覚えていないけれど。 なにせ出雲大社、広うございます。古代出雲歴史博物館(今回は時間の関係で行かず)前の駐車場か...
こんにちは! 4月の一時帰国まであと1ヶ月ちょい。 今回は3週間と短いので、やることを厳選しながら予定を立てています。 帰国してまず向かうのは、伊豆にある「ヒポクラティック・サナトリウム」 ここは20 ...
あ、さて。二日間の対馬滞在。駆け足であったが中々濃厚に満喫できました。三日目本日は、壱岐へと移動し観光。朝の8時にホテルを出発し、厳原港からフェリーに揺られて2時間ちょっとの船旅です。旅の相棒はこちら。フェリーちくしさん。全体的に古めかしさを感じさせる船体であるけれど、全長約100m、総トン数約2000。乗用車ならば69台ものり、定員674名の堂々たる広さのお船である。速さを優先するならば行きに利用したジェット...
あ、さて。対馬を明治まで治めた宗家の菩提寺・万松院の見学が終われば、あとは自由時間。明朝8時には壱岐へと移動するので、見のこした観光名所に行くも良し。グルメに走るも良し。お土産を買いに行くも良し。対馬を最後まで満喫すべく、ツアーの皆様は三々五々散って行きました。わたくしはと言えば、この二泊三日の間にあらたか観たいと思っていた場所には行けましたし。さらに行きたい場所ややりたいことは、時間的に無理。対...
ラッキーなことに、車窓観光からおりての観光になった椎根の石屋根倉庫。その後われら一行が向かったのは、万松院でした。万松院。元和元年(1615年)に宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。このブログで何度もお世話になっている「長崎しま旅行こう」HPにそう書いてあるように、対馬を明治まで治めた宗家の菩提寺です。HPや観光マップをみると、なんだか山の中にある...
こちらは、小茂田浜神社にひっそりと置かれていた砲弾。日露のころのものだろうか。それとも第2次大戦のころの?なんの説明書きもなく、「珍しいのが掘ったら出てきた。とりあえずここに飾っとく?」といった感じでたたずむこの砲弾。戦のさなかならば、これが落ちて爆発すれば周囲のさまざまなものを吹き飛ばす恐ろしき兵器。いまは、ただの赤さびの浮いた鉄の塊。できれば、博物館や美術館に飾られている甲冑や刀のごとき遺物の...
あ、さて。上見坂公園で近代戦争を垣間みたあとは、元寇の頃の戦に想いをはせるべく小茂田浜神社へ参りましょう。このお社に祀られているのは、文永11年、西暦1274年の元寇で主従80騎兵が全滅した宗資国さん。当時すでに67歳でしたが、ここに祀られている大鎧姿は若々しいですねぇ。それとも。あの当時は「老後」なんて言葉(考え)はなく、身体が衰えれば数年で亡くなるのが当たり前の時代でしたから、討ち死にできるくらい戦える...
お昼ごはんを頂いた対馬グランドホテルからほど近い、1㎞くらいですかね。その場所にあるのが、上見坂公園。それが次なる観光ポイントです。「長崎島旅いこう」HPによれば、標高358mあるらしいのですが、バスでゆるゆるとのぼったおかげか、ガイドKさんのお話に気を取られていたせいか、あんまり高台の印象はないですね。あぁでも。公園入口からすぐ、ゆるい傾斜をのぼった先にある展望台からはたしかに、遠くの入り江や島々が...
あ、さて。暢気に旅の思ひ出をかたるつもりが、毎度毎度脱線して長くなってしまうこの旅日記。さきの和多都美神社(余談ながらこれ、ワ「ダツ」ミではなくワ「タヅ」ミと読むそうです)の稿で書ききれなかった、身代わり鳥居について書かせていただきましょう。みなさま覚えておられるでしょうか。3年前の台風9号、10号の被害を。3年前というと令和2年。コロナ禍前のことですから、そこから記憶が寸断してしまった方もおられ...
烏帽子岳展望所でやっかいな隣人であるロシアについて想いを馳せた後は、和多都美神社へ移動します。烏帽子岳から直線距離ならば1㎞も離れていないこのお社、当初の予定では車窓からの観光のみでした。しかし現地ガイドのKさん、安定したテクニックが素敵なドライバーのNさん、そして添乗員さんのお心遣いにより、なにより定時前集合、出発のツアーの皆さんのおかげで、降りてお参りすることができました。やった。旅先では、なん...
さて。万関橋にて日露戦争に想いをはせた後、つづいて向かったのは烏帽子岳展望台。地図で確認すると万関橋をわたって国道382号線を北上。20kmくらいかな?バスに乗って、現地ガイドKさんが現在お住まいの上対馬の集落、その日常と過疎化についてお聞きしているうちに着きました。展望台は烏帽子岳の頂上にあります。ガイドブック「対馬BOOK」によれば烏帽子岳の標高は176m。しかしこの駐車場の標識には60m。つまりはバスです...
さて。対馬・壱岐 島めぐりの二日目。大満足の朝散歩を終えて、そろそろ朝食をとらねば。でもその前に、もう一度正面を斜めからぱちり。写真右手で道路をみている方は、小学生の通学を見守っておられた方。そのユニフォームから警察の方だろうと思ったのでお顔が映らないように配慮しましたが、やっぱり長崎県警の方でしたね。そうなんですよ。この八幡さんの前の道路、通学路なんですよ。その後中学生の姿も見かけましたし。我が...
対馬・壱岐島めぐりの旅。二日目の朝。(わたしにしては)早起きして、厳原の街散策中でございます。散策の目的第一、朝鮮通信使の足跡をちょいとたどる。それは果たせました。ま、ホテルの周辺の道にあるものだけですが。第2の目的が、こちら。厳原八幡宮神社でございます。対馬ガイドのKさんに昨日いただいた「対馬BOOK」には、このお社についての詳しい記述はありませんでしたが。昨日の街歩きで通り過ぎつつ猫たちを愛でただけ...
あ、さて。新しい朝が来ました。希望の朝です。久々の(ツアー参加ですが)ひとり旅に加えて、ずっと行こうと思っていた場所への旅というわけで、ワタクシ昨日からかなりハイでございます。普段宵っ張りの朝寝坊、予定がなければ寝たいときに寝ておきたい時に起きる自堕落な生活を送っておりますが、旅ともなれば早寝早起き。昨夜はなんと10時(9時だったかも)前に就寝しまして。この日は6時ごろにはお目めぱっちり。お空は快晴...
あ、さて。対馬・壱岐島めぐりの旅。一日目なのにすでに5記事を費やしてもまだ終わらない。たった二泊三日の旅なのですが、なにせ長年行こうと思っていた国境の島ですからねぇ。書きたいことが多すぎて。例えばこの半井桃水氏の館。樋口一葉と浅からぬ関係のあったお師匠さん、くらいの情報しかもっていなかったのに、やはりその場に直接降り立てば、想起(妄想)されるものもさまざまあるわけで。館の敷地内、正面の門を入って右...
あ、さて。見どころ一杯の対馬博物館をでた後。我らが向かったのは、博物館すぐ横からつづく旧対馬藩の城下町である。ここからも、例の「ブラタ〇リ」ネタがどんどんでてくるが、皆様ついてきて欲しい。博物館のエントランスから道なりにつづく細い階段を降りた先。そこがもう城下町のただなかである。その証拠が上の写真。前の記事でもふれた石英斑岩の石垣だ。(対馬を知ろう 対馬博物館 (tsushimamuseum.jp))現在は風雨にさ...
あ、さて。厳原港→お船江跡ときて、ここでお勉強タイム。対馬博物館へ。令和4年、昨年オープンしたばかりのこの博物館では、対馬の自然、歴史、文化、芸術を古代から現代まで通しで学べる。2階建て、展示スペースは1階7室のみだけれど、エントランスホールから総合室に入ってすぐ、古代の展示室からもう見どころ満載で、1時間ばかりの観覧時間ではとても足りなかった。内部のほとんどはもちろん撮影禁止なので、しっかり目に焼きつ...
さて。観光にまったく特化していなかったジェットフォイルに揺られること2時間強。壱岐を経由して、無事対馬に到着した我ら23名である。途中の壱岐はずいぶん平たい山だなと思ったが、対馬は逆に、ずいぶんごつごつとした山がちな島のようだ。それを物語るかのように、我らを迎えてくれた厳原(いづはら)港につく前、地図でみれば「アマカ崎」やら「竜ノ崎」と呼ばれるだろう海岸線は、岩肌が露出していたり、そこにかろうじてへ...
先日、ふとおもいたって対馬に行ってきた。ついでに壱岐にも。対馬は韓国との国境。我が町からなら新大阪からだーんと博多まで新幹線で約2時間半。さらには船に乗り換え時速80キロのジェットフォイルでも、さらに2時間以上ゆられないとたどり着かない場所にある。この島は、ながらくわたしの「近いうちに必ず行く」リストの上位5位にはかならず入っていた。しかし前述のとおり、国内とはいえ近くはない。なんなら飛行機で行く沖縄...