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-つづき鎌倉ゆかりの地めぐりへ。バス乗り放題通行手形なるものを購入したけど、道に人がいっぱいで時間通りにバスが来なくて役に立たない。歩いたほうが早いそれでも、せっかく買ったのやから、北鎌倉までバスに乗ってみよう。まずは、円覚寺へ。「ここって、北条のお父さんの御廟があるんやなぁ~?」 って、横の石碑みたいなのを見ると、北条時宗・・・・・てーーー誰確か、この名前って歴史の教科書で元寇の時に出てきたよな...
北条義時死す…その墓所は全てを学んだ源頼朝の墓の近くに。鎌倉「法華堂跡」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、北条義時死す…その墓所は全てを学んだ源頼朝の墓の近くに。鎌倉「法華堂跡」です。
現在、源頼朝の墓のあるあたりに、かつては頼朝の持仏堂があり、頼朝の死後は法華堂(ほっけどう)と呼ばれました。堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル 建保元年五月和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ處ナリ 寶治元年六月五日三浦泰村此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢盡キテ 一族郎党五百餘人ト供ニ自盡シ滿庭朱殷ニ染メシ處トス 大正十三年三月建 鎌...
鎌倉市西御門に大江広元の墓と伝えられるものがあります。北条義時の墓があったといわれる法華堂からさらに鳥居をくぐって急勾配の階段を登るとやぐらが3つ並んでいます。左から、大江広元、島津忠久、毛利季光の墓となっています。大江広元の墓所これは江戸時代に広元の子孫である毛利氏の長州藩によって作られた供養墓(詣り墓)であり、鎌倉市十二所の山中にある五輪塔が本来の広元の墓とされているそうです。大江広元建仁3 (1...