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ラッキーなことに、車窓観光からおりての観光になった椎根の石屋根倉庫。その後われら一行が向かったのは、万松院でした。万松院。元和元年(1615年)に宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。このブログで何度もお世話になっている「長崎しま旅行こう」HPにそう書いてあるように、対馬を明治まで治めた宗家の菩提寺です。HPや観光マップをみると、なんだか山の中にある...
#428 第38回「唐入り」感想~大河ドラマ『どうする家康』
欲望を大義にすり替えて壊れていく太閤秀吉の姿を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第38回「唐入り」(10月8日放映)について”キツネ”の茶々?に憑りつかれたよ…
#433 TVアニメ『まんが日本史「豊臣秀吉の野望-朝鮮出兵と安土桃山文化』の感想
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の秀吉の朝鮮出兵などについてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 秀吉の驕りと名…
#438 第39回「太閤、くたばる」感想~大河ドラマ『どうする家康』
唐入りの欲望を果たすべく文禄の役を始めた秀吉が秀頼の無事だけを願う人物になってしまった姿を描く大河ドラマ『どうする家康』の第39回「太閤、くたばる」について欲…
#450 朝鮮出兵と秀吉の死 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
10月8・15日の大河ドラマ『どうする家康』では朝鮮出兵と秀吉の死が描かれています。これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜秀吉さんの暴走は止まらないねってことで第38話の感想ぉ〜豊臣秀吉の唐入りが始まりました。いったい何のために…
京都の豊国神社門前にある古墳状の盛り土をした上に五輪塔が建てられた塚は、耳塚と呼ばれています。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を削ぎ、腐敗を防ぐため、塩漬けにして持ち帰ったものを葬った塚で、2万人分の耳と鼻が埋められているといいます。昭和44年(1968年)4月12日、「方広寺石塁および石塔」として、国の史跡に指定されました。当初は「鼻塚」と呼ばれていましたが、...
宮島の大聖院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に弘法大師空海が唐からの帰途、弥山を開基して以来1200年の歴史をもつといいます。天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られます。本堂は、鳥羽天皇の勅願道場として創建されたことから、鳥羽天皇の第五皇子である覚性法親王が門跡を務めた京都の仁和寺や歴代皇室との結びつき深く、明治天皇の厳島行...
聖母宮(しょうもぐう)神功皇后の三韓征伐(さんかんせいばつ)にちなむ神社 壱岐
モカジャバカフェ大久保本店 勝本浦は港に沿って家々がひしめくように建っていて、迷路のような路地に入り込むと、懐かしい暮らしぶりがあふれていました。 聖母宮 拝殿 神功皇后の三韓征伐(さんかんせいばつ)にちなむ神社で、征伐に勝利したことから勝負の神として知られ、また、皇后は三韓征伐の際に応神天皇を身籠り、凱旋の後に無事に出産したとの伝えから安産の神としても知られています。 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には加藤清正から正門は奉納されたもで、神社周囲の石垣も当時風待ち時に配下に積ませたもので、朝鮮半島と風に縁のある神社です。 対馬暖流に乗り様々な漁種が回遊する豊かな海で、勝本港は漁火を煌々焚いて漁をするイカ釣り漁の船がひしめくそうです。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2013.05.25 長崎県壱岐市勝本町勝本浦 200..
【山上八幡神社】安倍元首相銃撃事件現場から徒歩10分 秀吉が朝鮮出兵の際に勝利を祈願 「聖地」になる危険性?
安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された山上徹也容疑者の “減刑” を求める署名が、8月1日時点で4000人を突破したと、『女性自身』が報じた。こうした動きとはまったく別に、事件現場から徒歩10分程度の場所に「山上八幡神社」という神社が存在していることが話題になっているという。そこで祀られているのが「弓矢八幡」と呼ばれる武神の八幡神で、あの秀吉が朝鮮出兵の際に勝利を祈ったエピソードが。「聖地」となる可能性も…。
今回のお城は【志摩国】の 鳥羽城 を紹介します。 この城の場所は、現在の鳥羽水族館がある裏山にあたるところにありました。 当時は完全に海に浮かぶ海城で、それもそのはず築城したのは九鬼嘉隆と