在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。文徳天皇のときに須磨に蟄居を余儀なくされました。月見の松(須磨離宮公園)行平は、しばしば裏山で月見…
在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。文徳天皇のときに須磨に蟄居を余儀なくされました。月見の松(須磨離宮公園)行平は、しばしば裏山で月見…
紫式部の『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。 源氏物語石像光源氏は、政敵…
銭洗弁財天の霊水で洗い清めたお金は「有意義なことに使うこと」。使う事で福が巡ってきます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆まずは「線香とろうそく」を購入し、ざるをお借りします…
園城寺三井寺は、天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。天智天皇・天武天皇・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられた霊泉があることから三井寺と呼ばれています。…
1008年(寛弘5年)9月15日、敦成親王(後一条天皇)の御産養(祝宴)で紫式部は、祝賀の歌を詠みました。めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそちよもめ…
今日は満月。1018年(寛仁2年)10月16日、藤原道長は四女の威子が後一条天皇の中宮(皇后)になると・・・この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと…
(問)時宗の開祖一遍の鎌倉入りを阻止したのは、だれの警護をしていた武士か。『一遍上人絵伝』1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとした一遍は…
大山寺毎年、11月8日から12月8日まで開催されている大山寺のもみじ祭では、本尊の鉄造不動明王が開帳されています。鉄造不動明王像は、大山寺を再興した願行が…
大河ドラマ「光る君へ」で双寿丸が仕えているのは平為賢は高望王流桓武平氏。高望王流桓武平氏は、高望王(平高望)が上総介として東国に下向したことに始まります。為賢…
熱海の糸川沿いに咲く「あたみ桜」の例年の見ごろは1月中旬から2月中旬。2025年は1月11日(土)から「糸川桜まつり」が始まります(2月9日(日)まで)。桜ま…
運慶は、鎌倉幕府と関係が深い仏師。北条時政の願成就院の造仏、和田義盛の浄楽寺の造仏で知られています。源頼朝の永福寺の造仏にも関わったと考えられ、北条義時の大倉…
東京国立博物館では、2025年1月21日(火)から開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開催されます。その会場には…
「タンコロまつり2024」は11月30日(土)の開催。10:00~15:00開催場所は、極楽寺駅前広場と極楽寺検車区入場無料。「タンコロ」(100形108号)…
紫式部は光源氏を主人公とする『源氏物語』の続編「宇治十帖」を1010年(寛弘7年)頃から書き始めたとも言われます。ただ、「宇治十帖」が書かれた時期は不明で、紫…
1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男顕信が、突然、出家してしまいました。5月に比叡山で受戒が行われますが、道長も参列します。ただ、道長は下馬せず騎馬のま…
1012年(寛弘9年)、藤原道長は三条天皇に入内していた次女の妍子を中宮としましす。一方、道長と不和だった三条天皇は、妍子より先に入内して第一皇子の敦明親王を…
大河ドラマ「光る君へ」では、双寿丸という男が紫式部の娘・賢子と恋仲になるような気配ですが・・・双寿丸は平為賢の従者で、賢子を盗人から救ったことで、屋敷に出入り…
枇杷殿跡(京都御苑)枇杷殿は、藤原道長の次女・藤原妍子の里邸として整備された御殿。一条天皇の里内裏・一条院が焼失した際には、 一条天皇が中宮・藤原彰子らととも…
『源氏物語』で光源氏と藤壺の不義の子として登場する冷泉帝は、光源氏を「太上天皇になずらふ御位」としました。「太上天皇になずらふ御位」とは、太上天皇(上皇)に准…
円覚寺舎利殿円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。鎌倉幕府三代将軍の源実朝が宋から請来したという仏牙舎利が祀られています。現在の舎利殿は…
円覚寺では宝物風入期間中の11月2日(土)から4日(月)まで大方丈で「法話と坐禅の会」が開催されます。10:00~11:30内容は・・・法話30分-坐禅60分…
建長寺では、毎週土曜日に三門の下で法話が開催されていますが、宝物風入の初日11月2日(土)には龍王殿で法話スペシャルが開催されます。様々な寺院の10人の和尚さ…
1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男・顕信は、行願寺の行円の教えに感銘を受け剃髪。比叡山の無動寺で出家してしまいます。道長や母の源明子は悲しんだといいま…
2024年(令和6年)10月18日、文化審議会は宇治の萬福寺の法堂・大雄宝殿・天王殿を国宝とする答申をしました。萬福寺は禅宗の一派・黄檗宗(おうばく)の大本山…
湘南キャンドルは、10000基のろうそくに火が灯される幻想的なイベント。11月4日(月祝)まで江の島サムエルコッキング苑で開催されます。点灯時間:17:00~…
1011年(寛弘8年)6月22日、一条天皇が崩御。生前、一条天皇は土葬を望み、父の円融天皇の御陵(円融天皇 後村上陵)の近くに葬られることを望んでいたのだとい…
秋のまんだら堂やぐら群の限定公開は、以下のとおり予定されています。まんだら堂やぐら群公開期間令和6年10月19日(土)~12月16日(月)(※土・日・月・祝日…
1011年(寛弘8年)春先から体調を崩した一条天皇。6月13日には、居貞親王(三条天皇)に譲位。☆ ☆ ☆ ☆ ☆譲位の際、一条天皇は藤原定子が生んだ敦康親王…
浄楽寺(横須賀市芦名)浄楽寺は、源頼朝とともに鎌倉に武家政権を樹立させた和田義盛が建立した寺。「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、…
長谷の市は、長谷の門前商店街が中心となって春と秋に開催されているイベント。2024秋の長谷の市は10月20日。メイン会場は長谷寺。9:00から16:00まで、…
『源氏物語』の登場人物・冷泉帝は、藤壺中宮が産んだ桐壺帝の第十皇子。光源氏の異母弟になりますが・・・実は光源氏と藤壺の不義の子。☆ ☆ ☆ ☆ ☆光源氏は、桐…
都にも恋ひしき人の多かればなほこのたびはいかむとぞ思ふ1011年(寛弘8年)、紫式部の弟・藤原惟規は父の藤原為時の越後下向に同行しますが・・・間もなく病で亡く…
三日三晩、念仏やご詠歌を唱えると、千年の修行に値するといわれ、「お十夜」として市民にも親しまれている法要が行われる寺院はどこか。後土御門天皇が光明寺に勅許を与…
2014年の光明寺のお十夜は10月12日から14日。お十夜は「千年間修行をすることよりも尊い」といわれている法会です。十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が…
旧川喜多邸別邸ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家・川喜多長政の別邸が無料公開されます。10月12日(土)・13(日)10:00~16:00旧川喜多邸別邸…
龍口寺の龍の口竹灯籠は、参詣者の先祖や亡くなった方の供養、願い事の祈願が行われるイベント。境内には青竹で作られた灯籠約3000基が並べられ、夕刻になると灯がと…
『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)10月6日、源頼朝が率いる大軍が相模国へ。翌日、鎌倉入りを果たした頼朝は、まず先祖の源頼義が建てた鶴岡八幡宮(由…
荏柄天神社の境内には、漫画家清水崑の「( ① )」があり、1989年(平成元)に完成した( ② )は横山隆一ら漫画家百五十四人の漫画で飾られている。漫画家清水…
和田義盛の発願によって造立された浄楽寺の阿弥陀三尊像と不動明王・毘沙門天立像三浦氏三代(為通・為継・義継)の菩提寺・清雲寺の滝見観音像和田義盛の身代わりとなっ…
1008年(寛弘2年)9月11日、藤原道長の長女・彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王を出産しますが・・・翌1009年(寛弘3年)正月、一条院内裏で祈祷の際に用…
仏光国師(無学祖元)坐像円覚寺を開いた無学祖元は宋から渡来した禅僧。来日する前のある日こと。いつものように坐禅を組んでいると、金色の龍と青い鳩を連れ、頭に…
開山をしのび、毎年10月3日に宋朝様式の古式ゆかしい法会が行われる寺院はどこか。円覚寺の開山国師毎歳忌(開山忌)ではじめに一山の僧が集まって法会を行う場所はど…
『紫式部日記』によると・・・1008年(寛弘5年)11月、出産のため土御門殿に里下がりしていた中宮藤原彰子は、出産後、内裏(一条院)への還御が近づくと・・・一…
敦成親王誕生の五十日の祝い~源氏物語初登場の日:紫式部日記~
1008年(寛弘5年)11月1日、土御門殿では中宮・藤原彰子が産んだ一条天皇の第二皇子・敦成親王の誕生五十日の祝いが行われました。「五十日の祝い」(いかのいわ…
1008年(寛弘5年)10月16日、一条天皇は生まれたばかりの敦成親王と対面するため土御門殿に行幸。行幸近きころ、土御門殿は一条天皇を迎える準備が進められ、邸…
「産養」(うぶやしない)は、生後三日、五日、七日、九日目の夜に行われる祝宴。1008年(寛弘5年)9月11日、土御門殿では中宮・藤原彰子が一条天皇の第二皇子・…
源氏物語が文献上で初登場!~若紫はおいでかな?:公任と紫式部~
『紫式部日記』によると・・・1008年(寛弘5年)9月11日正午、一条天皇の中宮・藤原彰子が土御門殿で第二皇子の敦成親王を出産。皇子誕生五十日の祝宴が行われた…
坂ノ下の御霊神社例祭で行われる行事のうち,神奈川県の無形民俗文化財に指定されているものは何か。毎年9月18日に、〔 ① 〕例祭で伎楽面や田楽面などをつけて行わ…
鶴岡八幡宮で9月に流鏑馬が行われるのはいつか。鶴岡八幡宮例大祭の最終日に行われる流鏑馬で、全長約260mの馬場道に立てられる的の数はいくつか。☆ ☆ ☆ ☆ …
東大寺再興の勧進のため、陸奥に赴く途中、鎌倉で源頼朝に謁見した逸話が残る僧はだれか。『吾妻鏡』によると、面会の折、源頼朝が西行に贈った銀の引き出物は何の動物を…
鶴岡八幡宮例大祭は,旧暦の 8月15日に行われていた〔 〕を新暦に換算して開催されている。初日の早朝、由比ヶ浜で神職全員が海に入り禊ぎをする〔 〕が行…
御霊神社は、平安時代の開発領主・鎌倉権五郎景政を祀る社。例大祭は景政の命日である9月18日に行われます。神幸祭の面掛行列は、神奈川県の無形民俗文化財です。面掛…
鶴岡八幡宮例大祭は9月14日~16日。9月14日宵宮祭 18:00~和太鼓演奏 19:00~(神童太鼓)合唱会 16:00~(北鎌倉女子学園コーラス部)和…
紙本墨画淡彩披錦斎図(根津美術館)2024年(令和6年)8月27日、根津美術館所蔵の「紙本墨画淡彩披錦斎図」が重要文化財に指定されました。「紙本墨画淡彩披錦斎…
和漢朗詠集は、撰者とされる藤原公任が漢詩の秀句と和歌をまとめた詩歌集。藤原道長の四女・威子が後一条天皇に入内するときの贈り物の屏風絵に添える歌として撰ばれたも…
『吾妻鏡』によると、源氏ゆかりの地鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したとされる人物はだれか。1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は…
1007年(寛弘4年)8月11日、藤原道長は自ら書写した経を吉野の金峯山(山上の蔵王堂)に埋納しています。当時、道長は様々な病に苦しんでいたようですので、厄除…
2024年(令和6年)8月27日、藤原道長と曾孫の師通直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」(きんぷせんきょうづかしゅつどこんしきんじきょう)が国宝に指定されまし…
旗挙八幡宮(長野県木曽町)木曽義仲は源義賢の次男。1154年(久寿元年)、武蔵国比企郡の大蔵館で誕生します。しかし、翌年、父の義賢が源義朝の長男・義平(頼朝の…
ぼんぼり祭9月7日(土)~13日(金)18:00~20:00民謡踊り大会・夜店9月12日(木)・13日(金)18:00~20:00万灯神輿9月7日(土)18:…
鐙流鏑馬の射手は乗馬の際に鐙(あぶみ)に足を置きますが、高貴な人の前や神の前を通るときには「片鐙をはずす」のが礼儀(片鐙の礼)。流鏑馬は疾走する馬上から鏑矢を…
源陟子(宮の宣旨)小柄でほっそりとして、髪の毛筋は整って美しく、気品あがあったのだとか。源簾子(大納言の君)紫式部と親しくしていた小少将の君の姉。📎法華三十講…
興福寺興福寺は藤原氏の氏寺ですが・・・藤原道長の時代には荘園を巡って対立関係にあったのだといいます。道長は、源頼親を大和国司とし、興福寺の荘園拡大を抑制しよう…
鎌倉幕府は、1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の綸旨を受けて上野国で挙兵した新田義貞に滅ぼされました。後醍醐天皇による親政(建武の新政)が開始されますが・・・…
小笠原氏は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の一流。加賀美遠光の次男で源頼朝に仕えた長清が小笠原を称したことに始まります。代々、鎌倉幕府に仕えますが、七代目の貞…
東大寺の本尊・銅造盧舎那仏坐像は、聖武天皇の願いで造立された仏像。東大寺大仏、奈良の大仏と呼ばれ親しまれています。銅造盧舎那仏坐像「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)…
1144年(天養元)〔 〕は〔 〕が寄進したという〔 〕の荘園である大庭御厨へ侵入した。当時〔 〕は現在の〔 〕付近にあったとされる「鎌倉…
紫式部公園歌碑「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」この歌は、紫式部が中宮・藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだもの。紫式部の心…
荏柄天神社1104年(長治元年)8月25日、荏草郷といわれた土地に、にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきました。神験を恐れた里の人々は、その場所に社殿を…
金色堂建立900年~道長の法成寺・頼通の平等院と奥州藤原氏~
平安時代、浄土信仰の広まりで阿弥陀堂の建立が盛んに行われました。その始まりは慈覚大師(円仁)が延暦寺に建立した常行堂。藤原道長が帰依した源信(恵心僧都)が修行…
1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、8月24日、石橋山の戦いで大敗。『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)8月24…
(問)平氏打倒の旗挙げの直後、[ ]の合戦に敗れた源頼朝は、海上で三浦氏と合流して、房総半島に逃れた。再度、関東の豪族を集めて勢力を立て直し、鎌倉に入り、…
8月23日・24日は板橋地蔵尊大祭~頼朝も信仰した地蔵尊なのかも?~
8月23日、24日は小田原市板橋の旧東海道沿いにある板橋地蔵尊の大祭。この日に参ると亡くなった身内と瓜二つの顔の人に出会えるのだとか・・・。地蔵堂では、地蔵尊…
藤原高藤は平安時代前期の公卿。妻の宮道列子は中下級貴族の宮道弥益の娘。紫式部は、この二人の子孫にあたります。左大臣源雅信の正妻藤原穆子(倫子の母)や紫式部の夫…
鶴岡八幡宮の参道・若宮大路にある三つの鳥居の呼び方は・・・由比ヶ浜にあるのが一の鳥居、段葛が始まる所にあるのが二の鳥居、鶴岡八幡宮入口にあるのが三の鳥居。しか…
鎌倉宮鎌倉宮は鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王を祀る社。護良親王は、後醍醐天皇の皇子。梶井門跡(現在の三千院)に入室し、天台座主(比叡山延暦寺の貫主)となって…
源氏の間(石山寺)『石山寺縁起絵巻』によると・・・1004年(寛弘元年)、石山寺に参籠したという紫式部。8月15日、中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見て『…
高松神明神社は、源明子の父・源高明が御殿の高松殿の鎮守として伊勢神宮を勧請した社。藤原道長と結婚した明子は、ここに住んで高松殿と呼ばれていました。高松殿は…
1180年(治承4年)8月17日、伊豆国の流人・源頼朝が源氏再興の挙兵。伊豆国の目代・山木兼隆を討ち取り、8月20日、相模国へ進軍。8月23日、石橋山に布陣し…
源頼朝、読経を伊豆山の法音に代行してもらう~源氏再興の挙兵!~
1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をして、伊豆の目代山木兼隆を討った源頼朝でしたが・・・これから相模国へ進軍しなければなりません。そうすると伊豆…
三嶋大社源頼朝が挙兵の日に選んだのは、源氏再興を祈願していた三嶋大社の祭礼の日でした。1180年(治承4年)8月17日の晩、頼朝は山木館を攻めさせます。加藤景…
閻魔法王を本尊としている千本ゑんま堂(引接寺)には紫式部の供養塔があります。紫式部供養塔供養塔は、あの世で不遇に陥っている紫式部を救うために建てられたのだとか…
泰山王(鎌倉:圓應寺)泰山王は亡者が四十九日目に出会う王。道教の神である泰山府君がもとになっています。泰山府君は陰陽道では最高神とされ、京都の清浄華院に伝わる…
六道珍皇寺六道の辻にある六道珍皇寺は冥界の入口。閻魔大王と交流していたという平安時代の公卿・小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨に…
8月16日は圓應寺の「閻魔縁日」。閻魔大王「閻魔縁日」は、地獄のふたが開けられ、全ての餓鬼が解放される日。圓應寺圓應寺は、1250年(建長2年)に長谷に創建…
大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)が『源氏物語』を書き始めそうな段階。『源氏物語』の主人公・光源氏は桐壺帝の第二皇子。母は桐壺更衣。諸説あるようです…
恋多き歌人として知られる和泉式部。橘道貞という夫がいましたが・・・冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と恋愛関係に。道貞との婚姻生活は破綻し、親からは身分違いの恋であ…
『御堂関白記』によると・・・藤原道長は、1007年(寛弘4年)8月2日に金峯山を参拝するため京都を出発。8月11日には金峯山で法要を行い、998年(長徳4年)…
今日は8月10日=鳩の日。鎌倉の豊島屋さんも藤沢の小田急百貨店も大行列。お目当ては、創業130年記念のオリジナルデザインをあしらった『鳩サブレー1枚入缶セット…
鎌倉の銘菓鳩サブレーを販売する豊島屋の創業者はだれか。「鳩サブレー」について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。1 鳩サブレーは発売当初、四角い形をし…
『吾妻鏡』によると・・・1192年(建久3年)8月9日、晴れて風も穏やかな日。朝早くから北条政子が産気づきます。加持は鶴岡八幡宮別当の円暁。祈祷は義慶坊と大学…
覚園寺の8月10日は、地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼(獄卒)に代わって火を炊いたため「黒くすすけている」という伝説が残されている地蔵菩薩(黒地蔵)…
鶴岡八幡宮のぼんぼり祭に掲揚されていたアニメ「逃げ上手の若君」の雪洞。「逃げ上手の若君」とは・・・1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めで滅んだ北条高時の…
徳道の願いで造立された長谷観音~長谷寺:8月10日は四万六千日~
長谷寺の本尊は、徳道の願いによって彫られたという十一面観音。木造では日本最大級といわれる像。右手に錫杖を、左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つとい…
安養院は、1680年(延宝8年)に焼失した後、比企ヶ谷にあった田代観音堂が移されたことから「田代寺」と呼ばれています。田代観音堂は、源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島の…
杉本観音の伝説!杉本寺には花山天皇ゆかりの観音像も。~8月10日は四万六千日~
杉本寺本尊御影鎌倉最古の寺といわれる杉本寺の本尊は、731年(天平3年)の行基作という十一面観音、851年(仁寿元年)の慈覚作という十一面観音、寛和年間(98…
紫式部は『源氏物語』の「宇治十帖」~浮舟の巻~にこう書いています。「山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばる…
1004年は深刻な旱魃(干ばつ)に見舞われた年。藤原道長の『御堂関白記』によると6月10日から有用な降雨がなかったようです。一条天皇も清涼殿の庭で雨乞いの祈祷…
(問)写真の建造物を寄進した人物はだれか。(問)鶴岡八幡宮大鳥居は〔 〕の下馬と海岸の間に建つ石造明神鳥居である。1180年(治承4)に建立されたといわれ…
奥州藤原氏の築いた平泉の中尊寺大長寿院を模して、源頼朝が造営したという壮大な寺院の旧跡はどこか。源頼朝が二階堂に永福寺を創建したのは何のためか。度重なる火災な…
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在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。文徳天皇のときに須磨に蟄居を余儀なくされました。月見の松(須磨離宮公園)行平は、しばしば裏山で月見…
紫式部の『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。 源氏物語石像光源氏は、政敵…
銭洗弁財天の霊水で洗い清めたお金は「有意義なことに使うこと」。使う事で福が巡ってきます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆まずは「線香とろうそく」を購入し、ざるをお借りします…
園城寺三井寺は、天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。天智天皇・天武天皇・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられた霊泉があることから三井寺と呼ばれています。…
1008年(寛弘5年)9月15日、敦成親王(後一条天皇)の御産養(祝宴)で紫式部は、祝賀の歌を詠みました。めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそちよもめ…
今日は満月。1018年(寛仁2年)10月16日、藤原道長は四女の威子が後一条天皇の中宮(皇后)になると・・・この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと…
(問)時宗の開祖一遍の鎌倉入りを阻止したのは、だれの警護をしていた武士か。『一遍上人絵伝』1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとした一遍は…
大山寺毎年、11月8日から12月8日まで開催されている大山寺のもみじ祭では、本尊の鉄造不動明王が開帳されています。鉄造不動明王像は、大山寺を再興した願行が…
大河ドラマ「光る君へ」で双寿丸が仕えているのは平為賢は高望王流桓武平氏。高望王流桓武平氏は、高望王(平高望)が上総介として東国に下向したことに始まります。為賢…
熱海の糸川沿いに咲く「あたみ桜」の例年の見ごろは1月中旬から2月中旬。2025年は1月11日(土)から「糸川桜まつり」が始まります(2月9日(日)まで)。桜ま…
運慶は、鎌倉幕府と関係が深い仏師。北条時政の願成就院の造仏、和田義盛の浄楽寺の造仏で知られています。源頼朝の永福寺の造仏にも関わったと考えられ、北条義時の大倉…
東京国立博物館では、2025年1月21日(火)から開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開催されます。その会場には…
「タンコロまつり2024」は11月30日(土)の開催。10:00~15:00開催場所は、極楽寺駅前広場と極楽寺検車区入場無料。「タンコロ」(100形108号)…
紫式部は光源氏を主人公とする『源氏物語』の続編「宇治十帖」を1010年(寛弘7年)頃から書き始めたとも言われます。ただ、「宇治十帖」が書かれた時期は不明で、紫…
1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男顕信が、突然、出家してしまいました。5月に比叡山で受戒が行われますが、道長も参列します。ただ、道長は下馬せず騎馬のま…
1012年(寛弘9年)、藤原道長は三条天皇に入内していた次女の妍子を中宮としましす。一方、道長と不和だった三条天皇は、妍子より先に入内して第一皇子の敦明親王を…
大河ドラマ「光る君へ」では、双寿丸という男が紫式部の娘・賢子と恋仲になるような気配ですが・・・双寿丸は平為賢の従者で、賢子を盗人から救ったことで、屋敷に出入り…
枇杷殿跡(京都御苑)枇杷殿は、藤原道長の次女・藤原妍子の里邸として整備された御殿。一条天皇の里内裏・一条院が焼失した際には、 一条天皇が中宮・藤原彰子らととも…
『源氏物語』で光源氏と藤壺の不義の子として登場する冷泉帝は、光源氏を「太上天皇になずらふ御位」としました。「太上天皇になずらふ御位」とは、太上天皇(上皇)に准…
円覚寺舎利殿円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。鎌倉幕府三代将軍の源実朝が宋から請来したという仏牙舎利が祀られています。現在の舎利殿は…
996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えて行く紫式部。そのときに詠んだのが・・・「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は から…
伝通院は、1602年(慶長7年)、伏見城で死去した徳川家康の生母・於大の方が葬られた寺。家康は増上寺に葬りたかったようですが、増上寺十二世の源誉存応(慈昌・観…
塩津神社は、琵琶湖の北岸の塩津浜に鎮座する社。創建年は不明だが、『延喜式神名帳』に所載されている「鹽津神社」と推定されている古社。996年(長徳2年)、父・藤…
996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国武生へ下向します。都を発った一行は逢坂の関を越えて大津へ。大津の打出浜から船出して湖西を…
堀河院(堀河殿)は、藤原氏の邸宅。伝説によると・・・左大臣・藤原顕光の次女で三条天皇の第一皇子・敦明親王の妃となった藤原延子は、敦明親王とともに堀河殿に住んで…
光源氏の異母兄・朱雀帝は、光源氏の子・冷泉帝に譲位した後、朧月夜と朱雀院で暮らしていましたが・・・光源氏の六条院への行幸後、病に伏してしまいます。そして、西山…
1008年(寛弘5年)9月9日、すでに盛りを過ぎていた紫式部に「老いをぬぐい去る」という「菊の着せ綿」が藤原道長の北の方(源倫子)から贈られました。紫式部感激…
打毬(だきゅう)は、平安時代に端午の節会の際に行われた宮中行事で、乗馬した競技者が左右に分かれ、毬を毬門(ゴール)に入れる競技。822年(弘仁13年)正月、渤…
琵琶湖の西岸に鎮座する白鬚神社は近江国最古の大社。湖中大鳥居社前の湖中には、シンボルの大鳥居が浮かび、「近江の厳島」とも呼ばれています。紫式部歌碑境内には、父…
光源氏の父・桐壺帝は、高麗人をはじめとする様々な相人に光源氏の相を見せています。東鴻臚館址鴻臚館は外交および海外交易の施設で高麗人が滞在。光源氏の相も鴻臚館の…
琵琶湖の西岸、大津市堅田に鎮座する伊豆神社は、892年(寛平4年)、比叡山の尊意が三嶋大明神を勧請して創建したと伝えられる社。社名は、鎮座する堅田の地が伊…
陽明門日光東照宮の陽明門は、平安京の大内裏(平安宮)外郭十二門の一つの陽明門の名をもらったのだといいます。日光東照宮は徳川家康を祀るために建てられましたが…
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とする神社。清少納言が『枕草子』の中で素晴らしい神の一つに挙…
閑院は、平安初期の藤原冬嗣の邸宅が始まり。平安後期には、高倉天皇が里内裏として使用し、子の後鳥羽天皇は閑院で皇位を承継しています。 西福寺は、閑院跡に建…
承香殿は、皇后・中宮・女御などが居住した平安宮内裏の殿舎の一つ。弘徽殿についで格式の高い殿舎とされ・・・円融天皇女御・尊子内親王一条天皇女御・藤原元子などが賜…
弘徽殿は、皇后・中宮・女御などが居住した平安宮内裏の殿舎の一つ。円融天皇中宮・藤原遵子花山天皇女御・藤原忯子一条天皇女御・藤原義子後朱雀天皇皇后・禎子内親王な…
昭陽舎(しょうようしゃ)は、平安宮内裏の後宮七殿五舎の一つ。清少納言の父・清原元輔は、ここで『後撰和歌集』の編纂を行っています。1219年(承久元年)7月13…
一本御書所(いっぽんごしょどころ)は、書写した書籍を保管したところ。1159年(平治元年)の平治の乱では、藤原信頼と結んだ源義朝が後白河上皇の三条殿を襲撃。上…
清凉寺にある源融の墓。清凉寺は、源融の別荘・栖霞観があった場所。源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の十二男。最高官職は左大臣。紫式部の『源氏物語』の主人公光…
広隆寺は、聖徳太子から下賜された弥勒仏を本尊として創建されたという京都最古の寺。弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)は、国宝彫刻第1号。清少納言…