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#藤原兼輔
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#4425 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな
令和6年11月15日(金) 【旧 一〇月一五日 赤口】 立冬・地始凍(ちはじめてこおる)人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな ~藤原兼輔 『後撰和歌集』 1102親の心は、闇というほどでもないのだが、どうも子供のこととなると道に迷ったかのようにわからなく
2024/11/15 23:28
藤原兼輔
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紫式部の邸宅跡に建つ廬山寺(2)
元三大師堂本尊は元三大師(良源)。他に毘沙門天像、薬師如来像、不動明王像などを安置。毘沙門天は京都七福神の一つ。鐘楼手水社廬山寺(ろざんじ)(廬山天台講寺[ろざんてんだいこうじ])沿革天慶年中、元三大師良源によって草創される。良源は康保3年(966)55歳で第18世天台座主となり、内供奉に補せられて以降、比叡山から宮中に参内するにあたり、現船岡山の麓、現蘆山寺通北に輿願金剛院を建立し、寛和元年(985)正月3...
2024/07/03 22:05
紫式部の邸宅跡に建つ廬山寺(1)
京都市上京区北之辺町の廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。山門南門(薬医門)遡れば、紫式部の曽祖父である藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅があり、藤原為時に譲り、紫式部はこの邸で生まれ育ち、『源氏物語』を執筆したとされています。廬山寺(ろざんじ)現在の廬山寺は豊臣秀吉の時代にこの地に移されたもので、ただしくは廬山天台講寺という。もとは天慶元年(938)に慈恵大師良源(じけいだいし りょうげん)...
2024/07/02 21:43
光る君へ 第2話「めぐりあい」 ~裳着と触穢~
第1話のヘビーな出来事から6年の歳月が流れましたね。永観2年(984年)とありましたから、天禄元年(970年)生まれ説なら15歳、天元元年(978年)生...
2024/01/15 20:43
紫式部の邸宅跡の廬山寺
いよいよ今日から2024年の大河ドラマ「光る君へ」が始まりますね。今年は、紫式部をはじめ、その周囲の人たち、京都の寺社仏閣について主に書いていく予定です。京都市上京区北之辺町の廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。遡れば、紫式部の曽祖父である藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅があり、紫式部はこの邸で生まれ育ち、「源氏物語」を執筆したとされています。紫式部歌碑めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に ...
2024/01/07 02:17