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  • 比叡山横川の恵心院~藤原兼家建立の寺で修行した恵心僧都源信~

    比叡山恵心院比叡山横川の恵心院(恵心堂)は、藤原兼家が慈恵大師良源(元三大師)の協力を得て建立した寺。ここで良源に師事した源信が修行して『往生要集』を著してい…

  • 五節の舞姫装束~まひろの装い:光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館~

    「光る君へ」第4話で主人公のまひろが付けていたのは「白地菱型地に下り藤染め裳」(しろじひしがたじにさがりふじぞめも)。手にしていたのは「金銀泥鳳凰絵入大翳」 …

  • 陸奥総社宮~光源氏(源融・藤原実方)ゆかりの社~

    陸奥総社宮は、陸奥国府が置かれていた多賀城に赴任した歴代の陸奥国司が参拝した社。平安時代、陸奥・出羽の按察使として下向した源融や、陸奥守として下向した藤原…

  • 馬術競技の打毬と源氏物語

    打毬は、平安時代に端午の節会の際に行われた馬術競技。紫式部の『源氏物語』~蛍の巻~では・・・光源氏が六条院の花散里の御殿「夏の町」の馬場で「手結」(てつがい)…

  • 塩竈の御釜神社と紫式部の歌

    「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」この歌は紫式部が夫・藤原宣孝の追悼のために詠んだ歌。陸奥国の名所絵を見て詠んだのだといいます。…

  • 紫式部が豊明節会で詠んだ歌~五節の舞姫と右京~

    「おほかりし 豊の宮人 さしわけて しるき日かげを あはれとぞ見し」紫式部が五節の舞姫の日陰の蔓を着けた右京(宰相中将)に贈った歌。「大勢いた豊明節会に参集し…

  • 弘徽殿の女御~光る君へ~

    「光る君へ」第4話で、源雅信は、花山天皇に入内した藤原忯子を「弘徽殿の女御」と呼んでいました。弘徽殿跡紫式部の『源氏物語』では、光源氏の父・桐壺帝の最初の妃で…

  • まひろが舞ったのは永観2年の新嘗祭~「光る君へ」第4話~

    「光る君へ」第4話で、まひろ(紫式部)が舞ったのは、984年(永観2年)の新嘗祭の豊明節会だったようです。新嘗祭は、その年の五穀豊穣を感謝する祭。平安時代の新…

  • 五節の舞姫が舞い、打毬が行われた豊楽殿~光る君へ~

    豊楽殿は、平安京の大内裏(平安宮)にあった豊楽院の正殿。ここでは、元日節会・新嘗祭・大嘗祭などの国家的行事が行われました。紫式部の『源氏物語』にも出てくる白馬…

  • 五節の舞姫:近江守源良清の娘は唐崎神社で祓~源氏物語~

    新嘗祭の豊明節会で舞を披露した五節の舞姫たちは、そのまま宮中にとどまって宮仕えすることとなっていましたが、いったん皆退出させることにします。近江守・源良清の娘…

  • 五節の舞姫~夕霧が惟光の娘に贈った歌:『源氏物語』少女の巻~

    大学寮の学生だった光源氏の息子・夕霧は、雲井の雁との失恋で何も興味が持てないでいましたが、五節の夜は二条院に行っていました。そのとき、五節の舞姫に選ばれて二条…

  • 五節の舞姫~光源氏と筑紫の五節の贈答歌:『源氏物語』少女の巻~

    新嘗祭の豊明節会の日、宮中に参って五節の舞姫たちを観た光源氏は、昔、目を留めた少女(おとめ・筑紫の五節)のことを思い出します。そして、久しぶりに筑紫の五節へ便…

  • 源頼朝上陸の地の河津桜~2024鋸南町の頼朝桜まつり~

    1180年(治承4年)8月28日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は真鶴の岩海岸から船出します。翌日、上陸したのは安房国の平北郡猟島。現在の鋸南町の竜島海岸です。鋸…

  • 2024鎌倉長谷寺の豆まき~鎌倉長谷寺と大和国長谷寺~

    人気の長谷寺の豆まきは、2月3日(土)11:30から。長谷寺の節分会☆ ☆ ☆ ☆ ☆鎌倉の長谷寺は、西国観音霊場三十三所巡礼の開祖・徳道が開いた寺。本尊は十…

  • 真如堂~藤原詮子ゆかりの阿弥陀如来と安倍晴明ゆかりの不動明王~

    真如堂は、984年(永観2年)、藤原詮子の離宮に比叡山の常行堂にあった阿弥陀如来を安置したことに始まります。阿弥陀如来は慈覚大師円仁の作で「うなづきの弥陀」と…

  • 鹽竈神社の白髪の老人と藤原実方の伝説

    藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で陸奥守に左遷されたという藤原実方は、鹽竈神社で白髪の老人と出会い、阿古耶の松の所在を知った。さっそく駆け付けようとしたが、…

  • 遍昭僧正の五節の舞姫の歌~天女のように美しい舞姫~

    遍昭(良岑宗貞)は、花山天皇が出家した元慶寺を建立し、紫式部が生まれた紫野の雲林院の別当を兼ねた僧。歌人として知られる遍昭は五節の舞姫を見て「あまつ風雲の通ひ…

  • 五節の舞姫~源氏物語で描かれた光源氏の舞姫~

    五節の舞姫は、新嘗祭の豊明節会で舞を披露する少女(おとめ)。『源氏物語』では「少女の巻」に五節の舞姫のことが描かれています。紫式部の時代の五節の舞姫は、公卿2…

  • 源頼朝・源朝長ゆかりの松田町の桜まつり2024

    松田町の西平畑公園には約360本の河津桜​が植えられています。河津桜の下には菜の花も。まつだ桜まつりは、2月3日(土)~3月3日(日)9:00~16:00入園…

  • 藤原道隆~藤原道長の兄・源実朝の正妻坊門姫の先祖~

    藤原道隆は、藤原兼家の長男。兼家の跡を継いで一条天皇の関白となり、道隆の一族は中関白家と呼ばれるようになります。しかし、全盛を迎えようとしていた995年(長徳…

  • まひろ(紫式部)が参加した土御門殿の偏つぎ~光る君へ~

    偏つぎ大河ドラマ「光る君へ」第3回で、まひろ(紫式部)は土御門殿で開かれている和歌の名人・赤染衛門の集いに参加することに。そこで「偏つぎ」を体験。偏つぎは、漢…

  • 道長と公任と斉信の女性談義~源氏物語の雨夜の品定めと光る君へ~

    大河ドラマ「光る君へ」第3回で、藤原道長は藤原公任・藤原斉信と女性談義。これは、『源氏物語』~帚木の巻~の「雨夜の品定め」と似ている場面でした。ある五月雨の夜…

  • 風俗博物館~道長の栄華・彰子に仕えた紫式部・源氏物語~

    風俗博物館では、源氏物語の世界が体感できる。六条院六条院は『源氏物語』の主人公・光源氏が六条京極に建てた寝殿造の大邸宅。藤原威子藤原威子は藤原道長の四女で後一…

  • 源倫子と紫式部~式部という名は倫子に仕えた時の女房名?~

    紫式部は、1005年(寛弘2年)頃に一条天皇の中宮・藤原彰子の女房として出仕したとされていますが・・・実は、その前に誰かに仕えていたという説があります。その理…

  • まひろ(紫式部)が代筆した夕顔の歌~光る君へ~

    大河ドラマ「光る君へ」(第2回)で、主人公のまひろ(紫式部)が細工師の男に代筆した夕顔の歌は・・・『源氏物語』~夕顔の巻~で光源氏が夕顔に贈った歌。ある夏の日…

  • 藤原実資が信仰した如意輪観音~六角堂(頂法寺)~

    六角堂(頂法寺)は、四天王寺を建立するための用材を求め、この地を訪れた聖徳太子が、唐崎明神のお告げで得た杉の霊木で六角の堂を建立し、如意輪観音を祀ったのが始ま…

  • 円融天皇と藤原兼家と第一皇子を生んだ藤原詮子

    円融天皇の父・村上天皇の第五皇子。兄の冷泉天皇が即位前から病気がちであったため、村上天皇の遺命により皇太弟となったのだといいます。つまり、円融天皇は冷泉天皇の…

  • 中山寺の石棺~花山法皇と観音霊場~

    中山寺の石棺中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。伝説によると・・・718年(養老2年)、大和…

  • 弘法にも筆の誤り~弘法大師が書いた応天門の額~

    平安神宮応天門応天門は、平安宮(大内裏)の政庁(朝堂院)の正門でした。平安神宮の応天門はその縮小版。伝承によると・・・弘法大師空海は勅命により応天門の額を書く…

  • 蘆山寺の元三大師堂~紫式部邸跡~

    蘆山寺の元三大師堂は、比叡山中興の祖といわれる祖元三大師(慈恵大師良源)を祀る堂。良源は、藤原道長の祖父・藤原師輔の後援を得て比叡山を中興。道長の父・藤原…

  • 平安神宮の大極殿~平安京の大内裏にあった大極殿の縮小レプリカ~

    平安神宮大極殿平安神宮は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建されました。平安京の大内裏(平安宮)の政庁(朝堂院)が8分の5の規模で復元…

  • 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな~光る君へ~

    「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」大河ドラマ「光る君へ」で紫式部が読んでいたこの歌は、紫式部の曾祖父・藤原兼輔が詠んだ歌。醍醐天皇の更衣…

  • 陸奥国府や鎮守府が置かれていた多賀城~光源氏赴任の地~

    多賀城は、蝦夷討伐のために築かれた城柵。陸奥国府や鎮守府もここに置かれていました。紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる源融や藤原実方が赴…

  • 陸奥国に下向して亡くなった光源氏:藤原実方

    藤原実方の墓藤原実方は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる者の一人。995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てた罰で陸奥守に左遷されたの…

  • 花山天皇の教育係だった紫式部の父・藤原為時

    紫式部の父・藤原為時は、977年(貞元2年)、師貞親王(のちの花山天皇)の読書始では副侍読を務めています。読書始(どくしょはじめ)は、皇族や貴族の子弟が初めて…

  • 光源氏のモデル・源融が愛した塩竃と河原院

    源融は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる者の一人。864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したといわれています。千…

  • 陸奥へ向かう藤原実方が通った君待橋

    君待橋の碑995年(長徳元年)、宮中で藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で陸奥守に左遷されたという藤原実方。陸奥に向かう実方が、この橋にさしかかって里人に橋の…

  • 蘆山寺の紫式部像~源氏物語を執筆した地~

    紫式部の邸跡・蘆山寺の本堂入口には紫式部像が置かれています。この地で『源氏物語』が書かれました。『紫式部日記』によると・・・1008年(寛弘5年)11月、出産…

  • 紫式部の歌碑

    紫式部は、『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』に多くの歌を残しました。京都・滋賀・福井にある歌碑をご紹介!蘆山寺歌碑「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬま…

  • 紫式部が生まれた紫野~今宮神社~

    今宮神社は、一条天皇の時代に疫病退散のために船岡山で行われた「紫野御霊会」 に始まる社。紫式部が20歳前後の頃の正暦年間(990-995)、都では疫病が大流行…

  • 藤原兼家の邸宅:東三条殿~紫式部が初出仕した所かも。~

    東三条殿は、二条大路南西洞院大路東にあった藤原兼家の邸宅。ここで長女の超子は三条天皇を次女の詮子は一条天皇を出産。兼家の死後は、嫡男・道隆に継承され、道隆の長…

  • 安倍晴明が登場する清浄華院の『泣不動縁起』

    清浄華院は、比叡山の円仁が開創し、法然が浄土宗に改宗したと伝えられ、紫式部の邸跡とされる蘆山寺の北にある寺院。重要文化財の『泣不動縁起』は、「三井寺の智興とい…

  • 一条戻橋~安倍晴明が式神を隠しておいた橋~

    この橋の名は一条戻橋。伝説によると・・・三善清行の八男・浄蔵貴所は、熊野での修行の帰りにこの橋で父の葬列に出会います。浄蔵が祈ると清行が蘇生。以来、この橋は「…

  • 紫式部の父と母

    紫式部の父藤原為時は、菅原文時(菅原道真の孫)に師事し、大学寮では紀伝道を専攻。和歌・漢学・漢詩に秀でた当代有数の文章生(文人)でした。ただ六位以下の下級官人…

  • 紫式部の邸跡~蘆山寺~

    紫式部邸址碑(蘆山寺)幼い頃に母(藤原為信女)を亡くした紫式部。曾祖父の藤原兼輔が建てた旧家で父藤原為時に育てられ、藤原宣孝との婚姻生活を送り、一人娘・賢子(…

  • 紫式部の漢詩の才能

    『紫式部日記』によると・・・子どもの頃、弟の藤原惟規が漢詩を読んでいるときに、紫式部もそばで聞き習っていたのだそうです。惟規は覚えるのも遅く、忘れてしまったり…

  • 紫式部が生まれた紫野~雲林院と真珠庵~

    雲林院雲林院は淳和天皇(在位・823ー833)の離宮・紫野院として造営されたのが始まり。現在は大徳寺の境外塔頭となっていますが、大徳寺は衰退してしまった雲林院…

  • 位階と袍(上着)の色~紫式部:光る君へ~

    官人には一位から九位までの位階があり、各位は上下に分割されていました。貴族と呼ばれるのは五位以上の者。そして、「位袍」(いほう)という制度があって、正装の袍(…

  • 平安時代の宮中に仕える女房の装束「唐衣裳」(十二単)

    宮中に仕える女房(女官)の正装は、袴に単(ひとえ)、重ね袿に裳と唐衣を着けた「唐衣裳」(からぎぬも)と呼ばれる装束。袴(はかま)は、下衣として着用するもの。単…

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