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<敦賀城>の”城門”を巡る-大谷吉継が大修築したが一国一城の令で廃城し残された門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
真願寺は、敦賀城の北西隅に当たる乾門跡に建てられたお寺で、門前には城跡碑があります。敦賀城は大谷吉継の居城として知られています。1582年(天正11年)、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が台頭。その家臣であった蜂屋頼隆によって、三層の天守を持つ敦賀城が築かれました。しかし、頼隆は九州平定中に病死したため、1589年(天正17年)大谷吉継が入城し、水城として大改修しました。関ケ原の戦いの後は...