メインカテゴリーを選択しなおす
歴史人「奥州藤原氏の栄華と没落」!兵どもが夢の跡…奥州藤原四代の真実
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「奥州藤原氏の栄華と没落」!兵どもが夢の跡…奥州藤原四代の真実です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころ
源頼朝が腰かけた石なのだそうな 1/14(日)、名取市の熊野神社げ行った時のことです。 この日は、どんと祭だったので正月飾りを持っていきました。 …
【平泉・毛越寺】いにしえの 浄土のお池に 秋の空|60歳からの御朱印めぐり〔059/541〕
毛越寺(もうつうじ)は世界遺産・平泉の構成資産の一つです。かつての浄土庭園が復元され、境内には大泉が池を中心に美しい苑池が広がっています。 大泉が池と塔山
【平泉・中尊寺(後編)】皆金色 螺鈿に蒔絵 光堂|60歳からの御朱印めぐり〔058/541〕
中尊寺のいちばんのお目当ては金色堂です。総金箔貼りのお堂もさることながら、内陣の意匠がすばらしく目を奪われます。
【平泉・中尊寺(前編)】みちのくの 極楽浄土 夢遺産|60歳からの御朱印めぐり〔058/541〕
中尊寺は世界遺産・平泉の中心的な寺院です。奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)公が戦乱のない平和な世の中、仏国土(浄土)の建設を願い建立したものです。
【平泉・義経堂】判官も 眺めた山河 ここにあり|60歳からの御朱印めぐり〔056/541〕
高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、源義経最期の地とされる小高い丘に建つお堂です。松尾芭蕉が有名な句を詠んだ場所でもあります。
厳美渓温泉 「いつくし園」・えさし藤原の郷 (岩手県 一関市・奥州市)
4月1日 (金) 、宮城、岩手、山形の 「旅応援割」 が延長になったので、厳美渓(げんびけい)温泉 「いつくし園」 に一泊して、翌日 「えさし藤原の郷」 に行ってきました。 とんでもなく安かったです。 「いわて旅応援割」 で5000円、夕食の飲み物代に仕えるクーポン券で2000円、さらに、 「いちのせき割」 で3000円!! これでなんと二人で、20000円の割引になりました。 いやー、一関市は太っ腹で...
【岩手】気分は平安貴族!?江刺ふじわらの郷 - MORE ファッション MORE フ
神奈川 鎌倉 鶴岡八幡宮で3年ぶりの「手斧始式」 - NHKニュース NHKニュース 【NHK】神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で、建築関係者が…
よく知られた史実でも、「その後」については無頓着のままでいることも案外に 少なくないようです。 筆者の場合なら、たとえば「奥州黄金」もそうしたことの一つなのかもしれません。 その「奥州黄金」とは、いわゆる「奥州藤原氏三(四)代」の時代(1087-1189年)に その地でメッ...
断捨離を進めたい方ご自宅サポート zoomサポートご相談を承ります。お問い合わせ無料ご相談はこちらからどうぞ。↓↓↓サポート内容に関するお問い合わせごきげんさ…
義経の逃走ルートを追って、石川県小松市の「安宅の関」にやって来ました。兄の源頼朝に追われる立場となった源義経は、かつて世話になった奥州・平泉の藤原氏を頼ろうと旅立つが、これを捕らえようと頼朝は各地に関所を設けた。1187年、山伏姿に変装した義経主従一行は安宅の関に到着。怪しいと感じた安宅の関守・富樫康家は東大寺復興勧進のため諸国を廻っているという弁慶に勧進帳を読ませる。何も書かれていない勧進帳を弁慶は...
源義経最期の地、岩手県平泉の高館高館は、北上川や束稲山(たばしねやま)、衣川を望むことが出来る眺望が素晴らしい所です。義経堂ここは源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って再び平泉に戻ってきた義経の居館があった所といわれ、藤原泰衡に襲われ妻子とともに自害したのもこの地と伝えられています。また衣川の流域は、弁慶立ち往生の故事でも知られています。この義経像は、堂創建時に製作されたもので、頭部と兜が別作りである、...
2005年のことになりますが、奥州平泉まで義経の跡を追って行きました。平泉駅前から出ている巡回バス「るんるんバス」を利用。一日フリー乗車券なら何回乗っても450円という便利でお得なバスです。※当時は、たったの300円でした(;'∀')時代の移り変わりを感じます。「るんるんバス」については、こちらをご覧ください。 ↓http://iwatekenkotsu.co.jp/runrun_0419.htmlコースは毛越寺(もうつうじ)からスタート。毛越寺は奥州...
次に向かったのは中尊寺です。中尊寺は東北大本山。山号を関山といい、慈覚大師によって開かれました。入り口から続く月見坂の両側には、歴代の藩主によって植えられた杉が鬱蒼と茂っています。(この坂は登り始めから急で、相当疲れます。)急な坂を上ると、左手に弁慶堂があります。中には弁慶と義経の木像が飾られていました。きつい坂を上り終えると視界が急にぱっと開ける場所があります。そこが東物見台です。ここからは束稲...
アイヌは土器を使わなくなりました。和人と交易し、鉄鍋を入手できたので。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 2008年度北海道における鉄文化の考古学的研究-鉄ならびに鉄器の生産と普及を中心として- 笹田 朋孝※途中から抜粋擦文文化後期(11世紀ごろ)に鉄器の出土率ならびに一軒当たりの鉄器数が増加する。青森では9世紀後半に鉄器生産の急増に伴い、鉄器の出土も急増している。青森と擦文文化の鉄器の増加には1世紀以上...
チンギスハンになった・・・は無いのでは 前回5/22のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、奥州平泉に逃れていた義経がどうやら妻と娘と共に最期を迎え、「義経の首」と称される物は鎌倉に届けられた。大泉洋演じる頼朝は、公式の態度とは裏腹に、その首を前にしてひとり号泣し、多くの視聴者を泣かせた。 鎌倉殿の13人 後編 (NHK大河ドラマガイド) [ 三谷 幸喜 ]価格: 1210 円楽天で詳細を見る そうやって裏の人間的な面が描かれると、そろそろドラマからの頼朝の退場も見えてきているのかなと思ったりする。さらに、演じる中の人が「土曜スタジオパーク」か「あさイチ」のプレミアムトークに出ると危ない。 …
義経の逃亡説にも含みある描写 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、5/22の第20回で源義経の最期を・・・はっきりは描かなかった。これだと大陸に逃げた説もOKになるけど・・・という描き方。見ごたえのある、よく練られたやり方だよなあと面白かった。毎回毎回、すごい。 藤原泰衡が軍勢を率いて義経に迫る中、鎌倉へ帰ろうとする北条義時が義経がいる場へと弁慶によって強引に呼ばれたところで、もろともに死のうと義経に言われるのかと思ったら(でもそんな緊張感は義時側にも感じられなかったけれどね)、さにあらず。 「弁慶の立ち往生」の下ごしらえ(へー、あんな風になっていたのか!)を進める弁慶と明るく別れを告げた義…
城ぶら「柳之御所遺跡」!東北に栄華を築いた奥州藤原氏の政庁跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、奥州藤原氏の繁栄の跡、