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【160km完走!】矢倉沢往還ウルトラマラソン体験談|56歳アトムさんの挑戦と感動の26時間
WATARUです! 「160kmって…本当に走れるの?」そんな疑問を抱いているウルトラマラソン志望のあなたに朗報です! 今回は、矢倉沢往還160kmを見事完走されたラン友・アトムさん(56歳)に、生の体験談を聞かせていただきました。ウルトラ
予報より早く雪が舞い始めた横浜北部です。朝のゴミ出し散歩では、すでに畑が白く染まり始めていました。9時半現在、我が家の庭も白くなってきました。今日は私学の高校入試の日。行きは大丈夫でしょうが帰りが大変かもしれませんね。ウチの息子も来週公立高校の試験日ですか
先週土曜日は快晴に空に誘われるように快走ミニベロのKHSを走らせて来ました。ちなみに本日土曜日は仕事の山と格闘中です(汗)。雑用済ませてからの出発なので10時過ぎに自宅を出ます。自走帰宅だと行ける場所が限られてまうので、帰りは輪行と決めて久しぶりに快走ミニベロ
史料探索のために「南足柄市史」の資料編を改めて確認しているのですが、エピソード的に取り上げてみたい史料を見つけました。今回はこの史料を中心に考えられることを書いてみたいと思います。この史料の「南足柄市史」上での表題は「219 慶応四年八月 関本村を関本宿と改称の願書」となっています。(表紙欠)乍レ恐以二書付一奉二申上一候一当村人馬御継場之義(儀)ハ、先年駿・甲・信右三ケ国江之往来ニ而、登り者駿州竹之下...
興林山 宗隆寺(→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の直属末寺に属していた日蓮宗寺院です。創建時は天台宗で本立寺と称していましたが、戦国時代前期(室町時代中期)の1496(明応5)年に日蓮宗に改宗して宗隆寺と寺号を変え、現在に至ります。江戸時代には昨日ご紹介しました溝口神社(→当時は赤城社)をはじめ溝口村全域の社(やしろ)の別当寺として祭祀を司るなど、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)で...
溝口神社(みぞのくちじんじゃ→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、創立年代は不詳ですが、神社保存の棟札によると江戸時代中期の1709(宝永5)年に武蔵国橘樹(たちばな)郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されていて、神仏習合の江戸時代までは溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、赤城社と称していたといいます。江戸時代には現在の神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)へ巡礼する大山詣(おおや...