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  • 光源氏のモデル・在原行平と須磨

    在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。文徳天皇のときに須磨に蟄居を余儀なくされました。月見の松(須磨離宮公園)行平は、しばしば裏山で月見…

  • 源氏物語・須磨の巻~光源氏が蟄居した地~

    紫式部の『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。 源氏物語石像光源氏は、政敵…

  • 銭洗弁財天の銭洗い~正しい銭の清め方~

    銭洗弁財天の霊水で洗い清めたお金は「有意義なことに使うこと」。使う事で福が巡ってきます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆まずは「線香とろうそく」を購入し、ざるをお借りします…

  • 三井寺(園城寺)で出家した紫式部の父藤原為時

    園城寺三井寺は、天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。天智天皇・天武天皇・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられた霊泉があることから三井寺と呼ばれています。…

  • 紫式部と藤原道長の望月の歌

    1008年(寛弘5年)9月15日、敦成親王(後一条天皇)の御産養(祝宴)で紫式部は、祝賀の歌を詠みました。めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそちよもめ…

  • 今日は満月、藤原道長が見た望月

    今日は満月。1018年(寛仁2年)10月16日、藤原道長は四女の威子が後一条天皇の中宮(皇后)になると・・・この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと…

  • 鎌倉検定過去問~一遍~

    (問)時宗の開祖一遍の鎌倉入りを阻止したのは、だれの警護をしていた武士か。『一遍上人絵伝』1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとした一遍は…

  • 鉄造不動明王像の御開帳~大山寺もみじ祭:伊勢原市~

    大山寺毎年、11月8日から12月8日まで開催されている大山寺のもみじ祭では、本尊の鉄造不動明王が開帳されています。鉄造不動明王像は、大山寺を再興した願行が…

  • 双寿丸が仕える平為賢は高望王流桓武平氏~光る君へ~

    大河ドラマ「光る君へ」で双寿丸が仕えているのは平為賢は高望王流桓武平氏。高望王流桓武平氏は、高望王(平高望)が上総介として東国に下向したことに始まります。為賢…

  • あたみ桜 糸川桜まつり2025~1月11日から:熱海~

    熱海の糸川沿いに咲く「あたみ桜」の例年の見ごろは1月中旬から2月中旬。2025年は1月11日(土)から「糸川桜まつり」が始まります(2月9日(日)まで)。桜ま…

  • 金沢文庫で開催される「運慶~女人の作善と鎌倉幕府~」

    運慶は、鎌倉幕府と関係が深い仏師。北条時政の願成就院の造仏、和田義盛の浄楽寺の造仏で知られています。源頼朝の永福寺の造仏にも関わったと考えられ、北条義時の大倉…

  • 髭切と膝丸が展示される東京国立博物館の大覚寺展

    東京国立博物館では、2025年1月21日(火)から開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開催されます。その会場には…

  • 江ノ電タンコロまつり2024は11月30日

    「タンコロまつり2024」は11月30日(土)の開催。10:00~15:00開催場所は、極楽寺駅前広場と極楽寺検車区入場無料。「タンコロ」(100形108号)…

  • 源氏物語の最後の十帖~宇治十帖~

    紫式部は光源氏を主人公とする『源氏物語』の続編「宇治十帖」を1010年(寛弘7年)頃から書き始めたとも言われます。ただ、「宇治十帖」が書かれた時期は不明で、紫…

  • 比叡山で石を投げつけられた藤原道長

    1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男顕信が、突然、出家してしまいました。5月に比叡山で受戒が行われますが、道長も参列します。ただ、道長は下馬せず騎馬のま…

  • 皇后宮娍子の立后の儀と藤原道長の嫌がらせ

    1012年(寛弘9年)、藤原道長は三条天皇に入内していた次女の妍子を中宮としましす。一方、道長と不和だった三条天皇は、妍子より先に入内して第一皇子の敦明親王を…

  • 賢子が連れてきた双寿丸のモデルは藤原兼隆?

    大河ドラマ「光る君へ」では、双寿丸という男が紫式部の娘・賢子と恋仲になるような気配ですが・・・双寿丸は平為賢の従者で、賢子を盗人から救ったことで、屋敷に出入り…

  • 彰子の御所となった枇杷殿

    枇杷殿跡(京都御苑)枇杷殿は、藤原道長の次女・藤原妍子の里邸として整備された御殿。一条天皇の里内裏・一条院が焼失した際には、 一条天皇が中宮・藤原彰子らととも…

  • 光源氏と敦明親王がなった准太上天皇と源氏物語

    『源氏物語』で光源氏と藤壺の不義の子として登場する冷泉帝は、光源氏を「太上天皇になずらふ御位」としました。「太上天皇になずらふ御位」とは、太上天皇(上皇)に准…

  • 円覚寺舎利殿の特別公開~2024宝物風入~

    円覚寺舎利殿円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。鎌倉幕府三代将軍の源実朝が宋から請来したという仏牙舎利が祀られています。現在の舎利殿は…

  • 円覚寺の法話と坐禅の会~2024宝物風入~

    円覚寺では宝物風入期間中の11月2日(土)から4日(月)まで大方丈で「法話と坐禅の会」が開催されます。10:00~11:30内容は・・・法話30分-坐禅60分…

  • 建長寺法話スペシャル~2024宝物風入~

    建長寺では、毎週土曜日に三門の下で法話が開催されていますが、宝物風入の初日11月2日(土)には龍王殿で法話スペシャルが開催されます。様々な寺院の10人の和尚さ…

  • 行願寺で出家を決意した藤原道長の三男・顕信

    1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男・顕信は、行願寺の行円の教えに感銘を受け剃髪。比叡山の無動寺で出家してしまいます。道長や母の源明子は悲しんだといいま…

  • 萬福寺の法堂・大雄宝殿・天王殿が国宝に。~京都宇治~

    2024年(令和6年)10月18日、文化審議会は宇治の萬福寺の法堂・大雄宝殿・天王殿を国宝とする答申をしました。萬福寺は禅宗の一派・黄檗宗(おうばく)の大本山…

  • 今日から湘南キャンドル~江の島~

    湘南キャンドルは、10000基のろうそくに火が灯される幻想的なイベント。11月4日(月祝)まで江の島サムエルコッキング苑で開催されます。点灯時間:17:00~…

  • 土葬を望んでいた一条天皇、しかし火葬に。

    1011年(寛弘8年)6月22日、一条天皇が崩御。生前、一条天皇は土葬を望み、父の円融天皇の御陵(円融天皇 後村上陵)の近くに葬られることを望んでいたのだとい…

  • まんだら堂やぐら群~2024秋の限定公開~

    秋のまんだら堂やぐら群の限定公開は、以下のとおり予定されています。まんだら堂やぐら群公開期間令和6年10月19日(土)~12月16日(月)(※土・日・月・祝日…

  • 敦康親王を東宮にしたかった藤原彰子

    1011年(寛弘8年)春先から体調を崩した一条天皇。6月13日には、居貞親王(三条天皇)に譲位。☆ ☆ ☆ ☆ ☆譲位の際、一条天皇は藤原定子が生んだ敦康親王…

  • 浄楽寺の運慶仏、2024年秋は横須賀美術館で。

    浄楽寺(横須賀市芦名)浄楽寺は、源頼朝とともに鎌倉に武家政権を樹立させた和田義盛が建立した寺。「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、…

  • 2024秋のかまくら長谷の市~10月20日開催~

    長谷の市は、長谷の門前商店街が中心となって春と秋に開催されているイベント。2024秋の長谷の市は10月20日。メイン会場は長谷寺。9:00から16:00まで、…

  • 源氏物語の不義の子~光源氏と冷泉帝・薫~光る君へ

    『源氏物語』の登場人物・冷泉帝は、藤壺中宮が産んだ桐壺帝の第十皇子。光源氏の異母弟になりますが・・・実は光源氏と藤壺の不義の子。☆ ☆ ☆ ☆ ☆光源氏は、桐…

  • 藤原惟規の最後の歌

    都にも恋ひしき人の多かればなほこのたびはいかむとぞ思ふ1011年(寛弘8年)、紫式部の弟・藤原惟規は父の藤原為時の越後下向に同行しますが・・・間もなく病で亡く…

  • 鎌倉検定過去問~光明寺のお十夜~

    三日三晩、念仏やご詠歌を唱えると、千年の修行に値するといわれ、「お十夜」として市民にも親しまれている法要が行われる寺院はどこか。後土御門天皇が光明寺に勅許を与…

  • 今日から光明寺のお十夜~鎌倉の秋~

    2014年の光明寺のお十夜は10月12日から14日。お十夜は「千年間修行をすることよりも尊い」といわれている法会です。十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が…

  • 旧川喜多邸別邸が公開されます~鎌倉の秋~

    旧川喜多邸別邸ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家・川喜多長政の別邸が無料公開されます。10月12日(土)・13(日)10:00~16:00旧川喜多邸別邸…

  • 2024龍の口竹灯籠~江の島・龍口寺の秋~

    龍口寺の龍の口竹灯籠は、参詣者の先祖や亡くなった方の供養、願い事の祈願が行われるイベント。境内には青竹で作られた灯籠約3000基が並べられ、夕刻になると灯がと…

  • 「武家の都」の歴史が始まった日~源頼朝、鎌倉入り~

    『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)10月6日、源頼朝が率いる大軍が相模国へ。翌日、鎌倉入りを果たした頼朝は、まず先祖の源頼義が建てた鶴岡八幡宮(由…

  • 鎌倉検定過去問~荏柄天神社のかっぱ筆塚と絵筆塚~

    荏柄天神社の境内には、漫画家清水崑の「( ① )」があり、1989年(平成元)に完成した( ② )は横山隆一ら漫画家百五十四人の漫画で飾られている。漫画家清水…

  • 横須賀美術館の運慶展~浄楽寺の運慶仏ほか~

    和田義盛の発願によって造立された浄楽寺の阿弥陀三尊像と不動明王・毘沙門天立像三浦氏三代(為通・為継・義継)の菩提寺・清雲寺の滝見観音像和田義盛の身代わりとなっ…

  • 敦成親王の呪詛事件と敦康親王を東宮にしたかった藤原伊周

    1008年(寛弘2年)9月11日、藤原道長の長女・彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王を出産しますが・・・翌1009年(寛弘3年)正月、一条院内裏で祈祷の際に用…

  • 円覚寺開山の無学祖元と鶴岡八幡宮の神

    仏光国師(無学祖元)坐像円覚寺を開いた無学祖元は宋から渡来した禅僧。来日する前のある日こと。いつものように坐禅を組んでいると、金色の龍と青い鳩を連れ、頭に…

  • 鎌倉検定過去問~円覚寺開山忌~

    開山をしのび、毎年10月3日に宋朝様式の古式ゆかしい法会が行われる寺院はどこか。円覚寺の開山国師毎歳忌(開山忌)ではじめに一山の僧が集まって法会を行う場所はど…

  • 源氏物語(光る君の物語)を冊子にした藤原彰子

    『紫式部日記』によると・・・1008年(寛弘5年)11月、出産のため土御門殿に里下がりしていた中宮藤原彰子は、出産後、内裏(一条院)への還御が近づくと・・・一…

  • 敦成親王誕生の五十日の祝い~源氏物語初登場の日:紫式部日記~

    1008年(寛弘5年)11月1日、土御門殿では中宮・藤原彰子が産んだ一条天皇の第二皇子・敦成親王の誕生五十日の祝いが行われました。「五十日の祝い」(いかのいわ…

  • 一条天皇の土御門殿行幸、敦成親王と対面~紫式部日記~

    1008年(寛弘5年)10月16日、一条天皇は生まれたばかりの敦成親王と対面するため土御門殿に行幸。行幸近きころ、土御門殿は一条天皇を迎える準備が進められ、邸…

  • 敦成親王誕生5日目の御産養~紫式部日記~

    「産養」(うぶやしない)は、生後三日、五日、七日、九日目の夜に行われる祝宴。1008年(寛弘5年)9月11日、土御門殿では中宮・藤原彰子が一条天皇の第二皇子・…

  • 源氏物語が文献上で初登場!~若紫はおいでかな?:公任と紫式部~

    『紫式部日記』によると・・・1008年(寛弘5年)9月11日正午、一条天皇の中宮・藤原彰子が土御門殿で第二皇子の敦成親王を出産。皇子誕生五十日の祝宴が行われた…

  • 鎌倉検定過去問~御霊神社の面掛行列~

    坂ノ下の御霊神社例祭で行われる行事のうち,神奈川県の無形民俗文化財に指定されているものは何か。毎年9月18日に、〔 ① 〕例祭で伎楽面や田楽面などをつけて行わ…

  • 鎌倉検定過去問~鶴岡八幡宮例大祭の流鏑馬~

    鶴岡八幡宮で9月に流鏑馬が行われるのはいつか。鶴岡八幡宮例大祭の最終日に行われる流鏑馬で、全長約260mの馬場道に立てられる的の数はいくつか。☆ ☆ ☆ ☆ …

  • 鎌倉検定過去問~西行と源頼朝と鶴岡八幡宮放生会~

    東大寺再興の勧進のため、陸奥に赴く途中、鎌倉で源頼朝に謁見した逸話が残る僧はだれか。『吾妻鏡』によると、面会の折、源頼朝が西行に贈った銀の引き出物は何の動物を…

  • 鎌倉検定過去問~鶴岡八幡宮例大祭~

    鶴岡八幡宮例大祭は,旧暦の 8月15日に行われていた〔 〕を新暦に換算して開催されている。初日の早朝、由比ヶ浜で神職全員が海に入り禊ぎをする〔 〕が行…

  • 2024面掛行列~御霊神社例大祭日程~

    御霊神社は、平安時代の開発領主・鎌倉権五郎景政を祀る社。例大祭は景政の命日である9月18日に行われます。神幸祭の面掛行列は、神奈川県の無形民俗文化財です。面掛…

  • 2024鶴岡八幡宮例大祭日程

    鶴岡八幡宮例大祭は9月14日~16日。9月14日宵宮祭 18:00~和太鼓演奏 19:00~(神童太鼓)合唱会 16:00~(北鎌倉女子学園コーラス部)和…

  • 円覚寺の童子に贈るための絵画が重要文化財に。

    紙本墨画淡彩披錦斎図(根津美術館)2024年(令和6年)8月27日、根津美術館所蔵の「紙本墨画淡彩披錦斎図」が重要文化財に指定されました。「紙本墨画淡彩披錦斎…

  • 藤原公任の和漢朗詠集が国宝に。

    和漢朗詠集は、撰者とされる藤原公任が漢詩の秀句と和歌をまとめた詩歌集。藤原道長の四女・威子が後一条天皇に入内するときの贈り物の屏風絵に添える歌として撰ばれたも…

  • 鎌倉検定過去問~千葉常胤の進言~

    『吾妻鏡』によると、源氏ゆかりの地鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したとされる人物はだれか。1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は…

  • 藤原道長の御嶽詣~彰子の男児出産を願っての金峯山参詣か?~

    1007年(寛弘4年)8月11日、藤原道長は自ら書写した経を吉野の金峯山(山上の蔵王堂)に埋納しています。当時、道長は様々な病に苦しんでいたようですので、厄除…

  • 国宝に指定された藤原道長直筆の経巻

    2024年(令和6年)8月27日、藤原道長と曾孫の師通直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」(きんぷせんきょうづかしゅつどこんしきんじきょう)が国宝に指定されまし…

  • 木曽義仲挙兵!~市原合戦~

    旗挙八幡宮(長野県木曽町)木曽義仲は源義賢の次男。1154年(久寿元年)、武蔵国比企郡の大蔵館で誕生します。しかし、翌年、父の義賢が源義朝の長男・義平(頼朝の…

  • 2024甘縄神明神社の例大祭~鎌倉最古の社の祭礼~

    ぼんぼり祭9月7日(土)~13日(金)18:00~20:00民謡踊り大会・夜店9月12日(木)・13日(金)18:00~20:00万灯神輿9月7日(土)18:…

  • 片鐙の礼~流鏑馬の礼儀~

    鐙流鏑馬の射手は乗馬の際に鐙(あぶみ)に足を置きますが、高貴な人の前や神の前を通るときには「片鐙をはずす」のが礼儀(片鐙の礼)。流鏑馬は疾走する馬上から鏑矢を…

  • 藤原彰子に仕えた女房たち

    源陟子(宮の宣旨)小柄でほっそりとして、髪の毛筋は整って美しく、気品あがあったのだとか。源簾子(大納言の君)紫式部と親しくしていた小少将の君の姉。📎法華三十講…

  • 藤原道長 vs 興福寺~源頼親・蓮聖・定澄と道長~

    興福寺興福寺は藤原氏の氏寺ですが・・・藤原道長の時代には荘園を巡って対立関係にあったのだといいます。道長は、源頼親を大和国司とし、興福寺の荘園拡大を抑制しよう…

  • 吉野に南朝を興した後醍醐天皇と北条時行

    鎌倉幕府は、1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の綸旨を受けて上野国で挙兵した新田義貞に滅ぼされました。後醍醐天皇による親政(建武の新政)が開始されますが・・・…

  • 小笠原貞宗~小笠原流礼法の中興の祖~

    小笠原氏は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の一流。加賀美遠光の次男で源頼朝に仕えた長清が小笠原を称したことに始まります。代々、鎌倉幕府に仕えますが、七代目の貞…

  • 後白河法皇の願いで再興された東大寺の大仏

    東大寺の本尊・銅造盧舎那仏坐像は、聖武天皇の願いで造立された仏像。東大寺大仏、奈良の大仏と呼ばれ親しまれています。銅造盧舎那仏坐像「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)…

  • 鎌倉検定過去問~鎌倉権五郎景政の大庭御厨と源義朝の鎌倉之楯

    1144年(天養元)〔 〕は〔 〕が寄進したという〔 〕の荘園である大庭御厨へ侵入した。当時〔 〕は現在の〔 〕付近にあったとされる「鎌倉…

  • 心乱れる紫式部

    紫式部公園歌碑「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」この歌は、紫式部が中宮・藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだもの。紫式部の心…

  • 天から天神画像が降ってきた!~鎌倉:荏柄天神社~

    荏柄天神社1104年(長治元年)8月25日、荏草郷といわれた土地に、にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきました。神験を恐れた里の人々は、その場所に社殿を…

  • 金色堂建立900年~道長の法成寺・頼通の平等院と奥州藤原氏~

    平安時代、浄土信仰の広まりで阿弥陀堂の建立が盛んに行われました。その始まりは慈覚大師(円仁)が延暦寺に建立した常行堂。藤原道長が帰依した源信(恵心僧都)が修行…

  • 石橋山から伊豆へ向かった北条宗時~石橋山の戦い~

    1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、8月24日、石橋山の戦いで大敗。『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)8月24…

  • 鎌倉検定過去問~石橋山の戦いと北鎌倉

    (問)平氏打倒の旗挙げの直後、[ ]の合戦に敗れた源頼朝は、海上で三浦氏と合流して、房総半島に逃れた。再度、関東の豪族を集めて勢力を立て直し、鎌倉に入り、…

  • 8月23日・24日は板橋地蔵尊大祭~頼朝も信仰した地蔵尊なのかも?~

    8月23日、24日は小田原市板橋の旧東海道沿いにある板橋地蔵尊の大祭。この日に参ると亡くなった身内と瓜二つの顔の人に出会えるのだとか・・・。地蔵堂では、地蔵尊…

  • 紫式部の先祖:藤原高藤・宮道列子と源氏物語

    藤原高藤は平安時代前期の公卿。妻の宮道列子は中下級貴族の宮道弥益の娘。紫式部は、この二人の子孫にあたります。左大臣源雅信の正妻藤原穆子(倫子の母)や紫式部の夫…

  • 鶴岡八幡宮の鳥居の呼び方

    鶴岡八幡宮の参道・若宮大路にある三つの鳥居の呼び方は・・・由比ヶ浜にあるのが一の鳥居、段葛が始まる所にあるのが二の鳥居、鶴岡八幡宮入口にあるのが三の鳥居。しか…

  • 鎌倉宮に祀られている護良親王

    鎌倉宮鎌倉宮は鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王を祀る社。護良親王は、後醍醐天皇の皇子。梶井門跡(現在の三千院)に入室し、天台座主(比叡山延暦寺の貫主)となって…

  • 源氏物語を書き始めた紫式部

    源氏の間(石山寺)『石山寺縁起絵巻』によると・・・1004年(寛弘元年)、石山寺に参籠したという紫式部。8月15日、中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見て『…

  • 源明子が住んだ高松殿~高松神明神社~

    高松神明神社は、源明子の父・源高明が御殿の高松殿の鎮守として伊勢神宮を勧請した社。藤原道長と結婚した明子は、ここに住んで高松殿と呼ばれていました。高松殿は…

  • 湯河原町で行われる「頼朝 実平 開運出陣祭」

    1180年(治承4年)8月17日、伊豆国の流人・源頼朝が源氏再興の挙兵。伊豆国の目代・山木兼隆を討ち取り、8月20日、相模国へ進軍。8月23日、石橋山に布陣し…

  • 源頼朝、読経を伊豆山の法音に代行してもらう~源氏再興の挙兵!~

    1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をして、伊豆の目代山木兼隆を討った源頼朝でしたが・・・これから相模国へ進軍しなければなりません。そうすると伊豆…

  • 三嶋大社の祭礼の日に挙兵した源頼朝

    三嶋大社源頼朝が挙兵の日に選んだのは、源氏再興を祈願していた三嶋大社の祭礼の日でした。1180年(治承4年)8月17日の晩、頼朝は山木館を攻めさせます。加藤景…

  • 紫式部と源氏物語と閻魔大王

    閻魔法王を本尊としている千本ゑんま堂(引接寺)には紫式部の供養塔があります。紫式部供養塔供養塔は、あの世で不遇に陥っている紫式部を救うために建てられたのだとか…

  • 亡者が四十九日目に出会う泰山王と泰山府君と福禄寿

    泰山王(鎌倉:圓應寺)泰山王は亡者が四十九日目に出会う王。道教の神である泰山府君がもとになっています。泰山府君は陰陽道では最高神とされ、京都の清浄華院に伝わる…

  • 死の六道と生の六道~現世と冥界を行き来した小野篁~

    六道珍皇寺六道の辻にある六道珍皇寺は冥界の入口。閻魔大王と交流していたという平安時代の公卿・小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨に…

  • 新居の閻魔さま~圓應寺の閻魔縁日:鎌倉~

    8月16日は圓應寺の「閻魔縁日」。閻魔大王「閻魔縁日」​は、地獄のふたが開けられ、全ての餓鬼が解放される日。圓應寺圓應寺は、1250年(建長2年)に長谷に創建…

  • 一条天皇と藤原定子と敦康親王と源氏物語

    大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)が『源氏物語』を書き始めそうな段階。『源氏物語』の主人公・光源氏は桐壺帝の第二皇子。母は桐壺更衣。諸説あるようです…

  • 和泉式部の恋~為尊親王と敦道親王~

    恋多き歌人として知られる和泉式部。橘道貞という夫がいましたが・・・冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と恋愛関係に。道貞との婚姻生活は破綻し、親からは身分違いの恋であ…

  • 藤原道長の金峯山詣~御霊験で彰子が懐妊~

    『御堂関白記』によると・・・藤原道長は、1007年(寛弘4年)8月2日に金峯山を参拝するため京都を出発。8月11日には金峯山で法要を行い、998年(長徳4年)…

  • 鳩の日の『鳩サブレー1枚入缶セット』

    今日は8月10日=鳩の日。鎌倉の豊島屋さんも藤沢の小田急百貨店も大行列。お目当ては、創業130年記念のオリジナルデザインをあしらった『鳩サブレー1枚入缶セット…

  • 鎌倉検定過去問~鳩三郎だった鳩サブレー~8月10日は鳩の日

    鎌倉の銘菓鳩サブレーを販売する豊島屋の創業者はだれか。「鳩サブレー」について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。1 鳩サブレーは発売当初、四角い形をし…

  • 実朝祭~ぼんぼり祭の最終日は源実朝の誕生日~

    『吾妻鏡』によると・・・1192年(建久3年)8月9日、晴れて風も穏やかな日。朝早くから北条政子が産気づきます。加持は鶴岡八幡宮別当の円暁。祈祷は義慶坊と大学…

  • 黒地蔵縁日~8月10日は覚園寺の地蔵盆~

    覚園寺の8月10日は、地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼(獄卒)に代わって火を炊いたため「黒くすすけている」という伝説が残されている地蔵菩薩(黒地蔵)…

  • 逃げ上手の若君~鶴岡八幡宮のぼんぼり祭~

    鶴岡八幡宮のぼんぼり祭に掲揚されていたアニメ「逃げ上手の若君」の雪洞。「逃げ上手の若君」とは・・・1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めで滅んだ北条高時の…

  • 徳道の願いで造立された長谷観音~長谷寺:8月10日は四万六千日~

    長谷寺の本尊は、徳道の願いによって彫られたという十一面観音。木造では日本最大級といわれる像。右手に錫杖を、左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つとい…

  • 北条政子創建の田代観音~安養院:8月10日は四万六千日~

    安養院は、1680年(延宝8年)に焼失した後、比企ヶ谷にあった田代観音堂が移されたことから「田代寺」と呼ばれています。田代観音堂は、源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島の…

  • 杉本観音の伝説!杉本寺には花山天皇ゆかりの観音像も。~8月10日は四万六千日~

    杉本寺本尊御影鎌倉最古の寺といわれる杉本寺の本尊は、731年(天平3年)の行基作という十一面観音、851年(仁寿元年)の慈覚作という十一面観音、寛和年間(98…

  • 『源氏物語』に出てくる「かささぎ」(カササギ)

    紫式部は『源氏物語』の「宇治十帖」~浮舟の巻~にこう書いています。「山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばる…

  • 長保・寛弘の大干ばつと安倍晴明の五龍祭

    1004年は深刻な旱魃(干ばつ)に見舞われた年。藤原道長の『御堂関白記』によると6月10日から有用な降雨がなかったようです。一条天皇も清涼殿の庭で雨乞いの祈祷…

  • 鎌倉検定過去問~鶴岡八幡宮の大鳥居(一の鳥居)~

    (問)写真の建造物を寄進した人物はだれか。(問)鶴岡八幡宮大鳥居は〔 〕の下馬と海岸の間に建つ石造明神鳥居である。1180年(治承4)に建立されたといわれ…

  • 鎌倉検定過去問~源頼朝の永福寺~

    奥州藤原氏の築いた平泉の中尊寺大長寿院を模して、源頼朝が造営したという壮大な寺院の旧跡はどこか。源頼朝が二階堂に永福寺を創建したのは何のためか。度重なる火災な…

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