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筆者の生息地・尾張にはこんな言葉があります。 「尾張名古屋は城で持つ」 こんな意味合いだと説明されています。 ~江戸時代に流行した俗謡の一節で、名古屋城を自慢する言葉~ その名古屋城本丸は周りを堀で囲まれており、もう少し丁寧に眺めると、その堀の 外側の位置にニケ所の「金シャ...
<高須陣屋>の”城門”を巡る-高須四兄弟を輩出し陣屋御殿を再現した海津市歴史民族資料館の模擬正門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
幕末、新政府軍と幕末軍、敵味方に分かれて戦うことになった高須藩の四兄弟たち。そんな彼らの活躍と悲哀を描いたのが『葵の残葉』でした。そして『葵のしずく』は、『葵の残葉』の四兄弟たちを、裏で支えた女性たちの物語です。正妻や母といった公式な立場の
さて、お話は幕末だ。その頃、現在の岐阜県海津市に当たる地域に「美濃国・高須藩」という3万石ほどの小さな藩があった。その藩主・松平義建(よしたつ/1800-1862年)が儲けた男子はなんと10人(つまり長男から十男まで)。ひょっとしたら、ヒメ隊員もその名を耳にしたこと
四葉の葵は、置かれた場所でそれぞれ異なる葉をつけた。長兄慶勝、次兄茂栄は朝廷側、年の離れた弟の容保、定敬は幕府側。幕末、敵味方に別れて戦うことになった徳川一門、高須藩の四兄弟の物語。幕末という嵐に抗いながらあるものは和平を、あるものは忠義を