chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

質問やコメントはご自由にお書きください。

西住りほ
フォロー
住所
横浜市
出身
未設定
ブログ村参加

2022/07/12

arrow_drop_down
  • 普門庵(東京都稲城市)を訪問しました

    万松山 普門庵(ばんしょうざん ふもんあん→東京都稲城市大丸)は、旗本朝倉正豊(あさくらまさとよ)が万松山 東海寺(→東京都品川区北品川3丁目)の別院として1680(延宝8)年に創建した臨済宗大徳寺派の小さな山寺(観音堂)です。江戸時代には本山・末寺の制により東海寺の塔頭浄栄院の末寺とされますが、地元民の信仰心によって無住の観音堂が維持されてきました。1975(昭和50)年から長らく廃寺になりますが、1989(平成元)年に復興を遂...

  • 連光寺春日神社(東京都多摩市)を訪問しました

    連光寺春日神社(→東京都多摩市連光寺1丁目)は、境内掲示によると、武蔵国多磨郡のうち吉富と連光寺を所領に加えられた源頼朝の御家人稲毛重成(いなげしげなり)が、1181(治承5)年4月頃に大和国春日大社の四社明神を勧請したと伝わる神社です。神仏習合の頃の神体は約25cmの「頭に青龍をいただき笏(しゃく)を持つ坐像だったようです。江戸時代には連光寺村の鎮守となり、1677(延宝5)年、1692(元禄5)年10月、1719(享保4)年9月、1867(...

  • 連光寺白山神社(東京都多摩市)を訪問しました

    連光寺白山神社(→東京都多摩市連光寺6丁目)は、江戸時代前期の1626(寛永3)年に当時の多磨郡柚木領蓮光寺村に創建された神社と伝わります。神仏習合の頃の神体は1680(延宝8)年に奉遷(→他の場所から移)されたようですが、何であったのかは定かではありません。幕末期の1857(安政4)年11月に社殿を改築したとあり、本殿の逗子は源忠行という宮大工棟梁の作と記されます。〖祭神〗・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみの...

  • 宝蔵院(東京都稲城市)を訪問しました

    権現山 宝蔵院 宝尺寺(→東京都稲城市坂浜)は、小田原北条氏の治世下にあった戦国時代に北条家臣富永織部(とみながおりべ)が鬼門除に開基、権僧都院栄(ごんのそうずいんえい)が開山したと伝わる真言宗豊山派寺院です。権僧都院栄は1567(永禄10)年7月10日に没しているので、創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市坂浜)の末寺となりました。明治時代初期の1873(...

  • 平和の碑 探照灯基地跡(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    平和の碑 探照灯基地跡(→神奈川県川崎市麻生区古沢)は、太平洋戦争後期の1944(昭和19)年9月から終戦直後の1945(昭和20)年8月17日まで使用された旧日本軍の探照灯基地跡に設置された石碑です。石碑は1991(平成3)年に地元の有志によって建てられたもので、石碑の隣には幕末期の1853(嘉永6)年に建立された地神塔があります。探照灯は今でいうサーチライトのことで、サイパン島の陥落後、B⁻29(→アメリカ軍の戦略爆撃機)による空襲から...

  • 延命寺(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

    赤城山 妙覚院 延命寺(→神奈川県川崎市高津区上作延)は、安土桃山時代に村民某(→名前不詳)が先祖菩提のために小さな草庵を建立し、その法諡をとって妙覚院としたところから始まると伝わる天台宗寺院です。江戸時代前期の1615(元和元)年に、当時住職であった泉海が、上作延村にあった赤城神社の麓に移転して寺格を整備し、赤城神社の別当寺として祭祀を司ったと記されます。現在の山号寺号になったのは5代目住職の栄賢の時といい、...

  • 大明王院(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

    身代山 大明王院(→神奈川県川崎市高津区下作延4丁目)は、江戸幕府5代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院(けいしょういん)、6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の帰依を受け、徳川将軍家の菩提寺の1つである三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の36代住職を務めた祐天上人(ゆうてんしょうにん)が諸国行脚の際に安置したと伝わる身代わり不動尊を、1904(明治37)年に喜衆上人が現在地に移して開山したと伝わる真言宗醍醐寺派の別格本山で...

  • 薬王庵(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました

    芥志山 薬王庵(→神奈川県川崎市宮前区平4丁目)は、江戸時代に代々平村の名主を務めた平左衛門家の山田平七が、1764(宝暦14)年4月15日、屋敷地に準西国稲毛三十三ヶ所の観音霊場として開基したと伝わります。平左衛門は、平安時代末期に京都から関東に逃れてきた「やむごとなき人」(やんごとなき人→高貴な人)で、当初は鎌倉鶴岡八幡宮近くの杉田という地に居住したため杉田藤太と名乗り、鎌倉時代に武家(→稲毛氏か)に仕えて平郷に所...

  • 犬蔵天神社・土橋観音堂(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました

    ①犬蔵天神社(→神奈川県川崎市宮前区犬蔵1丁目)は、江戸時代中期の1767(明和4)年に建立された石造の菅原道真像(天神像)を祀る小さな神社です。『新編武蔵風土記稿』橘樹郡下菅生村の条には記載されていません。社前には二十三夜塔・稲荷祠・馬頭観音・庚申塔が並び、地域の交流の拠点であったことが分かります。月待供養塔は、五穀豊穣や子孫繁栄を祈る二十三夜の月待行事を祈念したもので、浄土宗本尊(→阿弥陀如来)の脇侍としても...

  • 全龍寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    福聚山 全龍寺(→神奈川県川崎市中原区下小田中5丁目)は、室町時代後期に創建された逆翁山 常泉寺という寺院を前身とする曹洞宗寺院です。本尊は室町時代に彫られた十一面観音坐像で、鑑定は川崎市教育委員会が行っています。当初の山号寺号は安土桃山時代の天正年間(→1573年~1592年)まで使われ、江戸時代の寛永年間(→1624年~1643年)に梵光和尚が福聚山 金龍寺と改称、さらに、1662(寛文2)年に本山であった乗国山 徳翁寺(→神奈川...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、西住りほさんをフォローしませんか?

ハンドル名
西住りほさん
ブログタイトル
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~
フォロー
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用