5月3日に行われる「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代(初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直)を称え偲ぶ祭。武者隊・鉄砲隊を中心に、市内学校…
光る君へ~紫式部が暮らした平安京・源氏物語の舞台となった平安宮~
「鳴くよウグイス平安京」794年(延暦13)年、桓武天皇は都を平安京に遷します。羅城門平安京の南の玄関口は羅城門。東寺西寺跡羅城門の東西には王城鎮護の東寺と西…
上賀茂神社の末社・岩本神社は住吉三神を祀る社。紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされる在原業平が合祀されているらしい。上賀茂神社
ほととぎす声まつほどは片岡の森のしづくに立ちやぬれましこの歌は、紫式部が上賀茂神社を参拝した際に賀茂別雷大神の母・玉依比売命を祀る片岡社で詠んだとされる。詠ま…
紫式部の夫藤原宣孝の署名がある「大宰府符」~石清水八幡宮文書~
「石清水八幡宮文書」の中の「大宰府符」は、紫式部の夫・藤原宣孝の自筆署名のある文書。石清水八幡宮石清水八幡宮は、京都の裏鬼門を守護する神社。979年(天元2年…
若宮大路幕府跡『吾妻鏡』によると・・・1254年(建長6年)12月18日、御所(若宮大路幕府)で『光源氏物語』の講義を源親行が行っている。『光源氏物語』は、紫…
「厭離穢土欣求浄土」は、穢れた世界を厭い離れ、清浄な仏の国土に生まれることを願い求める思想。この語を貴族や庶民にまでも普及させたのが恵心僧都源信の『往生要集』…
東照大権現供養塔徳川家康に仕えた天海の廟所・慈眼堂には、徳川家康の供養塔と紫式部の供養塔が建てられています。2024年(令和6年)の大河ドラマは紫式部。紫…
天海は、南禅寺の塔頭金地院の崇伝ととも徳川家康に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天台宗の僧。1590年(天正18年)、家康が関東に入ると、徳川氏発祥の地とされる上野…
徳川家康の墓1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した徳川家康は久能山に葬られますが・・・翌年2月21日、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈…
久能山神廟1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した家康は、久能山に葬られました。その神廟(墓)は西を向いているのだといいます。西にあるのは・・・鳳来…
熱海の糸川沿いに咲く「あたみ桜」の例年の見ごろは1月中旬から2月中旬。2024年は1月6日(土)から「糸川桜まつり」が始まります(2月4日(日)まで)。☆ ☆…
横浜の三溪園にある旧東慶寺の仏殿は、1634年(寛永11年)、徳川二代将軍秀忠の娘・千姫の寄進と伝えられています(国重文)。1907年(明治40年)に東慶寺か…
豊臣秀頼の首塚1615年(慶長20年)の大坂の陣で淀殿らと自害した豊臣秀頼。1980年(昭和55年)、大坂城の三の丸の跡地から秀頼の首と思われる頭蓋骨が発…
時雨亭京都の高台寺にある時雨亭は、伏見城から移築された茶室。高台院(北政所・寧々)は、時雨亭の二階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたのだといいます。高台…
大津市は『源氏物語』誕生の地。紫式部が『源氏物語』を書き始めたという石山寺では、2024年1月29日(月)から「源氏物語 恋するもののあはれ展」が開催されます…
1008年(寛弘5年)10月16日、一条天皇が土御門邸に行幸する当日、藤原道長は新造の二艘の竜頭鷁首(りょうとうげきす)の舟を池辺に漕ぎ寄せて検分。この年の9…
1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長の土御門邸では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。禁色の着用を許された少…
1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長の土御門邸では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。道長の酔態ぶりを見た紫…
幼い頃から漢学の知識があった紫式部。一条天皇からもその学識を評価され、藤原彰子に白居易の新楽府(漢詩)を講義している。紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を…
1008年(寛弘5年)7月16日、一条天皇の中宮・藤原彰子は、お産のため土御門邸に里下がり。彰子に仕えていた紫式部は渡殿の東側の戸口近くに部屋を与えられていた…
久々にめぐり会ったと思ったのに・・・見たのがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまった。7月10日初秋紫式部は、地方から帰京していた幼い頃からの友に偶然に出…
「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が「早く都へ戻りたい」という思いから詠んだ歌。…
鹿蒜神社(かひるじんじゃ)は福井県の南越前町今庄にある社。996年(長徳2年)、越前国司となった父の藤原為時とともに越前国府(武生)へ向かう紫式部が参拝したと…
静岡県駿東郡清水町を流れる柿田川は、富士山の雨や雪解け水が三島溶岩流にしみ込み、その先端から湧き出している地下水を源泉としている川。現在は柿田川公園として整備…
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5月3日に行われる「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代(初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直)を称え偲ぶ祭。武者隊・鉄砲隊を中心に、市内学校…
旧華頂宮邸旧華頂宮邸の春の一般公開は、毎年4月に実施されてきました、2025年は屋根の修繕工事が行われていたため、5月に実施されます。【公開日時】5月17日(…
5月15日(木)に行われる葵祭「路頭の議」の有料観覧席が販売されます。販売日:4月8日(火)開始時間:10:00詳しくは京都観光ナビで。 ↓https://j…
「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代(初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直)を称え偲ぶ祭。武者隊・鉄砲隊を中心に、市内学校の吹奏楽部・バンド…
作家大佛次郎が書斎として使用し、鎌倉文士の交流の場としても使用された大佛次郎茶亭が一般公開されます。大佛次郎茶亭☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まんだら堂やぐら群まんだら堂やぐら群の限定公開は、土・日・月・祝日のみですのでご注意を!☆ ☆ ☆ ☆ ☆
段葛鶴岡八幡宮の参道「段葛」には、約180本のソメイヨシノが植えられていますが、数本の木で開花していました。ただ、本格的な開花はもう少し先になるのかもしれ…
小田原城址公園とお堀外周の桜が様々な色に変化する光で幻想的にライトアップされます。【期間】3月29日(土)~4月13日(日)18:00~21:00期間内には小…
2025年(令和7年)3月23日、真鶴町の岩海岸で「源頼朝旗挙祭2025」が開催されました。真鶴町では・・・1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝…
「源頼朝旗挙祭」は、源頼朝船出の浜で開催されるイベント。外周9.3メートルの大鍋で調理された「頼朝旗挙鍋」が振舞われます。3月23日(日)11:00から。ふる…
旧川喜多邸別邸は、哲学者の和辻哲郎が居宅として使用していた建物を映画事業家の川喜多長政・かしこ夫妻が移築したもの。海外から訪れる映画監督や映画スターたちを迎え…
鶴岡八幡宮の神苑ぼたん庭園は、源氏池の畔に造られた廻遊式の日本庭園。春は3月20日に開園の予定。春ぼたんの上には桜が咲きます。3月18日現在のウェザーニュース…
3月15日から鎌倉歴史文化交流館の企画展「平泉から鎌倉へー兵どもが夢の先ー」が始まりました。奥州平泉は、奥州藤原氏三代(藤原清衡・基衡・秀衡)が築いた黄金の都…
長興山のしだれ桜長興山紹太寺のしだれ桜は小田原藩稲葉家の二代藩主稲葉正則が植えたともいわれる古木。ソメイヨシノより1週間ほど早く開花します。紹太寺HPによると…
各気象会社の発表によると、3月下旬の関東地方はソメイヨシノの開花ラッシュ。鎌倉でも3月下旬から開花が始まり4月上旬には見ごろを迎えてきそうです。段葛段葛は鶴岡…
江の島トンボロは干潮時に現われる砂の道。江の島と対岸の片瀬の浜が繋がります。※気象状況などにより現れない場合もあります。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
仏生会では、本尊の清凉寺式釈迦如来立像が開扉されます。京都清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもので、扇ヶ谷にあったいう新清凉寺釈迦堂の本尊であったともい…
真鶴町で1997年まで開催されていた「源頼朝旗挙げフェスティバル」で使用された外周9.3メートルの大鍋。容積は31890リットル。一回の調理でお椀16000杯…
3月13日のウェザーマップの発表によると、関東のソメイヨシノの開花は平年並。東京の開花予想は3月22日満開予想は3月28日横浜の開花予想は3月23日満開予想は…
「小田原おでん」は、市内の老舗蒲鉾店などが作った「おでん種」に、曽我梅林の梅で作った「梅みそ」を付けて食べるのが特徴。桜が咲く小田原城址公園二の丸広場では、毎…
気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。気比神宮は、1945年…
996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えていったといわれる紫式部。そのときに詠んだのが・・・「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふ…
神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。池に架かる朱塗りの橋は法成橋。源義経と静御前が出会った場所と言われています。5月2…
琵琶湖の西岸に鎮座する唐崎神社は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王が退下したときに参拝したともいわれている社。古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬…
越前へ下向する紫式部が参拝したという塩津神社の主祭神は塩土老翁神。この地域には塩池があって製塩業が行われ、その者たちが塩土老翁神を祀ったことにはじまるのだ…
塩津浜996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国武生へ下向します。都を発った一行は逢坂の関を越えて大津へ。大津の打出浜から船出して…
葵祭は平安時代から続く祭事。上賀茂神社と下鴨神社の例祭です。祭の見どころは路頭の儀(行列)。特に斎王代の行列が人気のようです。斎王代とは、かつて賀茂神社に奉仕…
紫式部歌碑(白鬚神社)996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向するため打出浜から船出した紫式部は・・・三尾崎で網を引く漁師の姿を見ます。そして、…
白鬚神社琵琶湖の西岸の白鬚神社は近江国最古の大社。創建者は、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命。『日本書紀』によると・・・倭姫命は、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、…
打出浜996年(長徳2年)、越前国へ下向するため父の藤原為時とともに都を発った紫式部は、逢坂の関を越えて大津へ。そして、琵琶湖の打出浜から船出し、湖西を渡って…
葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言や紫式部も見た五穀豊穣を祈願する王朝行事。5月15日の路頭の儀では…
逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前へ下向するため京を発った紫式部は逢坂の関を越え…
3月30日(土)から光明寺の山門楼上が公開されます(5月6日(月)まで。)。釈迦三尊像四天王像十六羅漢光明寺山門光明寺の山門は、鎌倉で一番大きな山門。間口16…
996年(長徳2年)正月、紫式部の父藤原為時が越前国司に任命されます。紫式部は、為時に同行して越前国へ下向するため都を発ちます。夏の事だったといわれています。…
2024年(令和6年)7月3日発行予定の新五千円札の肖像画は津田塾大学を創設した津田梅子。裏面は古くから親しまれてきた「藤の花」。清少納言は『枕草子』に「藤の…
被講とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げること。清少納言は『枕草子』に「長やかに詠み出づ」長々と声を引いて歌を詠む)と記しています。鶴岡八幡宮で行われる「献詠披講…
開花宣言はできませんが・・・妙本寺のソメイヨシノが開花を始めました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆3月24日のウェザーニュースのソメイヨシノ開花予想によると・・・源氏山公…
2022年の土肥祭2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。「源頼朝旗挙げ武者行列」では、湯河原町出身の船越英一郎さんが源頼朝役、「鎌倉殿の13人」に出演さ…
東京渋谷にある金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸の名がつけられた神社。金王丸は、源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物ともいわれます。そして、社殿前に植えられて…
真珠院の八重姫の梯子供養は、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を「せめて梯子あったら救うことができたのに」という里人の想いから始められたという祭。毎年、4月第二日曜日…