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  • 園城寺を復興させた源実朝

    園城寺『吾妻鏡』によると、園城寺と源氏の関係は・・・源頼義の子・快誉は開山の智証大師円珍の弟子。三男の義光は鎮守の新羅明神で元服。嫡男の義家は行観に帰依。娘の…

  • 2022道灌まつり~太田道灌と北条政子の行列~

    「道灌まつり」は伊勢原市の観光イベント。伊勢原市で生涯を閉じた戦国武将・太田道灌にちなんで付けられた名称です。「太田道灌公鷹狩り行列」、「北条政子日向薬師参詣…

  • 鎌倉に下向した園城寺の公胤と源実朝

    園城寺1209年(承元3年)9月29日、源実朝の招きによって園城寺の公胤が鎌倉に下向します。宿は二階堂行光邸。宿直は、佐々木広綱が担当しました。10月10日、…

  • 和田義盛の菩提寺~三浦:来福寺~

    来福寺は、和田義盛が鎌倉の名越に創建した寺院。和田合戦後、義盛ゆかりの和田の里に移され、さらに現在地に移されたのだといいます。本堂には、室町時代の作と伝えられ…

  • 源頼朝像と源実朝像が伝えられる甲斐善光寺

    甲斐善光寺は、武田信玄が上杉謙信との川中島の戦いで信濃善光寺が焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(善光寺如来)を甲斐国に移してきたことに始まります(…

  • 石和八幡宮~武田信光が鶴岡八幡宮を勧請した弓馬術の聖地~

    笛吹市の石和八幡宮は、武田信光が鶴岡八幡宮を勧請した社。武田信光は、甲斐源氏五代当主。甲斐武田氏の二代当主。石和荘に館を構え、甲斐武田氏の礎を築きました。石和…

  • 源実朝の前でアオサギを射て許された吾妻四郎助光

    吾妻四郎助光は、『吾妻鏡』に弓の名手として登場する人物。1204年(元久元年)正月の御弓始めに和田胤長・榛谷重朝・諏方盛澄・海野幸氏・望月重隆とともに射手に選…

  • 梶原家茂を殺害した土屋宗遠

    『吾妻鏡』によると・・・1209年(承元3年)5月20日、源頼朝の法華堂で梶原景時とその一族のための仏事が営まれました。その理由は・・・御所内で怪異な現象が起…

  • 重忠節~鎌倉武士の鑑:畠山重忠~

    国は武蔵の 畠山武者と生まれて 描く虹剛勇かおる 重忠にいざ鎌倉の ときいたる平家追い討つ 一の谷愛馬三日月 背に負えばそのやさしさに 馬も泣くひよどり越えの…

  • 誅殺された畠山重忠の末子・重慶

    慈光寺(埼玉県ときがわ町)畠山重忠の末子・重慶は、1205年(元久2年)、父の重忠が北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討死すると、慈光寺に登って別当を勤めたの…

  • 畠山重忠終焉の地

    畠山重忠公碑1205年(元久2年)6月22日、畠山重忠は北条時政の謀略により二俣川で討たれました。横浜市旭区内には、重忠ゆかりの史跡が多く残されています。首塚…

  • 源実朝の勘気を解いた東重胤の和歌~北条義時に相談したら・・・~

    東重胤(とうしげたね)は、千葉氏の一族・東胤頼の子(千葉常胤の孫)。和歌に優れ、源実朝の寵愛を受けた武将。☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻鏡』によると・・・1206年…

  • 大江広元の館跡という噂!八王子市:廣園寺

    廣園寺(こうえんじ)は、1389年(康応元年)に創建された臨済宗南禅寺派の寺院。創建者は大江広元の子孫大江師親。1213年(建暦3年)の和田合戦後に横山荘を手…

  • 八王子の総鎮守:八幡八雲神社

    八幡八雲神社は、武蔵七党の一つ横山党の本拠地だった多摩郡横山荘(現在の八王子市)に創建された神社。横山党は、武蔵国や相模国に割拠した同族的武士団で秩父氏・梶原…

  • 畠山重忠の菅谷館~嵐山町~

    武蔵国男衾郡畠山(現在の深谷市)で生まれた畠山重忠は、やがて、鎌倉街道の要衝にあたる菅谷(現在の比企郡嵐山町)の地に移ります。国の史跡に指定されている菅谷館跡…

  • 畠山重忠の生誕地~深谷市畠山~

    畠山館跡畠山重忠は、1164年(長寛2年)、武蔵国男衾郡畠山の地で誕生。畠山氏は秩父一族で、重忠の父重能がこの地に進出して畠山を名乗りました。館跡は、北条時政…

  • 源実朝が暗殺されたのは大石段の13段目?~鶴岡八幡宮~

    三代将軍源実朝は、1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式の後、甥の公暁に暗殺されました。その場所が、大石段の13段目(下から数えて)とい…

  • 秩父武綱と源氏の白旗と畠山重忠

    畠山重忠の高祖父・秩父武綱は、武蔵国秩父郡吉田郷に吉田城を構えて秩父牧を支配した武将。源頼義・義家父子にい、1051年(永承6年)の前九年の役では頼義から源氏…

  • 2022小出川彼岸花まつり

    藤沢市、寒川町、茅ヶ崎市を流れる小出川沿いには、約3㎞にわたって彼岸花が咲きます。2022年の彼岸花まつりは9月24日(土)。小出川沿いには多くの寺社が多くあ…

  • 畠山重忠の乱と足立遠元

    『吾妻鏡』によると・・・足立遠元は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参じ、最初に所領を安堵された武将。遠元の所領は武蔵国足立郡。☆ ☆ ☆ ☆ ☆120…

  • 咳の病気を治す六郎さま~畠山重保の墓~

    鶴岡八幡宮の一の鳥居の横にある大きな宝篋印塔は、畠山重保の墓と伝えられています。高さ3.4メートルを超えるもので、塔の基礎に「明徳第四 癸酉霜月三 日大願…

  • 潔く戦うことが武士の本懐~畠山重忠の乱~

    1205年(元久2年)6月22日、北条時政の策謀により、本拠地の武蔵国の菅谷館から鎌倉へ向かう途中で幕府軍に攻められた畠山重忠は、郎従から本拠地に退くよう進言…

  • 盟友安達景盛との戦い~畠山重忠の乱~

    『吾妻鏡』によると・・・1205年(元久元年)6月22日、畠山重忠討伐のため、北条義時・葛西清重・千葉常秀・大須賀胤信・国分胤通・相馬義胤・東重胤・足利義氏・…

  • 武蔵国留守所惣検校職と畠山重忠の乱

    畠山重忠像(深谷市:畠山重忠史跡公園)武蔵国留守所総検校職は、武蔵国の武士団の統率権・動員権を持った在庁官人のトップ。秩父重綱が就いて以後、秩父重隆・河越重頼…

  • 鶴岡八幡宮例大祭:9月14日~16日

    1187年(文治3年)8月15日に、源頼朝が催した放生会を起源としているという鶴岡八幡宮の例大祭。現在は、新暦に換算して9月14日から16日に行われています。…

  • 畠山重忠の先祖・秩父氏の本拠地に鎮座する椋神社

    椋神社は、畠山重忠の先祖秩父氏が本拠とした秩父市下吉田に鎮座する神社。深谷市の重忠の生誕地にある井椋神社は、この神社が勧請されました。境内の八幡宮は秩父氏館の…

  • 畠山重忠の先祖・秩父氏の館跡

    武蔵国秩父郡吉田郷を本拠とした秩父氏の館跡。秩父氏は重綱がの「武蔵国留守所惣検校職」に就き、武蔵国内の武士を統率・動員する権限を持って勢力を伸ばします。やがて…

  • 深大寺に入った源範頼の子

    源氏の尊崇を受けて台教密教の関東第一の道場として興隆したという深大寺。1193年(建久4年)、謀反の疑いで修禅寺に幽閉され最期を遂げた源範頼の子範円と源昭は、…

  • 修禅寺の源頼家墓と北条政子建立の指月殿

    征夷大将軍左源頼家尊霊1204年(元久元年)7月18日、源頼家は刺客に襲われて亡くなります(享年23)。筥湯に入浴中に襲われたという説も。源頼家の墓「征夷大将…

  • 源頼家・北条政子ゆかりの修禅寺

    修禅寺は、弘法大師が開いたという古刹。二代将軍源頼家はこの寺に幽閉されて、1204年(元久元年)7月18日、暗殺されました。本尊の木造大日如来坐像は、1210…

  • 源頼家の病相の面~伊豆の国市:光照寺~

    伊豆の国市の光照寺に伝わる「病相の面」。修禅寺に幽閉されていた源頼家の病の様子を写した面と伝えられています。『日本伝説叢書:伊豆の巻』によると・・・修禅寺に幽…

  • 源頼家と修禅寺・修善寺

    1203年(建仁3年)9月29日、鎌倉から追放され伊豆の修禅寺へ出発した源頼家。『吾妻鏡』によると・・・先陣の随兵は百騎次に女騎が十五騎次に神輿三帳次に小舎人…

  • 畠山重忠の父重能

    畠山重忠産湯の井戸 (深谷市:畠山重忠公史跡公園)畠山重忠の父重能は、武蔵国留守所総検校職を世襲していた秩父氏の出身。秩父氏の嫡流が武蔵国男衾郡畠山に進出し…

  • 三代将軍源実朝の正室・坊門姫(西八条禅尼)

    『吾妻鏡』によると・・・1204年(元久元年)8月4日、源実朝の正室を京都から公卿の娘を迎えることが決まります。幕府内では足利義兼の娘が候補にあがっていました…

  • 修禅寺に伝わる「頼家の仮面」と「修禅寺物語」

    頼家の仮面「頼家の仮面」は、二代将軍源頼家が幽閉されていた修禅寺に伝えられるもの。頼家のものと伝わるだけで詳細は不明のようです。能楽の面なのでしょうか・・・修…

  • 霊山院~東関最初禅窟・ときがわ町~

    霊山院は、我が国臨済宗の開祖栄西に支持した栄朝が建立した慈光寺の塔頭。関東最古の禅窟といわれ、後鳥羽上皇から「東関最初禅窟」という勅額を賜ったのだといいいます…

  • 源頼朝や畠山重忠が信仰した慈光寺~ときがわ町~

    慈光寺は、平安時代には天台宗の別院となり七十五坊を擁した大寺院でした。『吾妻鏡』によると・・・伊豆の流人だった源頼朝が信仰し、安達盛長を遣わして署名入りの梵鐘…

  • 極楽寺~姫の前の子北条重時開基の寺~

    極楽寺は、深沢にあった北条重時の念仏堂を起源としています。重時は北条義時の三男。母は姫の前。念仏堂は現在地に移された後、子の長時と業時が忍性を迎えて念仏寺だっ…

  • 畠山重忠の菅谷館の守護神:鬼鎮神社~嵐山町~

    畠山重忠が菅谷館の鬼門の守護神として創建したという鬼鎮神社。祀られているのは全国でも珍しい鬼。節分祭では「福はうち、鬼はうち、悪魔そと」という掛け声で、赤鬼も…

  • 北条泰時の大叔母・阿波局が亡くなった!八重姫のことか?

    『吾妻鏡』によると・・・1227年(嘉祿3年)11月4日、御所の女官の阿波局が亡くなり、北条泰時は30日間の喪に服しました。亡くなった阿波局は、北条義時の妹と…

  • 北条時政に利用された仁田忠常の最期

    『吾妻鏡』によると・・・比企能員暗殺から3日後の9月6日、北条時政は、比企能員追討の褒美を与えるため、仁田忠常を名越邸に呼び寄せます。しかし、忠常は暗くなって…

  • 阿波局の訴え「実朝が危ない!」~すでに始まっている時政失脚劇~

    兄の源頼家が失脚したことで、三代将軍となることが決まった源実朝。1203年(建仁3年)9月10日、実朝は母の北条政子のもとから、北条時政の屋敷に移ります。乳母…

  • 北条政子の配慮で出家した?源頼家

    1203年(建仁3年)7月、源頼家が重病になった事をきっかけに、権力争いを激化させていった北条と比企。誰もが「頼家は回復しない」と考えていたようです。そのよう…

  • 比企能員の変~『吾妻鏡』と『愚管抄』~

    『吾妻鏡』によると・・・1203年(建仁3年)8月27日、病床にあった二代将軍源頼家の容態が悪化したため、以下の譲与が発表されます。関西38ヶ国の地頭職を弟の…

  • 比企能員の変と比企邸があった妙本寺

    比企能員邸址妙本寺は、比企能員の邸跡に建立された寺院。 祖師堂比企能員は、武蔵国比企郡を領した豪族。源頼朝の乳母を務めた比企尼の猶子(甥)。比企尼は、1…

  • 源頼家が三嶋大社に奉納した般若心経

    1203年(建仁3年)8月10日に源頼家が病気平癒のために書写して三嶋大社に奉納したという般若心経。『吾妻鏡』によると・・・1203年(建仁3年)7月20日、…

  • 源頼家の不幸は浅間大菩薩の祟り!

    1203年(建仁3年)6月、伊豆国と駿河国で巻狩りを行った源頼家は、駿河国の人穴を仁田忠常に探索させました。この話を聞いた古老は・・・「この穴は浅間大菩薩のお…

  • 源実朝の誕生日

    ぼんぼり祭の最終日は、源実朝の誕生日。画像は俳優の沢木順さん揮毫の雪洞。「吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり」8月10日の鎌倉は功徳の日!

  • 源頼朝と坂東三十三観音~鎌倉の8月10日は四万六千日~

    坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期に開設につながったのだといわれています。…

  • 阿野全成の墓

    1203年(建仁3年)5月19日、北条時政らの将軍実朝擁立の企てに加わったことで、捕らえられた阿野全成。宇都宮朝業に預けられた全成は、5月25日、常陸国へ流さ…

  • 北条義時ゆかりの寺の地蔵盆~8月10日は覚園寺の黒地蔵縁日~

    8月10日の覚園寺は、午前0時から開門。覚園寺の「木造地蔵菩薩立像」(国重文)は、鎌倉二十四地蔵の一つ。像の全体が黒ずんでいることから「黒地蔵」と呼ばれて広く…

  • 鶴岡八幡宮の巫女の予言から始まった!~比企能員の変~

    『吾妻鏡』によると・・・1203年(建仁3年)正月2日、鶴岡八幡宮の巫女に八幡大菩薩が乗り移り、こう予言します。「今年中に関東で事が起こる。若君(源頼家の嫡子…

  • 今日から鶴岡八幡宮の「ぼんぼり祭」~鎌倉殿の13人~

    鶴岡八幡宮で「ぼんぼり祭」が始まりました。「鎌倉殿の13人」の出演者の皆さんの雪洞も掲揚されています。8月10日の鎌倉は功徳の日!

  • 金剛三昧院の多宝塔は頼朝と実朝の墳墓堂・・・

    金剛三昧院は、北条政子が源頼朝と源実朝の供養のために建立した寺院。現在、金剛三昧院にある多宝塔は、政子が安達景盛に命じて伽藍整備を行なったときのもので、122…

  • 北条時房の元服式と改名~北条政子激怒!~

    北条時房邸跡『吾妻鏡』によると・・・1189年(文治5年)4月18日、御所で北条時政の三男の元服式が行われました。夕刻から行われた儀式は、大内義信・太田広綱・…

  • 後鳥羽上皇の陵墓を護る寺~京都大原:勝林院~

    勝林院は、「天台声明」(しょうみょう)の道場として栄えた寺。1221年(承久3年)の承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇。1239年(延応元年)2月22日、京都…

  • 微妙(びみょう)~訴えがあって鎌倉へ下った京都の白拍子~

    『吾妻鏡』によると・・・1202年(建仁2年)3月8日、比企能員邸の桜が満開となり、源頼家が招かれました。宴会の席では、京都からやってきた白拍子・微妙が舞い、…

  • 三浦義村を祀る近殿神社

    横須賀市大矢部の鎮守・近殿神社は、権謀の人物として知られる三浦義村を祀る社。義村は、源頼朝亡き後の鎌倉で次々に起こる事変に大きく関わり、北条一族を振り回し続け…

  • 8月6日から鶴岡八幡宮の「ぼんぼり祭」

    2022年の「ぼんぼり祭」は8月6日から8月9日。☆ ☆ ☆ ☆ ☆8月10日の鎌倉は功徳の日!

  • 2022三嶋大祭り~行列の頼朝役には大泉洋さん~

    三嶋大祭りは、三嶋大社の祭礼にあわせて開催される三島市最大のイベント。期間は8月15日・16日・17日中日は三嶋大社例大祭そして、頼朝公旗挙げ行列2022年の…

  • 鎌倉殿源頼家は蹴鞠に夢中!

    『吾妻鏡』によると・・・1201年(建仁元年)9月7日、鞠の名人・紀内所行景(きないどころのゆきかげ)が京都から鎌倉に到着します。源頼家が後鳥羽上皇に願い出て…

  • 源頼家の念仏禁止令と称念房の伝説

    1200年(正治2年)5月12日、源頼家は、「念仏の禁止令」を出します。そして、頼家に命じられた比企弥四郎(時員)は、念仏僧14名を捕らえて、政所の橋の傍らで…

  • 真鶴の本小松石~源頼朝墓・鎌倉大仏の台座・鶴岡八幡宮大石段~

    本小松石は箱根の火山活動によってつくられた安山岩で、真鶴でしか採れないのだとか。瀧門寺の宝篋印塔は、本小松石による関東随一の石造物といわれています。真鶴といえ…

  • 北条泰時が伊豆国で行った徳政

    『吾妻鏡』によると・・・1201年(建仁元年)8月11日、台風の襲来で、鎌倉の家々が押し潰され、港では船がひっくり返され、鶴岡八幡宮寺の回廊や八足門を始めとす…

  • 安達盛長の墓~伊豆修善寺~

    安達盛長の墓安達盛長(あだちもりなが)は、源頼朝が伊豆国の流人だった頃から頼朝の側近として活躍した武将。安達氏の祖。通称は藤九郎。正室は、頼朝の乳母を務めた比…

  • 三浦義澄の墓~横須賀市:薬王寺跡~

    三浦義澄の墓(薬王寺跡)三浦義澄は、源頼朝の挙兵を援助した武将。1192年(建久3年)、鶴岡八幡宮で行われた頼朝の征夷大将軍の辞令交付で、辞令を受け取ったのは…

  • 北条政子の頭髪曼荼羅~熱海:伊豆山神社~

    『吾妻鏡』によると・・・1200年(正治2年)1月13日、法華堂では源頼朝の一周忌が営まれました。北条時政をはじめとする多くの御家人が参列。導師は栄西。堂内に…

  • 後鳥羽天皇・順徳天皇の陵墓~京都:大原陵~

    大原陵は、承久の乱で隠岐に流されて1239年(延応元年)2月22日に崩御した後鳥羽上皇と、同じく佐渡に流されて1242年(仁治3年)9月12日に崩御した順徳上…

  • 後鳥羽上皇の遺言書:水無瀬神宮

    後鳥羽天皇宸翰御手印置文水無瀬神宮に伝わる「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」(ごとばてんのうしんかんおていんおきぶみ)は、承久の乱で隠岐に流され、1239年(延応元…

  • 源頼朝の御落胤・貞暁が建てた源氏三代の五輪塔~高野山~

    高野山の西室院にある三基の五輪塔は、源頼朝の三男貞暁が頼朝・頼家・実朝の供養のために建てたものと伝えられています。貞暁は頼家と実朝とは異母兄弟。鎌倉に住んでい…

  • 北条政子の発願で建立された高野山:金剛三昧院

    金剛三昧院は、1211年(建暦元年)、北条政子の発願で源頼朝の菩提を弔うために建立された禅定院に始まる寺院。1219年(承久元年)、暗殺された源実朝の遺骨が納…

  • 建礼門院徳子が隠棲した京都大原の寂光院

    建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の后、安徳天皇の母。壇ノ浦の戦い後、寂光院に隠棲して平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら暮らしたのだといいます。建礼門院御庵…

  • 梶原景時に奪われた侍所別当職~和田義盛~

    『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)11月17日、源頼朝は和田義盛を侍所別当に補任しました。何故、義盛だったのか・・・8月の石橋山の戦いの後、安房国…

  • 弾劾状に北条時政と北条義時の名がない理由~梶原景時の変~

    『吾妻鏡』によると・・・梶原景時を弾劾する訴状に署名した者の中に北条時政と北条義時の名が連ねられていないようです。何故なのでしょうか?九条兼実の日記『玉葉』に…

  • 梶原景時弾劾の訴状が作成される!~梶原景時の変~

    1199年(正治元年)に起こった梶原景時の鎌倉追放で、中心として動いたのは三浦義村。10月27日、景時の讒言によって謀反を疑われた結城朝光の相談を受けた義村は…

  • 称賛された結城朝光と傲慢無礼だった梶原景時~東大寺大仏殿落慶供養~

    1195年(建久6年)3月12日、源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養に参列したときの事。門内に入ろうとした見物の僧兵達が警護の武士ともめ事を起こしてしまいます。…

  • 結城朝光の一万遍の南無阿弥陀仏と梶原景時の讒言

    『吾妻鏡』によると・・・1199年(正治元年)10月25日、将軍御所の侍所では、結城朝光が夢のお告げを受けたとして、正月に亡くなった源頼朝のために「一万遍の念…

  • 伊豆の頼朝の御落胤伝説~結城朝光は頼朝と寒川尼の子?~

    小山政光・寒川尼像(小山市)結城朝光は、源頼朝の乳母を務めた寒川尼(寒河尼)が産んだ子。頼朝から「朝」の字を与えられるほどに可愛がられました・・・。そこで生ま…

  • 源頼家に妾を奪われた安達景盛

    安達景盛は、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されていた頃から仕えていた安達盛長の嫡男。母は、頼朝の乳母だった比企尼の長女・丹後内侍。1199年(建久10年)1月13…

  • 源頼家が特権を与えた近習五人:小笠原長経・比企宗員・比企時員・中野能成・北条時連

    『吾妻鏡』によると・・・1199年(建久10年)4月20日、梶原景時と中原仲業が政所に張り紙をします。その内容は・・・「小笠原長経・比企宗員・比企時員・中野能…

  • 祗園祭の神輿渡御~京都:八坂神社~

    祗園祭の神輿渡御が3年ぶりに行われます。神幸祭は7月17日18:00~還幸祭は7月24日17:00~八坂神社の神輿は、胴の部分が四角・六角・八角の三基。例年で…

  • 八重姫主従七女之碑~伊豆の国市:真珠院~

    八重姫・・・治承4年7月16日真珠ヶ淵に入水侍女・・・同日大仁田中山にて自害八重姫は源頼朝の最初の妻。父の伊東祐親によって頼朝と別れさせられますが・・・忘れる…

  • 巴御前の菩提寺という横須賀の正行院

    横須賀の秋谷にある正行院は、和田義盛が巴御前の菩提寺として創建したのだと伝えられています。巴御前は、木曽義仲の妾で、平家討伐に従軍した女武者として知られていま…

  • 和田義盛の里の天養院と白旗神社

    天養院天養院の本尊は、和田義盛の守護仏だったのだという薬師如来。伝説によると・・・和田合戦で負傷した義盛は、痛さを感じずに大いに戦うことができた。そのとき、薬…

  • 祗園祭のときに開放される御手洗井~京都~

    御手洗井御手洗井は、祇園祭の宵々山の7月15日から還幸祭の7月24日までの間に開放される井戸。この場所は、祇園社(八坂神社)御旅所社務・藤井助正の屋敷跡。織田…

  • 梶原景時の霊を慰める三門梶原施餓鬼会~鎌倉:建長寺~

    鎌倉の建長寺では、毎年7月15日、三門施餓鬼会と梶原施餓鬼会が行われています。梶原施餓鬼会は、1200年(正治2年)1月20日、駿河国清見関で討死した梶原景時…

  • 和田城址~和田義盛が開拓した和田の里~

    和田城址の碑三浦市初声は、鎌倉幕府の侍所別当を務めた和田義盛の里。義盛の居館だった和田城は、和田長浜海岸の近くにあったと考えられています。義盛は、頼朝が頼りに…

  • 和田義盛の龍神伝説~三浦:光念寺~

    光念寺は和田義盛が創建したという寺院。弁天堂伝説によると・・・1180年(治承4年)、三浦一族の本拠である衣笠城が畠山重忠らに落とされると、和田義盛は三浦義澄…

  • 三浦義村創建の福寿寺~三浦市~

    福寿寺は三浦義村が創建したという寺。三浦義村墓1239年(延応元年)12月5日に死去した義村は、福寿寺の塔頭南向院(廃寺)に葬られたのだと伝えられています。福…

  • 安達藤九郎盛長の墓~厚木市飯山:金剛寺~

    飯山にある金剛寺の五輪塔は、源頼朝に仕えた安達盛長の墓と伝えられています。金剛寺には「法名盛長院三空道無大居士安達籐九郎」と銘記された位牌も残されているのだと…

  • 三田八幡神社~安達盛長ゆかりの神社~

    八幡神社は厚木市三田地区の鎮守。三田を領していたという安達盛長が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して再建したと伝えられています。神社から徒歩5分程度の所には、盛長のもの…

  • 飯山観音:長谷寺

    飯山観音長谷寺。行基によって開かれたと伝えられています。本尊は十一面観音。坂東観音第6番。本尊開扉は、12月大晦日、1月1日~3日、4月8日、11月3日。源頼…

  • 宿老十三人の合議制~鎌倉殿の13人~

    「13人」とは、源頼朝に仕えた有力者たちのうち、頼朝亡き後、二代頼家の時代に執られた政策「十三人の合議制」の構成員。『吾妻鏡』によると・・・1199年(建久1…

  • 白旗大明神として祀られた源頼朝

    死後、朝廷より「白旗大明神」の神号を賜ったという源頼朝。鶴岡八幡宮の末社白旗神社は、1200年(正治2年)に北条政子が頼朝を祀るために創建したのだと伝えられて…

  • 鎌倉に咲いた優曇華の花の伝説

    『吾妻鏡』によると、1223年(貞応2年)7月9日、鎌倉では、薬師堂(現在の覚園寺)の谷に住んでいた浄密という僧の住まいの前庭で、優曇華(うどんげ)の花が咲い…

  • 源氏の旧跡に建てられた壽福寺

    壽福寺は、源頼朝の死後、頼朝の父義朝の館跡に建てられた寺。『吾妻鏡』は、北条政子が義朝の旧跡を栄西に寄付し、壽福寺の建立が開始されたとしています。そのため、政…

  • 石山寺にある源頼朝と亀谷禅尼の供養塔~滋賀県大津市~

    源頼朝と亀谷禅尼の供養塔。右が源頼朝、左が亀谷禅尼の供養塔と伝えられています。亀谷禅尼とは・・・頼朝の側近中原親能の妻。頼朝の次女三幡(乙姫)の乳母を務めまし…

  • 七夕には素麺(そうめん)を食べて・・・

    七夕の行事食は「素麺」(そうめん)。奈良時代、中国の唐から「索餅」(さくべい)という菓子が伝えられました。平安時代になると、七夕のときに索餅を供えるようになり…

  • 平家の直系六代御前と文覚の伝説

    六代御前とは、壇ノ浦に沈んだ平維盛の子高清のこと。「六代」という呼び名には、平正盛から数えて六代目の直系という意味があるといいます。1183年(寿永2年)、木…

  • 中尊寺ハスが開花~鎌倉:永福寺跡~

    (2022/07/06)中尊寺ハスは、中尊寺の金色堂に安置されている藤原泰衡の首桶から発見された実が発芽したもの。2019年(平成31年)4月に岩手県平泉町か…

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