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翌日の本祭(神幸祭)は家族運用を兼ねて出動。併用軌道が盛り上がるのは午後ということで、昼食後に現地へ。主役の神輿はスタンバイしていましたが周辺はまだ嵐の前の静けさという状況でした。もう少しすると電車、それもサンゴーが来る時刻。お二人ほどカメラを持った方がポジションを検討しているような感じでしたので、持参していた小さな踏台に乗り後方から混ぜてもらうことにしました。これなら前方のお二人が動いても私の構...
前夜祭の続きです。陽が落ちると悲しいかな、私のカメラでは電車をぶらさず撮るなど無理な相談になるのでスナップ的撮影に完全にチェンジ。電車がやってきて演者さんたちが端に退避したところで、こんなシーンが見られました。踊りが併用軌道から去って行くと、代わって涼しげなお囃子を奏でる山車が登場しました。人が多いのは苦手な私ですが、前夜祭ということからか人出はありましたが身動きが取れないほどではなく、地元の人の...
夏の風物詩の一つというと「祭」。ただ私自身、カメラを握るのは家族の前以外はもっぱら鐵のみで、他のものを撮ることはほぼないのですが、気軽に出かけることのできる江ノ電沿線では夏場にいくつかの祭が行われ、電車との絡みも楽しめるとのこと。今回訪ねたのは腰越駅付近にある小動神社の天王祭の前夜祭。前述のように祭自体、撮影したことは皆無なので不安でしたがまあ行ってみようと相成りました。この祭の舞台は江ノ電のハイ...
今週末は地域の祭礼、コロナが令和5年5月8日から「5類感染症」になり、今まで通りの祭礼が開催され、各町内では幟や提灯が飾られていました。寄付の芳名板、提灯は夜になれば灯りがともります。別の町内の提灯、心配なのは空模様、この時期は梅雨の末期で雨になることが多く、家の庭でも小さなカタツムリをみました。
尾張なごやの #津島神社(2回目)。御祭神の建速須佐之男命は、江戸期まで #牛頭天王 と尊称された除厄の神様。明治期にスサノオ神に統一されました。このあたりの経緯について夏に斎行される #天王祭 から考えてみました #京都八坂神社 #祇園祭 目次 疫病を封じる牛頭天王 牛頭天王を祀る天王祭(祇園祭との関係) 尾張津島の建速須佐之男命(京都八坂は素戔嗚尊) 本文 www.zero-position.com 疫病を封じる牛頭天王 津島神社の休憩所に「スサノオ神が厄神を退治する図」という絵が掲げられていました。 須佐之男命厄神退治之図(スサノオ神が厄神を退治する図)模写ボールペン図 「元絵は、葛飾北…
牛頭天王社(ごずてんのうしゃ→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、長津田村が小田原北条氏の領国であった頃、この地の領主であった引田氏が祇園社(現在の八坂神社→京都府京都市東山区祇園町北側)を勧請して牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりです。創建時の牛頭天王社は現在の王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)寄りにあったようですが、江戸時代中期の1796(寛政8)年に現在地に移されたようです。『小田原衆所領役帳』(...