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↑神奈川県横浜市都筑(つづき)区に所在する、茅ヶ崎城址(茅ヶ崎城址公園)を探訪しました。城の概要は、現地解説板より以下に転記しました。茅ヶ崎城址 茅ヶ崎城址は「空堀」「廓」「土塁」などが良好な状態で残る、貴重な中世城郭遺跡です。早渕川を北に望む自然の丘を利用して築城されています。 茅ヶ崎城は、14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなります。 16世紀中頃には、二重土...
↑文明9年(1477)の長尾景春の乱で、扇谷上杉家 家宰の太田道灌公が、石神井(しゃくじい)城攻めの際に戦勝祈願した、東京都杉並区の荻窪八幡神社を訪問しました。↑訪問の第一の目的は、御神木の「太田道灌公が植えたと伝わる槇(道灌槇:どうかんまき)」を見ることでした。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。荻窪八幡神社 この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約千百年前の寛平年間(889〜898)に、応神天皇...
↑東京都調布(ちょうふ)市の深大寺(じんだいじ)に残る中世城郭、標柱には「都旧跡」とありますが、現在は国指定史跡の深大寺城跡を訪問しました。史跡の概要は、文化遺産オンライン様の解説より、一部を以下に引用させて頂きました。深大寺城跡は、関東平野南部に広がる武蔵野台地の南縁辺部の、標高約50mを測る舌状台地の一角に所在する、3つの郭からなる戦国時代の城跡である。 台地の東側には開析谷によって形成された...
茅ヶ崎城址公園(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東2丁目)は、港北ニュータウン遺跡群として保存されている中世城郭の1つで、戦国時代には小田原北条氏の家臣座間氏(→知行地50貫)が城代もしくは城番を務め、小机城(→神奈川県横浜市港北区小机町)を中心とする小机衆の支城として機能しました。北条氏の軍役は7貫で1人の動員が義務付けられていたため、50貫の座間氏は、本人+7人の家来を率いて参陣したことになります。茅ヶ崎城は、比高...
宝林山 運昌院 泉澤寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目)は、戦国時代前期の1491(延徳3)年に世田谷城主吉良頼高(きらよりたか)が世田谷領烏山(→東京都世田谷区千歳台、旧廻沢町)に開基した自身の菩提寺が前身の浄土宗寺院です。開山は僧の好善と記されます。世田谷吉良氏は武蔵守護扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の有力国衆でしたが、1546(天文15)年の河越合戦で扇谷上杉氏が北条氏康に滅ぼされると北条氏に従属し、北条氏...
無量山 昌谷院 養福寺(→神奈川県川崎市高津区新作)は、室町時代中期に僧の常範法師が開山したと伝わる天台宗寺院です。江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌岳院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)に末寺として幕藩体制の一翼を担いました。開山の常範法師は室町時代中期の1477(文明元)年に死去しているため、養福寺はそれ以前に創建されたことが分かります。1477(文明元)年は、関東では古河公方の足利成氏(しげうじ)と...