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kurouのブログ
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歴史と散歩の記録
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573回 / 365日(平均11.0回/週)

ブログ村参加:2011/07/28

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kurouさんの新着記事

1件〜30件

  • 北条義時が姫の前を正室とした日

    北条義時の正室は姫の前(ひめのまえ)。1192年(建久3年)9月25日に結婚しました。姫の前は、比企朝宗の娘。源頼朝の御所に勤め、他に並ぶ者のない権勢をもった…

  • 源実朝の歌~箱根神社~

    けけら木「けけら木」は、芦ノ湖の底にあった樹木の化石。古来、伊豆・駿河・相模の境を示していた木だったのだとか。「けけら木」は「こころ木」ともいわれ、源実朝…

  • 京都にある鎌倉地蔵~殺生石の伝説~

    真如堂の地蔵堂昔、中国には白面金毛九尾の狐がいたそうです。美女妲妃(だっき)に化けて殷の紂王(ちゅうおう)をたぶらかしますが、正体を見破られて日本へ逃げてきま…

  • 鎌倉が「湘南」発祥の地かも・・・

    むかし、中国には「湘南」と呼ばれる地域があったそうです。湘江という川があってその南部を指したのだといいます。そこでは禅宗が発展していました。1253年(建長5…

  • 東京:渋谷の地名の由来と金王八幡宮

    渋谷という地名の由来については他説あるようですが、その一つに・・・武蔵国豊島郡谷盛庄を領していた河崎重家が、京都御所に侵入した渋谷権介盛国を捕らえたことで、堀…

  • 鎌倉の浄智寺と京都の六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像

    浄智寺の地蔵菩薩像(国重文)浄智寺の地蔵菩薩坐像は、運慶作と伝えられている六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像に姿形が似ているといわれています。六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像(…

  • 『吾妻鏡』が伝える平泉の達谷窟毘沙門堂

    1189年(文治5年)、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、9月28日、平泉を発ち、鎌倉への帰路につきます。その途中に立ち寄ったのが達谷窟毘沙門堂。達谷窟毘沙門堂『…

  • 人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり~熊谷直実~

    熊谷直実(須磨寺:源平の庭)1184年(元暦元年)、一ノ谷の戦いで熊谷直実が討ち取ったのは平敦盛16歳。我が子と同じ年頃の敦盛を討った直実は、この世の無常を覚…

  • 『吾妻鏡』が伝える平泉の無量光院

    無量光院は、奥州藤原氏三代の秀衡が建立。『吾妻鏡』は無量光院について以下のように伝えています。秀衡が建立。堂内の四方の扉には、観無量寿経の大意を描き、秀衡の狩…

  • 三崎の海南神社

    海南神社は、三崎港の北側の山手に鎮座する三浦の総鎮守。1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵する時、三浦一族の総帥三浦義明がこの神社で占ったところ、白と赤の狐が…

  • 『吾妻鏡』が伝える平泉の観自在王院

    観自在王院は、奥州藤原氏二代の基衡の妻が創建しました。『吾妻鏡』は観自在王院について以下のように伝えています。基衡の妻の建立で、四方の壁には京の霊場名所を描き…

  • 源氏と深い関係にあった園城寺(三井寺)

    園城寺は源氏と深い関係にあった寺院。1051年(永承6年)、前九年の役に出陣する源頼義が戦勝を祈願。頼義の三男・義光は新羅善神堂で元服しました。1159年(平…

  • 『吾妻鏡』が伝える平泉の毛越寺

    毛越寺は、慈覚大師円仁が開き、奥州藤原氏二代の基衡、三代の秀衡の時代に伽藍が整えられました。『吾妻鏡』は毛越寺について以下のように伝えています。堂塔は40余、…

  • 伊豆の北条の里からやってきた稲荷神~浅草:袖摺稲荷神社~

    袖摺稲荷神社浅草の袖摺稲荷神社(そですりいなりじんじゃ)は、伊豆の流人だった源頼朝が自ら彫った稲荷神を伊豆国の北条に祀ったことにはじまるのだという・・・

  • 『吾妻鏡』が伝える平泉の中尊寺

    中尊寺は、慈覚大師円仁が開いたと伝えられ、奥州藤原氏初代の清衡が堂塔を整えました。『吾妻鏡』は中尊寺について以下のように伝えています。月見坂堂塔は40余、禅坊…

  • 西明寺の源頼朝供養塔~行田市~

    行田市にある西明寺の文殊堂前には、源頼朝の供養塔と伝えられる五輪塔があります。北条時頼にもゆかりのある寺で、正嘉年間(1257~1259)に文殊菩薩を安置する…

  • 『吾妻鏡』が伝える奥州藤原氏三代

    奥州藤原氏三代とは、藤原清衡・基衡・秀衡のこと。1189年(文治5年)9月23日、平泉館を焼き払い北方へ逃げた藤原泰衡を追って厨川にいた源頼朝は、平泉に戻ると…

  • 源頼家の弓の師範・下河辺行平

    1190年(文治6年)4月7日、源頼朝は下河辺行平に書状を送り呼び出します。その理由は、嫡男の頼家の弓の師範になってもらうため。頼朝は書状とともに馬も送ってい…

  • 重籐の弓~鶴岡八幡宮:小笠原流流鏑馬~

    重籐弓(しげとうきゅう)は、小笠原流で最高格の免許弓。(※免許弓は許しを得た者だけが使用できる弓)天の二十八宿・地の三十六禽重籐弓には、握り下28箇所、握り上…

  • 明治天皇の死に殉じた乃木将軍

    乃木希典(乃木将軍)は、日露戦争で旅順要塞を攻略し、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として讃えられた人物です。乃木将軍は、明治天皇の希望により学習院院長を務め…

  • 文覚(遠藤盛遠)と袈裟御前の伝説~京都:恋塚寺~

    恋塚寺は、恋する袈裟御前を誤って殺してしまった遠藤盛遠が、袈裟御前の菩提を弔うために建てた寺。☆ ☆ ☆ ☆ ☆伝説によると・・・1157年(保元2年)春3月…

  • 親孝行の息子と紙鯉~京都:石清水八幡宮~

    石清水八幡宮が鎮座する男山の麓を流れている放生川(大谷川)。三勅祭の一つ石清水祭(石清水放生会)が行われることから、常に殺生禁断の川だったのだそうです。放生川…

  • 源義経の正妻・郷御前

    源義経の正妻は、河越重頼の娘。正式な名は不明ですが「郷御前」(さとごぜん)と呼ばれていました。※上の画像は、川越の常楽寺にある供養塔。☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻…

  • 大橋太郎通貞の土牢~鎌倉:光則寺~

    大橋太郎通貞の土牢伝説によると・・・豊後国の地頭をしていたという大橋太郎。ある時、鎌倉の源頼朝に呼び出され、謀叛の疑いで投獄されてしまいます。豊後国の領地は没…

  • 日向薬師周辺の彼岸花MAPとバス時刻表

    彼岸花MAPは、伊勢原駅の観光案内所で配布されています。源頼朝や北条政子が信仰した日向薬師麓の里山に咲くヒガンバナ。例年の見頃は9月中旬から下旬にかけて。毎年…

  • 源頼朝は美男子だった!

    『源平盛衰記』は、源頼朝は「顔が大きく、背が低い」と紹介しています。差別発言になってしまうかもしれませんが、少々がっかりという感じです・・・しかし・・・『源平…

  • 鎌倉を目指す源頼朝と甲斐源氏~諏訪明神のお告げ・・・~

    甲斐国の源氏・武田信義と一条忠頼らは、源頼朝の石橋山の戦いの事を聞くと、頼朝に参陣するため駿河国へ向かおうとしたそうですが、信濃国で平家に味方する者があると聞…

  • 源頼朝の遺髪

    東戸塚にある東福寺には、明和6年(1769年)に鶴岡八幡宮の供僧坊・相承院から送られたという頼朝の遺髪が保管されています。東福寺頼朝の遺髪は、東福寺の慶巌の懇…

  • 石橋山敗戦後の北条時政の不思議な行動

    北条時政像(伊豆の国市:願成就院)『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、椙山の堀口辺りに陣を構えます。現在の…

  • 鎌倉の面掛行列

    鶴岡八幡宮祭礼行列之図「鶴岡八幡宮祭礼行列之図」は、江戸時代の鶴岡八幡宮の祭礼行列の様子を描いたもの。その中には面掛行列も登場します。1709年(宝永6年)、…

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