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春の浄瑠璃寺(東には東方浄土、西には西方浄土が見られる浄土式庭園)4K
境内には、東には東方浄土の薬師如来を安置する三重塔(国宝)、西には西方浄土の阿弥陀如来を安置する本堂(国宝)が、中心には大きな池があり、この形が浄土式庭園になっています。 本堂に9体の阿弥陀如来像を安置し、境内には池を中心とした浄土式庭園で、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝えています。 本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重で、堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも登場しています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2015.04.05 京都府木津川市加茂町JR加茂駅からバス <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。思い出の写真をフォトムービーにして Ⅰ思い出の写真をフォトムービーにして Ⅱ
2月伊豆熱海🌊早春ひとり旅マンマのニッチな旅の始まりです💕旅程旅の目的(リトリート&レポート書き)1日目東京ー熱海熱海泊2日目熱海ー東京熱海山口美術館Part.2手にいろんなものを持っています。観音様は木でできていて、1400年近く前のものだなんて、信じられません。匠の技ですね。観音様の頭には、小さな観音様の頭がいっぱい。後ろから見ると、カニの足のように手が出ています。昔の人は、すごいことを思いつきましたね✨✨1000の救済方法があると書いてありますが、藁をもすがる思いで、観音様を祀ったことでしょう。阿弥陀如来像は綺麗なOKマーク👌ですが、木が割れてきています。大事な国指定の重要文化財、火🔥に気をつけて大事に保管してほしいです。いつの時代も、自分の歩む方向を迷ったり、自分の行く道に不安を感じたりすると何か...早春ひとり旅✨✨こんなとこに千手観音!?
【神社 大分⛩】仏様のおわす「市邊田八幡社」 in 豊後大野市三重町【文化財】
”神社の中に仏様!豊後大野市、実は興味深い場所がいっぱいあるんですよ!” おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ あなたは、普段暮らしてい…
☆アクセスありがとうにほんブログ村 ☆ランキングに参加してます☆ 昨日の札幌 曇最低気温、2.6℃ 最高気温、12.3℃ 阪神タイガース、日本一おめでとうござ…
観音寺阿弥陀堂(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、昨日ご紹介した円国山 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂及び墓地となっています。観音寺の山門から歩いて10分ほどのところにあります。『新編武蔵風土記稿』には阿弥陀堂の記載がありませんので、本堂の新しさから昭和時代に建てられたものと推察されます。境内には六地蔵があるようですが、樹木に覆われて1体しか目視できませんでした。【観音寺阿...
永観堂の見返り阿弥陀!「永観、遅し」京都・禅林寺で慈悲の阿弥陀如来立像に出遭う
みかえり阿弥陀さまの慈悲のかたち、慈悲深い姿。永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげ、微笑みをたたえながら振り向いておられます。 「永観、遅し」永観堂の見返り阿弥陀 77cm 平安後期~鎌倉初期 真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとの...
今日は四日市の 善教寺【真宗高田派】を紹介します。 この三重県下には以前に紹介した真宗高田派の総本山である専修寺があることからこの宗派の末寺が多くあり今回の寺院も同様なものです。 また昔は
光永山 寿明院 西福寺(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷5丁目)は、戦国時代から安土桃山時代までに創建された天台宗寺院です。本尊は阿弥陀如来像で、江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)とされ、梶ヶ谷神明社(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷4丁目)の別当寺として祭祀を司っていました。西福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡梶ヶ谷村の条に次...
正覚山 真宗寺(→神奈川県川崎市高津区下作延2丁目)は、昭和時代後期の1980(昭和55)年に創建された浄土真宗本願寺派寺院です。市内の2300墓地を備える真宗寺川崎霊園(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)を管理運営する寺院としても知られ、溝の口本堂・川崎霊園ともに金色の大きな阿弥陀仏が建っています。真宗寺川崎霊園の参道には地蔵を中心とする無数の石仏群が連なっており、江戸時代中期の年号が彫られたものや、幕末期の庚申講が奉...
幡森山 龍雲寺(→神奈川県横浜市都筑区東方町)は安土桃山時代後期に養蓮社順誉という僧よって開山された浄土宗寺院です。本堂の創建自体は戦国時代中期の1550(弘治元)年にされたようです。江戸時代には本山・末寺の制により松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の末寺でした。1今はありませんが、神仏習合の江戸時代までは境内に八幡社があったと記されています。龍雲寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『...
日耀山 源東院 西光寺(→神奈川県横浜市都筑区東方町)は安土桃山時代に僧の円誉が開山したと伝わる浄土宗寺院です。江戸時代の本山・末寺の制では松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の末寺でありました。なお、源東院のある都筑郡東方村は、江戸時代は徳川将軍家の菩提寺の1つである増上寺の寺領でした。源東院の寺紋も俗に「徳川四天王」で知られる本多氏の家紋「丸に立ち葵紋(→本多葵)」を使用していますので、徳...
影顕山 西勝寺(→神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目)は西本願寺に属する浄土真宗本願寺派寺院です。創建は江戸時代中期に僧の順応(誕生年不明~1739年)によって開山されました。しかし、江戸時代後期の1845(弘化2)年にさる旗本が現在の美しが丘西(→神奈川県横浜市青葉区)で催した花火が西勝寺の屋根に落ちて全焼し創建以来の伽藍が失われてしまったようです。その旗本は切腹の用意をしていましたが、住職が思い止まらせて再建費用と...
稲荷山 常念寺(→神奈川県川崎市麻生区栗木)は、鎌倉時代前期に浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の二十四輩(→親鸞の関東における24人の門弟)の第六番にあたる成然(じょうねん→常然とも)によって創建された浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。もともとは現在の東京都町田市金井町入谷戸にありましたが、室町時代後期・戦国時代中期の1558(永禄元)年9月に時の住職の福受が現在地に移転し中興したと伝わります。この時の本堂と本尊は...
永池山 長念寺(えいちざん ちょうねんじ→神奈川県川崎市多摩区登戸)は室町時代後期・戦国時代中期の1534(天文3)年に彫られたと伝わる阿弥陀如来像を本尊とする浄土真宗西本願寺派寺院です。1522(大永2)年に僧の法専坊によって創建され、一時期衰えたものの江戸時代前期に秀月禅尼(しゅうげつぜんに)によって中興されました。創建当初は真言宗寺院で、徳川氏が本願寺を東西に分立させた際には東本願寺派に帰属しましたが、江戸時代...
清涼山 覚永寺(→神奈川県横浜市青葉区元石川町)は、安土桃山時代後期の1594(文禄3)年に一向宗門徒の釋専念(→俗名井伊直重)によって建立された浄土真宗本願寺派の寺院です。井伊直重は小田原北条氏の有力国衆である世田谷城主吉良氏に仕えた武士だったようですが、織田信長と石山本願寺との間で行われた石山合戦(1570年~1580年)の際にはるばる大坂(おおざか)まで赴き、一向宗門徒として戦いに身を投じたといいます。1580(天正8)年...
パリの高級住宅地といわれる場所に、 佇む瀟洒なイタリア様式の邸宅。 そこに、日本のガイドブックには ほとんど載っていない Musée Cernuschi(チ…
ここは新宿です!青銅製 像高 237cm!新宿散歩で思いがけず阿弥陀さま(大仏)と出会いました♪♪ 西迎寺(さいこうじ)の阿弥陀如来座像 西迎寺(さいこうじ) 令和4年4月10日 村内伸弘撮影 新宿って、超高層ビルが林立しているところってイメージがあるでしょ? それとも世界...