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稲荷森稲荷社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、入口谷戸の鎮守であったと伝わります。川崎市によると江戸時代初期に久保倉氏(→現在の王禅寺町内会の会長)の先祖が村の安穏と五穀豊穣を祈るため京都伏見稲荷大社(→京都府京都市伏見区深草)から勧請したといいます。稲荷森稲荷社の近くに久保倉姓の住居がありましたので関係があるのでしょうか。神奈川県神社庁の管轄外の社(やしろ)の詳細は不明です...
神明社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、安土桃山時代に小田原北条氏の遺臣吉垣三十郎が創建したと伝わる旧王禅寺村鎮守五社(→神明社・白山社・稲荷森稲荷社・山王社・第六天社(比川社)の1つで、いずれも別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。1559(永禄2)年作成の『小田原衆所領役帳』によると、小田原北条氏の家臣布施蔵人佑(ふせくろうどのすけ)が82貫500文の知行で麻生郷の領主となりましたが、1590(天正18)年7月...
山王社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、星宿山 王禅寺の鬼門除けに建立された社(やしろ)と伝わります。「さんのうしゃ」ではなく「さんおうしゃ」と読むようです。1868(明治元)年の神仏分離令以降は日枝神社とも呼ばれました。鳥居の近くには江戸時代の石造の馬頭観音や石仏群があり、神仏習合の頃の名残りが見られます。〖祭神〗・大山昨神(おおやまくいのかみ)...
比川社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで神仏習合の頃は第六天社と呼ばれていました。1868(明治元)年神仏分離令を受け比川社と改称され、今日に至っているといいます。境内の石碑には、「當社(→当社)は武蔵国一之宮 埼玉県大宮市 旧官弊社大社氷川神社の御分霊を江戸時代の初期 王禅寺鎮守 産神五社 山王大権現 神明宮 稲荷宮 大六天宮 白山大権現の一社と...