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#藤原秀衡
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探検630 奥州藤原三代の特異な伝統
平泉・中尊寺に遺された奥州藤原氏三代、清衡・基衡・秀衡のミイラ(他に四代目にあたる泰衡の首級も)については、あまり詳しいことは分かっていないようだ。その中でも三代・秀衡のケースを見てみると、実は大変に忙しい最中だったにも関わらず、彼もきちんとミイラになっ
2025/02/10 07:30
藤原秀衡
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迷宮入り編21/奥州黄金その後の行方
よく知られた史実であっても、よく眺めてみるとその中には何かしら忘れ物をした ように感じられる出来事もないではありません。 たとえて言うなら、「AとBが・・・」で始まった説明が、その部分で途切れて しまって、この後がどうなのかの説明がないままの状態です。 一体どうしたのだ! ...
2023/08/15 06:59
指月橋(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました
指月橋(しげつきょう→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷2丁目)は、源義経(→源頼朝の異母弟)主従が通ったという伝承をもつ多摩川水系の旧三沢川にかかる橋です。江戸時代後期の天保年間(→1830年~1844年)に編纂された『江戸名所図会』には寿福寺十景の1つとして紹介されています。近くには義経と弁慶が大般若経を奉納したと伝わる仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)があります。江戸時代の天明期(→老中田沼意次の頃)を代表...
2023/03/21 07:16
二枚橋(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
二枚橋(→神奈川県川崎市麻生区高石3丁目)は、源義経が作り直したという伝承をもつ多摩川水系の五反田川にかかる橋です。川崎市に残る義経伝説をつなげてみると、義経主従は1180(治承4)年9月に藤原秀衡(ふじわらのひでひら)から与えられた軍勢を率いて奥州平泉(→岩手県西磐井郡平泉町)を発ち、鎌倉街道を南下して仙石山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)で戦勝祈願をし、五反田川を越える際に軍勢が通れるように橋を補強(→...
2023/03/20 06:08
「鎌倉殿の13人」義経ロス続く…逃亡説と遺児説と
チンギスハンになった・・・は無いのでは 前回5/22のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、奥州平泉に逃れていた義経がどうやら妻と娘と共に最期を迎え、「義経の首」と称される物は鎌倉に届けられた。大泉洋演じる頼朝は、公式の態度とは裏腹に、その首を前にしてひとり号泣し、多くの視聴者を泣かせた。 鎌倉殿の13人 後編 (NHK大河ドラマガイド) [ 三谷 幸喜 ]価格: 1210 円楽天で詳細を見る そうやって裏の人間的な面が描かれると、そろそろドラマからの頼朝の退場も見えてきているのかなと思ったりする。さらに、演じる中の人が「土曜スタジオパーク」か「あさイチ」のプレミアムトークに出ると危ない。 …
2022/06/03 01:32
「鎌倉殿の13人」義経は首で帰った
義経の逃亡説にも含みある描写 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、5/22の第20回で源義経の最期を・・・はっきりは描かなかった。これだと大陸に逃げた説もOKになるけど・・・という描き方。見ごたえのある、よく練られたやり方だよなあと面白かった。毎回毎回、すごい。 藤原泰衡が軍勢を率いて義経に迫る中、鎌倉へ帰ろうとする北条義時が義経がいる場へと弁慶によって強引に呼ばれたところで、もろともに死のうと義経に言われるのかと思ったら(でもそんな緊張感は義時側にも感じられなかったけれどね)、さにあらず。 「弁慶の立ち往生」の下ごしらえ(へー、あんな風になっていたのか!)を進める弁慶と明るく別れを告げた義…
2022/05/25 21:37
鎌倉殿の13人 第20話「帰ってきた義経」 ~源義経の最期~
追われるように都落ちした源義経は、再起を図って九州に向かうも、途中暴風のために船が難破し、摂津に戻ってきました。その後は寺社などに匿われながら、吉野、鞍...
2022/05/24 01:31