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永観堂の見返り阿弥陀!「永観、遅し」京都・禅林寺で慈悲の阿弥陀如来立像に出遭う
みかえり阿弥陀さまの慈悲のかたち、慈悲深い姿。永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげ、微笑みをたたえながら振り向いておられます。 「永観、遅し」永観堂の見返り阿弥陀 77cm 平安後期~鎌倉初期 真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとの...
内裏山 霊嶽院 九品寺(くほんじ→神奈川県鎌倉市材木座5丁目)は、1333(元弘3)年5月22日に鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が、敵方であった北条氏の戦死者を供養するために、1336(建武3)年に僧の風航順西を開山として、材木座に建立したと伝わる浄土宗寺院です。山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の文字は新田義貞の筆を写したものと伝わります。寺号にもなっている「九品(くほん)」とは、浄土宗の教えで極楽往生するときの9つの階級(→...
澤水山 清龍院 真照寺(→神奈川県横浜市都筑区折本町)は戦国時代中期に中興開基された浄土真宗大谷派寺院です。創建時は真言宗寺院だったようですが、中興の際に浄土真宗に改宗したようです。江戸時代前期の1649(慶安2)年には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領を拝領されています。真照寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡折本村の条に次のように記されています。********************...
大棚山 得蔵院 東善寺(→神奈川県横浜市都筑区中川7丁目)は浄土真宗本願寺派(西本願寺)寺院で、創建時は武蔵国橘樹郡小机領の臥龍山 雲松院 神太寺の末寺の曹洞宗寺院でしたが、戦国時代中期に僧の浄念が浄土真宗寺院に改め現在に至ります。以前ご紹介した浄土真宗本願寺派の弘願山 長徳寺(→神奈川県横浜市都筑区牛久保3丁目)は創建時の寺号を浄念寺といいますが、ここの改宗開基浄念と関係あるのかは不明です。東善寺は江戸時...
弘願山 長徳寺(→神奈川県横浜市都筑区牛久保3丁目)は戦国時代に一向宗の僧・浄源によって開山された浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。創建時の寺号は浄念寺といい東本願寺に属していました。安土桃山時代の検地帳には常仙寺とも書かれていたようです。本尊は阿弥陀如来立像で、盂蘭盆会(→お盆)の8月15日夜には横笛法要が行われ、横笛の調べと読経はさぞ幽玄な雰囲気を醸し出すことでしょう。長徳寺は江戸時代後期の1830(文政...
渋沢山 龍泉院 心行寺(→神奈川県横浜市都筑区荏田東4丁目)は、江戸時代前期に僧の相誉によって創建された浄土宗寺院です。江戸時代の都筑郡荏田村は2代将軍徳川秀忠の御台所・崇源院(→浅井長政3女)の化粧料(→女性が嫁ぐ際に取り交わされた土地)で、彼女の死後は菩提寺の三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の寺領となり、心行寺はその末寺となった由縁で、本堂には徳川将軍家の位牌が安置されているといいます。増上寺の...
勝田山 最乗寺(→神奈川県横浜市都筑区勝田町)は創建年代は不明ですが、江戸時代前期に僧の教龍が創建した浄土真宗本願寺派(→西本願寺)寺院と伝わります。本尊は阿弥陀如来立像で、江戸時代中期の1795(寛政7)年に建立された本堂が現在でも使用されています。浄土真宗寺院の内陣は極楽浄土を金色で表しています。最乗寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡勝田村の条には次のように記されています...