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新城神社(→神奈川県川崎市中原区新城中町4丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、「元禄七年九月領主中川左平太重興建立」という棟札が残っており、江戸時代前期(→5代将軍徳川綱吉の頃)の1694(元禄7)年9月に創建されたことが分かります。中川重興は正覚山 又玄寺(ゆうげんじ)を開基とした徳川氏の旗本で、1645(寛永21/正保元)年に生まれ、母の実家・吉田流弓術の中川重龍(しげたつ)の養嗣子(→家督相続人の養子)となり、弓術のほか...
興林山 宗隆寺(→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の直属末寺に属していた日蓮宗寺院です。創建時は天台宗で本立寺と称していましたが、戦国時代前期(室町時代中期)の1496(明応5)年に日蓮宗に改宗して宗隆寺と寺号を変え、現在に至ります。江戸時代には昨日ご紹介しました溝口神社(→当時は赤城社)をはじめ溝口村全域の社(やしろ)の別当寺として祭祀を司るなど、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)で...
溝口神社(みぞのくちじんじゃ→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、創立年代は不詳ですが、神社保存の棟札によると江戸時代中期の1709(宝永5)年に武蔵国橘樹(たちばな)郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されていて、神仏習合の江戸時代までは溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、赤城社と称していたといいます。江戸時代には現在の神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)へ巡礼する大山詣(おおや...