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後白河法皇(後白河天皇)は謎が多いが実は面白い人物!?その生涯とは(その1)
後白河法皇(後白河天皇)と言えば、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか?「源氏と平氏を操った天皇」とか「長年にわたり院政を行った法皇」といったところでしょうか?ただこの時代は混沌としていて、なかなかわかりにくいというのが正直なところでは
後白河法皇(後白河天皇)は謎が多いが実は面白い人物!?その生涯とは(その2)
前に「後白河天皇の保元の乱までの人生」をたどる記事を書きましたが、今回はその後の人生についてわかりやすくご紹介したいと思います。天皇家と藤原摂関家の関係は複雑ですので、理解しやすいように家系図を付けておきます。1.平治の乱「保元の乱」の後、
『平家物語』を読むに当たり、アニメ『平家物語』 TVアニメ「平家物語」公式サイト琵琶法師により語り継がれ、後世の文学や演劇に大きな影響を与えた大古典『平家物語…
アニメ『平家物語』 第五話「橋合戦」についてTVアニメ「平家物語」公式サイト琵琶法師により語り継がれ、後世の文学や演劇に大きな影響を与えた大古典『平家物語』。…
#365 本レビュー『新・平家物語(六)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
反平家の動きが表に!「鹿ヶ谷の陰謀」と義経とにせ義経の話の『新・平家物語(六) (新潮文庫)』を読了しました。驕れるものは久しからず暗転し始める平家新・平家物…
#404 TVアニメ『まんが日本史「栄える平氏-後白河法皇と平清盛』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の平清盛の政権について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていたのを…
高石山 法雲寺(→神奈川県川崎市麻生区高石2丁目)は、安土桃山時代に武田遺臣で徳川氏の旗本となった武田一族の加賀美正光が開基し、僧の誉心が開山したと伝わる臨済宗(→現在は曹洞宗)寺院です。加賀美正光は高石神社(→神奈川県川崎市麻生区高石)を創建した人物ととしても知られます。法雲寺は、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)でいったん廃寺になり、昭和時代前期の1940(昭和15)年に曹洞宗寺院として再興されました。さて、...
笹子稲荷(→神奈川県川崎市麻生区万福寺3丁目)は、小田急線新百合ヶ丘駅近くにある、「奉納 高石山 法雲寺」と書かれた小祠です。もとは「万福寺笹合稲荷」の地にあったと伝わりますが、町の開発にともない移されたのだといいます。笹子稲荷は、地元の伝承によると平安時代末期の権力者である後白河法皇の娘・笹子姫を祀った稲荷だといい「狐の上に乗る笹子姫の神像」が祀られていると伝わります。1177(安元3)年6月、京都東山の鹿ヶ...
21.【院政~もうひとつの天皇制】 評価:70点/作者:美川圭/ジャンル:歴史/出版:2006年 『院政~もうひとつの天皇制』は、後三条天皇の即位に始まり…
衣装展示に続いて、撮影で使われた小物展示のコーナーです。後白河法皇が源頼朝に宛てた密旨以仁王の令旨源行家から頼朝に手渡された打倒平家を呼びかける以仁王の令旨上総介が身につけていた書状謀反の罪を着せられた上総介が暗殺ざれた後、彼の館にあった鎧の中から封書が発見された。その中には、「これ全て鎌倉殿の大願成就と東国の泰平のため」との想いが綴られていた。和田義盛の戦況報告の書状木曽義仲を討ち取った戦況報告...
京都市下京区にある長講堂を紹介します。後白河法皇が六条殿内に持仏堂として建立し、法華経を長期にわたり講読したことから法華長講弥陀三昧堂を略して長講堂という寺名になったそうです。寺宝として、本尊阿弥陀如来及両脇侍像、後白河法皇木像があります。また法皇自ら死者の名を書き入れたという過去帳には、祇王、祇女やその母、仏御前、義経らしき人物の名も記されているとか。もと後白河法皇が仙洞御所に営まれた持仏堂で、...
京都市左京区聖護院山王町にある熊野神社は、811年、修験道の日圓上人が紀州の熊野権現を勧請したのが始まりです。平安末期に熊野詣を頻繁に行っていた後白河院によって、熊野から持ってきた土や樹木によって整備されました。新熊野神社、熊野若王子神社とともに京都三熊野と呼ばれています。応永3年(1396年)室町幕府第3代将軍足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は西は鴨川に至る広大なものでしたが、応仁の乱により社...
10日の大河ドラマは、選挙のため、お休みでしたので、今週はまだアップしていなかった番外編の記事を紹介しています。今日は後白河天皇ゆかりの京都のお寺です。泉湧寺の近くに今熊野観音寺というお寺があります。今熊野観音寺は熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。頭痛持ちで苦しんでいた後白河...
京都市左京区聖護院山王町にある熊野神社は、811年、修験道の日圓上人が紀州の熊野権現を勧請したのが始まりです。平安末期に熊野詣を頻繁に行っていた後白河法皇によって、熊野から持ってきた土や樹木によって整備されました。新熊野神社、熊野若王子神社とともに京都三熊野と呼ばれています。応永3年(1396年)室町幕府第3代将軍足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は西は鴨川に至る広大なものでしたが、応仁の乱により...
10日の大河ドラマは、選挙のため、お休みでしたので、今週はまだアップしていなかった番外編の記事を紹介しています。京都の六条河原にほど近い下京区の蓮光寺には、平清盛ゆかりの「駒止地蔵」と呼ばれる地蔵尊が安置されています。ある時、清盛が馬に乗って六条河原に辺りに来たところ、急に馬がとどまって進もうとしなくなりました。不審に思った清盛が、土の中を掘ったところ、地蔵尊が出てきました。そのことから「駒止地蔵」...
後白河法皇は希代の権謀家だったのか?永井路子「源頼朝の世界」
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、永井路子著「源頼朝の世界」から、後白河法皇の人物像に迫ります。 ■源頼朝の世界 源平合戦の時代を生き抜いた後白河法皇。 ときに平家
源平を動かした後白河法皇ゆかりの京都「法住寺」と「三十三間堂」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、源平を翻弄した「大天狗」、後白河法皇ゆかりの地へ。京都にある「法住寺」と「三十三間堂」を訪れます。 ■後白河法皇 後白河法皇は、鳥羽
鎌倉殿の13人 第22話「義時の生きる道」 ~頼朝の上洛、後白河法皇の薨去、頼朝の征夷大将軍任官~
奥州合戦の翌年の建久元年(1190年)11月7日、源頼朝はついに上洛します。奥州藤原氏の脅威がなくなったために実現した上洛でした。頼朝は千騎の大軍を率い...
鎌倉殿の13人 第19話「果たせぬ凱旋」 ~日本第一之大天狗~
兄の源頼朝より鎌倉入りを拒否され、所領もことごとく没収された源義経でしたが、改元して間もない文治元年(1185年)8月16日、頼朝の申請によって伊予守に...
鎌倉殿の13人 第16話「伝説の幕開け」その2 ~一の谷の戦い~
「その1」のつづきです。 木曾義仲を倒した源義経軍は、その喜びに浸る間もなく、寿永3年(1184年)正月29日、平家追討に出陣します。一時は西国に落ちて...