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よく知られた史実であっても、よく眺めてみるとその中には何かしら忘れ物をした ように感じられる出来事もないではありません。 たとえて言うなら、「AとBが・・・」で始まった説明が、その部分で途切れて しまって、この後がどうなのかの説明がないままの状態です。 一体どうしたのだ! ...
伝義経首洗井戸(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、源頼朝の追及を受けた藤原泰衡(ふじわらのやすひら→奥州藤原氏4代目)に攻められ、1189(文治5)年閏4月30日、衣川館(→岩手県西磐井郡平泉町高館)で自害した源義経(→頼朝の異母弟)の首級を多と洗ったと伝わる井戸及び供養塔です。義経主従の首級は6月13日に鎌倉腰越で和田義盛・(→侍所別当)・梶原景時(→侍所所司)らによって首実検(→本人確認)が行われています。民間伝承では首実検ののち...
鎌倉殿の13人 第21話「仏の眼差し」 ~奥州合戦と八重の死~
奥州合戦は描かれませんでしたね。藤原秀衡、源義経が死んでしまって役者がいなくなりましたし、北条義時が主人公の物語としてはまだまだ先が長いので、省けるとこ...
義経の逃亡説にも含みある描写 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、5/22の第20回で源義経の最期を・・・はっきりは描かなかった。これだと大陸に逃げた説もOKになるけど・・・という描き方。見ごたえのある、よく練られたやり方だよなあと面白かった。毎回毎回、すごい。 藤原泰衡が軍勢を率いて義経に迫る中、鎌倉へ帰ろうとする北条義時が義経がいる場へと弁慶によって強引に呼ばれたところで、もろともに死のうと義経に言われるのかと思ったら(でもそんな緊張感は義時側にも感じられなかったけれどね)、さにあらず。 「弁慶の立ち往生」の下ごしらえ(へー、あんな風になっていたのか!)を進める弁慶と明るく別れを告げた義…
鎌倉殿の13人 第20話「帰ってきた義経」 ~源義経の最期~
追われるように都落ちした源義経は、再起を図って九州に向かうも、途中暴風のために船が難破し、摂津に戻ってきました。その後は寺社などに匿われながら、吉野、鞍...