メインカテゴリーを選択しなおす
徳川家康は晩年に誕生した三人の男子に将軍家に次ぐ地位を与えた。それが、九男・義直(尾張藩)、十男・頼宣(紀州藩)、十一男・頼房(水戸藩)で、いわゆる「御三家」だ。万が一、将軍家に後継となるべき人材がないという事態に陥った場合の備えとして、その際には、この
<松坂城>の”城門”を巡る-城内には本居宣長邸門がありますが、城門は城外の二箇所のお寺に移築
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<田丸城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-三の丸御殿の一部”奥書院”が城内に現存再移築
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
(写真:徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城『和歌山城』) 紀伊半島の西側に位置する和歌山県。 県庁所在地の和歌山市には、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城和歌山城があります。 現在の城は江戸時代の姿を復元したものとなっております。 先日、1泊で和
将軍吉宗を輩出した紀州徳川家の居城「史跡 和歌山城」(和歌山県和歌山市)
紀州徳川家の始まりは、徳川家康の十男「頼宜」、徳川御三家の紀州藩からは、吉宗をはじめ6人の将軍が誕生した。築城は、紀州を平定した羽柴秀吉が弟の秀長に命じて築城、関ケ原の合戦の後、浅野家が城主となり、その後に前述の徳川頼宜が城主となる。さて、和歌山銘菓とい