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  • 伊豆山神社古文書写の展示~阿野全成の花押?~

    伊豆山神社境内にある伊豆山郷土資料館で「走湯山上常行堂への寄進状写」が特別展示されています。内容は、治承7年7月25日に相模国「長墓郷」を走湯山上常行堂に寄進…

  • 埒が明く・埒が明かない~上賀茂神社の競馬会と埒・葵祭~

    馬場の周囲に設けられる柵は「埒」(らち)と呼ばれます。この埒が取り払われることを「らちがあく」といいます。物事がすっきりと終わることを意味します。現代では「ら…

  • 鎌倉アジサイ情報!長谷寺のあじさい散策路は500円

    長谷寺のあじさい散策路は、アジサイが見ごろになると有料になります。昨年は300円でしたが・・・今年は500円。入山料は別で400円。長谷寺アジサイ物語☆ ☆ …

  • 鎌倉常楽寺にある木曽義高の首塚と鯉のぼり

    木曽塚木曽義高は、木曽義仲の嫡男。1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の武力衝突の際、義仲が子義高を鎌倉に人質として差し出すことで和議が成立し、義高は…

  • 平将門の首級と神田明神

    将門塚940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級は、4月25日に京都へ送られて梟首。その後、ゆかりの者たちが神田明神の傍に埋葬した…

  • 明月院の姫アジサイは牧野富太郎博士の命名

    明月院のアジサイは、日本古来の「姫アジサイ」です。日本の植物学の父と呼ばれれる牧野富太郎博士が「女性的で優美」であることから名づけたそうです。☆ ☆ ☆ ☆ …

  • 賀茂祭(葵祭)を見物した四代将軍・九条頼経

    1238年(嘉禎4年)正月28日、四代将軍九条頼経は上洛のため鎌倉を出発。2月17日に入洛し、六波羅御所に入りました。それから10月13日まで京都に滞在してい…

  • 鶴岡八幡宮に奉納されるはずだった源頼朝像

    この源頼朝像は、静岡県島田市にある智満寺に聳えていた頼朝杉で制作されたもの。2022年(令和4年)11月23日には、頼朝が流人時代を過ごした伊豆の国市で特別公…

  • 大江広元と賀茂祭(葵祭)

    検非違使志『吾妻鏡』によると・・・1191年(建久2年)4月20日、後白河法皇の法住寺殿の修理するため在京していた大江広元は、検非違使の職務として賀茂祭に供奉…

  • 源頼朝の姉妹・坊門姫の死

    『吾妻鏡』によると・・・1190年(建久元年)4月20日、鎌倉に佐々木定綱の伝令が到着。報告されたのは、源頼朝の姉妹・坊門姫が4月13日に難産のため死去したと…

  • シーボルトが持ち帰ったアジサイ~オタクサ~

    江戸時代の後期、長崎の出島でオランダ商館医をしていたシーボルトは、日本のアジサイを持ち帰り、「Hydrangea otaksa」(ハイドレインジャ オタクサ)…

  • 下鴨神社の申餅~葵祭で供えられたはねず色の餅~

    申餅下鴨神社の参道にあるお休み処「さるや」さんの申餅。「葵祭」の申の日に神前に供えられたという「はねず色」の餅。都人は「葵祭の申餅」と呼んでいたのだそうです。…

  • 徳川家康の遺言

    江戸幕府の初代将軍徳川家康は、1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去。『徳川実紀』によると・・・家康は側近の崇伝・天海・本多正純を呼んで、次のように遺…

  • 弓馬四天王:甲斐源氏・武田信光

    石和八幡宮(笛吹市)武田信光(たけだのぶみつ)は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏5代当主。父は武田氏初代の信義。源頼朝に仕えて活躍し、小笠原長清、海野幸氏、望…

  • 賀茂祭(葵祭)の斎王行列発祥地~檪谷七野神社~

    檪谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)は、850年(嘉祥3年)、文徳天皇の皇后藤原明子の安産を祈って奈良の春日大社を櫟谷(いちいだに)に勧請したのが始まりと…

  • 武田不動尊~武田信玄が刻ませた不動明王:恵林寺~

    武田不動尊恵林寺の武田不動尊は、武田信玄が自らを模刻させたという不動明王。2021年(令和3年)の調査で、像内に銘文が発見され、京の仏師・康住が1572年(元…

  • 頼朝公墓前祭~源頼朝の命日~

    鎌倉に武家の都を創った源頼朝は、1199年(建久10年)1月13日に亡くなりました。毎年、4月13日には、墓前祭が執り行われます。頼朝の死因は不明ですが、『吾…

  • 武田信玄の墓~甲州市・恵林寺~

    武田信玄の墓1572年(元亀3年)、遠江に侵攻して三方ヶ原の戦いで徳川家康を破り、三河に進軍した武田信玄。しかし・・・翌年、三河国の野田城を包囲中の陣中で病に…

  • 大船フラワーセンターで「日本の自生アジサイ展」が開催されます。

    開催期間中には、苗の販売や育て方講習会も行われる予定です。☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆鎌倉アジサイの名所

  • 2023覚賢五輪塔の特別拝観!~鎌倉:浄光明寺~

    覚賢塔4月9日(日)から16日(日)までの1週間、多宝寺址の覚賢塔が公開されています。覚賢塔は、高さ約3メートル・巨大な安山岩製の五輪塔(国重文)。極楽寺の忍…

  • 以仁王の発した令旨~源頼朝に届いた平家打倒の命令書~

    『吾妻鏡』の記録は、序文のあと、以仁王の令旨から始まります。1180年(治承4年)4月9日、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)は、源頼政のすすめで、全国…

  • 大仏の日

    銅造盧舎那仏坐像(奈良の大仏)752年(天平勝宝4年)4月9日、鋳造が終わった東大寺の盧舎那仏(大仏)の開眼供養が行われました。そのため、4月9日は「大仏の日…

  • 釈迦の誕生~花まつり~

    4月8日は釈迦の誕生日。各寺では、釈迦の誕生を祝う「花まつり」が行われます。誕生仏生まれるとすぐに7歩あるき、右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」(…

  • 極楽寺の鎌倉桜

    極楽寺の本堂前に植えられているのは、一重と八重の花が混生する「八重一重咲分け桜」。室町時代に京都御所の紫宸殿に植えられて「鎌倉桜」といわれた「桐ヶ谷」です。八…

  • 由比ヶ浜のハマダイコン

    鎌倉の浜辺に咲くハマダイコン。鎌倉では、平成28年から由比ヶ浜のハマダイコンの種を使った栽培が始まりました。できたダイコンは「鎌倉大根」と名付けられ、レンバイ…

  • 京都:下鴨神社発祥の「みたらし団子」

    みたらし団子みたらし団子は、下鴨神社の御手洗祭で氏子が作って供えたのがはじまりだといいます。団子は一串に5個で、一番先に一つ、少し離して4つの団子が刺されてい…

  • 号のある勇士ただ今来り入るべし!~明恵に会いに行った畠山重忠~

    1195年(建久6年)3月、源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養参列に付き従って上洛した畠山重忠は、4月5日、栂尾の明恵上人に会いにいった。重忠が栂尾に近づくと、…

  • 九条兼実が亡くなった日~源頼朝を征夷大将軍にした公卿~

    最勝金剛院九条兼実は、源頼朝の征夷大将軍任官に尽力した公卿。天台座主(延暦寺の貫主)となった慈円は同母の弟。鎌倉幕府四代将軍となる九条頼経は曾孫。関白となって…

  • 2023北條五代祭り

    「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代を称え偲ぶ祭り。武者行列のパレードが市内を勇壮に練り歩きます。鉄砲衆小田原城天守閣本丸広場では鉄砲演技も。北条早雲像…

  • 葵桂の伝説と葵祭

    ある日、賀茂川で川遊びをしていた玉依媛命(たまよりひめのみこと)。すると、川上から朱塗りの矢が流れてきました。その矢を拾い上げて持ち帰ると、神の子を身籠り、や…

  • 新善光寺の善光寺如来~葉山町~

    葉山町の新善光寺の御前立本尊で、江戸時代前期のもの。新善光寺は、北条時政の孫名越朝時が鎌倉の弁ヶ谷に創建し、1197年(建久8年)に源頼朝が信濃善光寺を参詣し…

  • 明日は湯河原町で源頼朝旗挙げ武者行列

    1180年(治承4年)、伊豆国で挙兵した源頼朝は相模国へ進軍。「源頼朝旗挙げ武者行列」は石橋山へ出陣する様子を再現したもの。五所神社から桜木公園までを土肥実平…

  • GW円覚寺舎利殿の特別公開

    円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。源実朝が請来したという仏舎利が祀られています。現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築さ…

  • 静桜:静御前の悲しい運命~鶴岡八幡宮~

    静桜京の白拍子だった静御前。源義経に気に入られ妾となりました。源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。義経一行は九州へ渡るため摂津国…

  • 小動神社~第16回鎌倉検定2級~

    (問)小動神社の松を「天女遊戯の霊木」と称賛したという伝承が残る人物はだれか。1 新田義貞2 甘糟長俊3 上杉憲房4 佐々木盛綱正解は4☆ ☆ ☆ ☆ ☆小動…

  • 二条城に豊臣秀頼を呼びだした徳川家康

    二条城は、徳川家康が1603年(慶長8年)に京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築いた城。1611年(慶長16年)3月28日、家康は駿府城から上洛して豊…

  • 藤原道長の宇治殿が平等院になった日

    平等院は、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともされる源融が営んだ別荘「宇治殿」が始まり。その後、宇治殿は宇多天皇・源重信(宇多天皇の孫)を経て藤原道長のも…

  • 武田信玄が破壊した二俣城の井戸櫓~どうする家康~

    1572年(元亀3年)、武田信玄が遠江に侵攻。徳川家康の浜松城の防衛拠点だった二俣城が信玄に落とされました。二俣城には井戸がなかったため、水は井戸櫓を設けて天…

  • 武田信玄の駿河侵攻・徳川家康の遠江侵攻・今川氏滅亡

    駿府城跡1568年(永禄11年)12月6日、甲斐国の武田信玄が駿河侵攻を開始。12日、今川氏真は武田軍を迎撃するため興津の清見寺に出陣しますが敗北。信玄に駿府…

  • 龍口寺輪番八カ寺~第16回鎌倉検定1級~

    (問)龍口寺輪番八カ寺のうち,鎌倉市内にある寺院をすべて書きなさい。正解は、勧行寺・妙典寺・東漸寺・本成寺・本龍寺・法源寺。☆ ☆ ☆ ☆ ☆日蓮の龍ノ口法難…

  • 鎌倉検定:七福神~第16回2級~

    (問)鎌倉七福神のうち、宝戒寺に祀られるものは何か。1 弁財天2 福禄寿3 毘沙門天4 寿老人正解は3。鎌倉七福神は、布袋尊・・・浄智寺弁財天・・・鶴岡八幡宮…

  • 長興山紹太寺の枝垂れ桜~小田原~

    小田原藩主稲葉正則が植えたという長興山紹太寺の枝垂れ桜。紹太寺の情報によると3月23日現在で満開。28日頃まで見ごろが続きそうとのこと。紹太寺の本尊・釈迦牟尼…

  • 源範頼の伝説がのこされた石戸蒲ザクラ

    石戸蒲ザクラは、源頼朝の異母弟・源範頼の持っていた杖が根付いたと伝えられている桜。範頼は、1193年(建久4年)、謀叛の罪で伊豆・修禅寺に幽閉され、間もなく自…

  • 江戸城の拡張工事に使われた伊豆石~伊東市:伊豆高原駅前~

    1606年(慶長11年)、江戸城の大拡張工事にとりかかった徳川家康は、石垣などに使用する石材の切り出し運搬を西国の外様大名に命じました(天下普請)。採用された…

  • 引間城跡(曳馬城跡)に建てられた元城町東照宮

    元城町東照宮は、徳川家康が武田信玄の侵攻に供えるために居城とした引間城(曳馬城)の跡地に建てられた神社。境内には若き日の豊臣秀吉と徳川家康の銅像が置かれていま…

  • 武田信玄産湯の井戸~甲府:積翠寺~

    要害山城の入口にある積翠寺は、武田信玄誕生の寺。1521年(大永元年)、駿河の今川軍が甲府に攻め入った際、懐妊していた信玄の母・大井夫人は、躑躅ヶ崎館から要害…

  • 日吉山王社本殿~家康生誕地の瀧山寺・瀧山東照宮~

    日吉山王社本殿源頼朝が信仰し、頼朝の三回忌が営まれたという瀧山寺の本堂背後には、近江国の山王権現(日吉大社)を勧請して創建されたという日吉山王社本殿が建ってい…

  • 60年に一度の洪鐘祭:2023年10月29日開催!~円覚寺弁財天の祭礼~

    円覚寺の洪鐘祭は、61年目ごと(60年に一度)に行われる弁財天の祭礼。2020年(令和2年)の開催予定でしたが延期され、2023年(令和5年)10月29日(日…

  • 2023極楽寺の仏生会~秘仏本尊開帳・忍性墓公開・花まつり~

    仏生会では、本尊の清凉寺式釈迦如来立像が開扉されます。京都清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもので、扇ヶ谷にあったいう新清凉寺釈迦堂の本尊であったともい…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~鶴岡八幡宮の源氏池~

    鶴岡八幡宮の源氏池は、1182年(養和2年)、源頼朝が若宮大路を造営した際に弦巻田と呼ばれていた水田を池にしたのだと伝えられ・・・伊豆山権現の専光房良暹や大庭…

  • 徳川家康が隠れた雲立の楠~三方ヶ原の戦い・浜松八幡宮~

    浜松八幡宮は、徳川家康の浜松城の守護神。雲立の楠(くもたちのくす)は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた家康が隠れたという伝説の木。浜松八幡宮

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~成就院~

    成就院は北条泰時が創建した寺。本堂前の文覚荒行像は、源頼朝の挙兵に関わったといわれる文覚が自ら彫ったという像の模造。材木座の補陀洛寺にも同じ像が伝えられていま…

  • 2023金王八幡宮の金王桜まつり~源頼朝が鎌倉から贈った桜~

    東京渋谷にある金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸の名がつけられた神社。金王丸は、源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物ともいわれます。そして、社殿前に植えられて…

  • 2023北本さくらまつり~源範頼ゆかりの蒲ザクラ~

    埼玉県北本市は、謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉された源範頼が落ち延びた地といわれています。東光寺にある石戸蒲ザクラは、範頼の杖が根付いたものといわれ、国の天然記念…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~極楽寺~

    極楽寺は、北条義時と姫の前の子北条重時が建てた念仏堂をはじまりとする寺。本堂前の八重一重咲分桜は、北条時宗のお手植えとされる鎌倉原産の桜。「桐ヶ谷」(きりがや…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~宝戒寺~

    宝戒寺は、北条執権館跡にある寺。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の勅命により足利尊氏が建立しました。北条義時の小町亭もこの辺りにあったのだといいます。宝戒寺入り口の…

  • 武田信玄の母・大井夫人の菩提寺~甲府:長禅寺~

    長禅寺は武田信玄が定めた甲府五山の一つ。五山の順位は不明ですが、長禅寺は一位だったのだと伝えられています。大井夫人の墓大井夫人(大井の方)は、武田氏一門の大井…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~鎌倉大仏~

    1195年(建久6年)、東大寺の大仏殿の落慶供養に参列し、東大寺の大仏を見た源頼朝は、東国にも大仏を造りたいと願っていたのだといいます。しかし、それを果たすこ…

  • 2023小田原かまぼこ桜まつり

    小田原城址公園二の丸広場で3年ぶりの「小田原かまぼこ桜まつり」が開催されます。小田原城址公園の桜長興山の枝垂れ桜news📎3月14日鎌倉のソメイヨシノ

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~鶴岡八幡宮参道:段葛~

    段葛は、源頼朝が北条政子の安産祈願のために造営を始めたという若宮大路の中央に築かれた鶴岡八幡宮の参道。若宮大路は、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を…

  • 見させない、聞かせない、言わせない~日光東照宮の三猿~

    悪事を「見ない、聞かない、話さない!」ということで知られる三猿。ただ、日光東照宮の神厩舎の三猿には、さらに深い意味が・・・神厩舎の猿の彫刻は、八枚あって人生を…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~大倉幕府跡(頼朝の大倉御所跡)~

    大倉幕府は、源頼朝の御所のこと。学者先生が付けた名称で、頼朝が幕府と呼んだことはないようですが・・・『吾妻鏡』によると・・・1184年(寿永3年)4月4日、頼…

  • 源頼朝の御所の桜が満開になった日~献詠披講式~

    1184年(寿永3年)4月4日、源頼朝の御所の桜が満開になりました。それはもう美しい風景です。頼朝は、一条能保を誘って一日中花見の宴会を催しました。一条能保は…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~妙本寺~

    私の個人的データからで申し訳ございませんが、妙本寺のソメイヨシノは鎌倉で一番早く開花します。ここ数年は、東京や横浜と同じかやや早く開花しています。妙本寺がある…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~本覚寺~

    本覚寺の夷神は、源頼朝が御所の鬼門の守護神として置いたのが始まり。日蓮の分骨堂前の枝垂れ桜は、ソメイヨシノが開花する頃に見ごろを迎えます。枝垂れ桜が終わるとソ…

  • 2013江の島流鏑馬~天長地久~

    武田流流鏑馬は、YORITOMO-JAPANの四天王・武田信光から伝わる弓馬術。天長地久「天長地久の儀」は、騎射に先立ち行われるもので、左に3回右に2回馬を乗…

  • 謎の歩き巫女・望月千代女~「鎌倉殿の13人」から「どうする家康」~

    「どうする家康」で、巫女的な感じで三河一向一揆の場面に登場していたミステリアスな女性。ドラマ中の武田信玄の言葉によると望月千代。おそらく、信濃国望月城主・望月…

  • 「鎌倉殿の13人」をめぐりながら鎌倉の桜~源氏山・葛原ヶ岡~

    源氏山は、源頼朝の先祖・源義家が源氏の白旗を掲げて後三年の役の勝利を祈願したという鎌倉の中心にある山。源氏山山頂や源頼朝像周辺では、鎌倉市の木に制定されている…

  • 東照社から東照宮にしたのは今川氏真の孫。

    1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した徳川家康。翌年、「東照大権現」の神号が授けられ、久能山や日光山に家康を祀る「東照社」が建立されましたが・・・…

  • 甲斐東光寺の仏殿~円覚寺舎利殿と同じく中世の禅宗様式を伝える建物~

    甲府五山の一つ東光寺は、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が建てた興国院を始まりとする寺。鎌倉時代には鎌倉の建長寺を開いた蘭渓道隆が東光寺に流されています。その時、臨済…

  • 第3回江の島流鏑馬~甲斐源氏相伝の弓馬礼法:3/11開催~

    3月11日、江の島の片瀬東浜海岸では、第3回江の島流鏑馬が開催されます。奉仕されるのは武田流流鏑馬。弓馬の礼は、896年(寛平8年)、宇多天皇に命じられた源能…

  • 武田信玄は曽我五郎時致の生まれ変わり?

    曽我兄弟の供養塔(甲府市:大泉寺)武田信玄の父・信虎が創建した大泉寺には曽我兄弟の供養塔があります。何故か・・・それは、信玄が曽我五郎時致の生まれ変わりだから…

  • 第16回鎌倉検定1級の問題~宿老13人・鎌倉殿の13人~

    (問)鎌倉幕府2代将軍源頼家の元に置かれた宿老13人のうち、以下の人物以外の5人を書きなさい。「宿老13人」とは、源頼朝に仕えた有力者たちのうち、頼朝亡き後、…

  • 徳川四天王の石像~岡崎市中央緑道~

    徳川四天王は、徳川家康の側近として仕え、大きなな功績を立てた四人の武将。家康が誕生した岡崎市の中央緑道には、徳川四天王の像が置かれています。酒井忠次本多忠勝榊…

  • 吉良義昭~家康に敵対した三河一向一揆~

    吉良氏は、源頼朝に仕えた足利義兼の孫・長氏が三河国幡豆郡吉良荘を領して吉良を名乗ったことに始まります(三河吉良氏)。長氏の弟義継は奥州吉良氏の祖となっています…

  • 三河一向一揆と本多俊正・本多正信・本多正重

    本多俊正は、松平家の重臣・酒井忠尚に仕えていた武将。1563年(永禄6年)、酒井忠尚が松平家康(徳川家康)に対して謀反を起こして挙兵すると、俊正は忠尚に従いま…

  • 吉良義央の墓と三河一向一揆で家康に敵対した三河吉良氏

    吉良義央の墓1702年(元禄15年)12月15日、大石内蔵助以下47人の赤穂浪士に討たれた吉良義央は萬昌院に葬られます。萬昌院は、今川義元の三男・今川長得(一…

  • 武田勝頼の歯髪が葬られた法泉寺~甲府五山~

    法泉寺は、武田勝頼の菩提寺。武田勝頼の墓武田勝頼は武田信玄の四男。1582年(天正10年)、織田・徳川連合軍の甲州征伐により、天目山の田野で自害。京都に運ばれ…

  • 甘縄神明神社の玉縄桜2023/03/02

    玉縄桜は、鎌倉で生まれた桜。今が見ごろとなっていますが、昨年より1週間から10日早いかもしれません。ソメイヨシノから生まれた桜ですので、ソメイヨシノの開花もか…

  • 武田勝頼が築いた新府城

    1575年(天正3年)の長篠の戦いで織田信長と徳川家康の連合軍に大敗した武田勝頼は、領国立て直しのため、甲府の躑躅ヶ崎館からの移転を計画。1581年(天正9年…

  • 徳川家康が植えた蜜柑の木~清瀧寺・駿府城~

    清瀧寺は徳川家康の嫡男・松平信康の廟所がある寺。本堂前に植えられている蜜柑の木は、家康が駿府城に植えた蜜柑から挿し木で分けられたもの。地元の小学生が収穫するそ…

  • 徳川家康の神号はどうする?

    1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した徳川家康は、遺言どおりに久能山に埋葬されますが・・・その際、家康の神号をどうするかが問題となり、「黒衣の宰相…

  • 老中:永井尚政の先祖は源義朝を暗殺した長田忠致の兄親致

    永井尚政の墓(東京都中野区:萬昌院)江戸幕府二代将軍徳川秀忠のもとで老中を務めた永井尚政の先祖は、長田忠致の兄・長田親致なのだそうです。長田忠致は、鎌倉に武家…

  • 今川氏真の墓がある寺~東京杉並区:観泉寺~

    左から二番目が宝篋印塔が今川氏真の墓。氏真は萬昌院に葬られますが・・・1662年(寛文2年)、氏真の孫で高家今川家の祖今川直房が萬昌院の墓を観泉寺に改葬したの…

  • 江の島の河津桜が満開!2023/02/25

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  • 今川氏真が葬られた寺~萬昌院功運寺:東京中野区~

    萬昌院功運寺は・・・今川義元の三男・今川長得(一月長得)が創建した萬昌院と、徳川秀忠の時代に老中となった永井尚政が創建した功運寺が合併した寺。萬昌院には、16…

  • 鎌倉桜情報:2023光明寺の観桜会は4月1日・2日

    大聖閣抹茶席・香木とお香の香りを楽しむひと時・阿弥陀経写経会は予約制。申込受付は、3月4日 9:00から。詳しくは光明寺のホームページでご確認ください。☆ ☆…

  • 武田勝頼を裏切り処刑された小山田信茂

    JR中央本線の大月駅からもよく見える岩殿山。この山には、甲斐国都留郡の国衆・小山田氏が築いたという岩殿城(岩殿山城)がありました。小山田氏は、武蔵国の秩父を本…

  • 武田勝頼の墓~甲州市:景徳院~

    1582年(天正10年)3月11日、天目山の麓の田野で自害した武田勝頼と嫡男信勝、継室の北条夫人の墓。景徳院武田氏滅亡後、甲斐国を領することとなった徳川家康は…

  • 徳川家康が舞い、遺訓を語る「からくり時計」~岡崎城~

    岡崎城のからくり時計は、毎時00分・30分に徳川家康の人形が登場して能を舞い、遺訓を語ります。人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし・・・岡崎城☆ ☆ ☆…

  • 2023江の島流鏑馬

    今年で3回目となる江の島の流鏑馬は、3月11日。場所は、江の島片瀬東浜海岸時間は、12:30~15:15奉仕されるのは武田流流鏑馬。江の島流鏑馬☆ ☆ ☆ ☆…

  • 北条早雲が築いた玉縄城と徳川家康

    玉縄城は、1512年(永正9年)、相模国を支配するために北条早雲が築いた城。代々の城主は、氏時、為昌、綱成、氏繁、氏舜、氏勝。難攻不落の城といわれたが、159…

  • 徳川家康の側室・西郷殿の母が葬られた寺~鎌倉:貞宗寺~

    貞宗寺は、大奥で御年寄役を務めた貞宗院の菩提寺。貞宗院は、徳川家康の側室で秀忠を産んだ西郷局(お愛の方)の母。貞宗院の御霊屋中の宝篋印塔が貞宗院の墓と伝えられ…

  • 本多俊正・本多正信・本多正重と三河一向一揆

    本多俊正は、松平家の重臣・酒井忠尚に仕えていた武将。1563年(永禄6年)、酒井忠尚が松平家康(徳川家康)に対して謀反を起こして挙兵すると、俊正は忠尚に従って…

  • 戦略上の要衝だった美濃国の墨俣~源頼朝・北条義時・織田信長~

    長良川美濃国の墨俣は戦略上の要衝だった地。墨俣城墨俣城は、織田信長の美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる城。源平墨俣川古戦…

  • 小牧山城~織田信長が美濃攻略の拠点とした城~

    1562年(永禄5年)、清州城で徳川家康と同盟(清州同盟)を結び、東側の脅威をなくした織田信長は、翌年、小牧山城を築きます。そして、小牧山城を拠点として、15…

  • 三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討死した夏目広次

    夏目次郎左衛門吉信旌忠碑夏目吉信(広次)は、松平氏・徳川氏譜代の家臣。1563年(永禄6年)に起こった三河一向一揆では、松平家康(徳川家康)に反旗を翻したが、…

  • 武田信玄の墓~甲府の火葬塚~

    1572年(元亀3年)、遠江・三河に侵攻した武田信玄は、翌年、病に倒れ、甲府へ撤退する途中で亡くなりました。甲府にある墓所は信玄が埋葬された地といわれ、3年後…

  • 猫がいる東慶寺の涅槃図

    涅槃図は、お釈迦さまが入滅されるときの情景を表わした図。中央に横たわる金色の方がお釈迦さま。周りには、十大弟子をはじめ、さまざまな生き物が嘆き悲しむ様子が描か…

  • 東慶寺の涅槃図お絵解き講座

    東慶寺で「涅槃図お絵解き講座」が開催されます。絵解き師は岡澤恭子先生。お釈迦さまの誕生から涅槃に入られるまでの生涯をわかりやすくお話くださいます。2月25日(…

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