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岩沢山 香樹院 天宗寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、戦国時代の1539(天文8)年に小田原北条氏に仕えた地侍岩沢伊左衛門が開基、松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の5代住職東誉が開山した浄土宗寺院です。岩沢伊左衛門は北条氏滅亡後に帰農し、山号と院号は自身の名字と法名から採ったと記されます。江戸時代には泉谷寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。当時の観音堂に安置された観音像は厩戸王(うま...
松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、鎌倉時代後期の元亨年間(1321年~1324年)に本覚院として創建された寺院を、戦国時代前期の1523(大永3)年に北条氏綱の家臣・二宮織部正(にのみやおりべのじょう)が父親の菩提のため見誉上人を招いて泉谷寺として中興開基したと伝わる浄土宗寺院です。現在は横浜市港北区ですが江戸時代には都筑郡・橘樹郡の郡境にあり、本堂は橘樹郡、庫裏は都筑郡にありました。泉谷寺が開基...
亀甲山 本覚院 専念寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に新羽村の村民良太郎の先祖清太郎が開基し、僧の耕公が開山したと伝わる浄土宗寺院です。清太郎は、小田原北条氏の旧臣で1590(天正18)年の北条氏滅亡とともに帰農した村の有力者と比定されています。江戸時代の専念寺は、本山・末寺の制により近隣の浄土宗寺院の中本字格である松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の末寺と...
日耀山 源東院 西光寺(→神奈川県横浜市都筑区東方町)は安土桃山時代に僧の円誉が開山したと伝わる浄土宗寺院です。江戸時代の本山・末寺の制では松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の末寺でありました。なお、源東院のある都筑郡東方村は、江戸時代は徳川将軍家の菩提寺の1つである増上寺の寺領でした。源東院の寺紋も俗に「徳川四天王」で知られる本多氏の家紋「丸に立ち葵紋(→本多葵)」を使用していますので、徳...