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解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について
前回(世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱)紹介した世代修正系図では、第四代と第五代の間、第六代と第七代、第九代と第十代の間を分割した。 第七代倭根子(大倭根子・彦フトニ:孝霊天皇)については大直根子(オオタタネコ)と同一人物ではないかとしたが、今回は、第五代ミマツ彦(孝昭天皇)と第十代ミマキ入彦・イニエ(崇神天皇)の出自について。 第五代ミマツ彦(孝昭天皇)に関して、「ミマツ彦の同母弟」という意味の名を持つミマツ彦イロドが、徳島の那賀川に拠点を持つ長国造の祖先とされていて、事代主の孫との伝承があり、ミマツ彦イロドを祀る『御間都比古神社』が徳島の山中に現存する。 事代主については出…
この記事では、奈良県三郷町にある龍田大社とその境内に吹くスピリチュアルな風について紹介しています。龍田大社は、全国でも珍しい「風の神様」が祀られている神社です。境内に流れる神聖な風に触れて、身も心もリフレッシュしてくださいね。
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代の様子を紹介する。 第四代スキツミ(懿徳天皇)でホホデミ(神武天皇)から続く祭祀王家は途絶える。スキツミの親族、ワチツミは淡路に拠点を置き、吉備勢力と関係を深める。 世俗王第二代の倭足彦(記紀では第六代孝安天皇)の代替わりとして、ミマキ入彦が纏向を制圧し、世俗祭祀の統一王(記紀では第十代崇神天皇)となる。250年ごろのことである。※ミマキ入彦の出自であるが、皇后のミマキ入姫が、又の名をミマツ姫とも言わ…
『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)が作成されたのはAD4世紀中頃以降の事であり、【縄文時代とは全く無関係】です!! … … つまり、崇神天皇(ミマキイリヒコ)12年(AD351年)以降、それ迄のヤマト国家の歴年史が書き換えられた事に起因します。それは、AD70年にエルサ...
お気に入りの京都を紹介するのね😶。椿井大塚山古墳。好きです、幾度となく行ってるのョ。 最古の古墳です。( 全国で3つの内の1つ。)京都府木津川市にあります。…